四、クラスメート 22
「えっ? えっと――」
花応は目をしばたたかせながら氷室を見つめ直す。クラスメートの顔を知らなかったことを負い目に感じたのか、その腰は何処か後ろに引けている。
花応と同じ高さにあった氷室の笑顔がそれで少し上に来る。瞬きの終わった花応の視線は、自然と相手の顔を窺うような上目遣いで止まった。
「ヒムロ――くん?」
「そう。氷に室の氷室。一応後ろの方の席に座ってるよ」
上目遣いの半ば疑っているかのような視線を気にもせず、氷室は明るく笑って花応に答えた。
「ゴメンなさい……クラスの人、あんまり顔知らなくて……」
「あはは。僕の方こそ、存在感ないからね。存在感ゼロの零士。お寒い氷室ってよく言われてるよ。昨日も同じクラスの女子に、居たっけみたいなこと――」
氷室はそこで花応の足下の買物かごをふと見つめる。買物かごはジョーが去り際に置いていっていた。
「おっと、ゴメン。買物中だよね。話聞いてくれる人がいると、ついつい長くしゃべっちゃう。友達少ないからね」
「あは。友達少ないのは、私もかな」
「そう? お互い苦労するね。でも、それパーティグッズか何かだよね?」
氷室は軽く首を伸ばして花応の買物かごを覗き込む。
「えっと……まあ……」
「友達居るんじゃない。やだなぁ。そう言えば河中くんとかも、最近仲いいよね? 河中くんが来るの?」
「いや! 何て言うか! 成り行きで! ホント、友達居なかったから! 今度皆でウチに遊びにくることになって! 慌てて!」
「『慌てて』パーティグッズの買いあさり?」
「う……せっかく皆を呼んだのに、何をどうしていいのか分からなくって……」
花応が困ったようにしゅんとうつむいた。
「普通にしてればいいと思うけど?」
「その普通が……よく分からない……」
花応がうつむいたままの視線をすっと視線を横にそらす。
「まあ、確かに。皆普通に見えて、自然と友達作ってるように見えるけど。僕なんか全然周りに人がよってこなくってさ。何であんな簡単に皆友達作れるんだろうって思うよ」
「……」
「ああ、ゴメン! 買物引き止めて、やっぱり僕ばっかりしゃべっちゃって! 買物はもう終わり? 重そうだね。お詫びにそのカゴ、レジまで持っていくよ」
「えっ? 買物はそう――」
花応が後ろを振り返る。それはジョーが消えた方向だ。商品がずらりと並ぶ棚の向こうには、勿論もう人間臭い動きをするペリカンの姿はない。
「そうね。一度切り上げるわ」
多少心配だったのか、花応は後ろを向いたまま体を斜めに傾けて見えるはずもない棚の向こうを覗こうとした。
「じゃあ、持つね」
「あ、それは……」
花応が慌てて体を前に戻すと氷室が足下の買物かごに手を伸ばしているところだった。
「遠慮しないで。実際重いね。よくこんなの持って、店内歩いてたね」
慌てて伸ばされた花応の手よりも早く、氷室は買物かごを引っ張り上げる。その仕草はカゴの重さで少々よろめいていた。
「え、えっと……それは……」
直前までジョーに持たせていたカゴを直視できずに花応の目が泳ぐ。
「ん?」
「何でもない。とにかく、ありがと……」
「どういたしまして。ところで、何買ったの?」
氷室は花応の横を抜けながら歩き出す。
「よく分かんない。何か盛り上がってるイラストが商品に描いてあるのとか。パーティの必須アイテムとかってあおり文句が書いてあったのとか。適当に放り込んだ」
花応が氷室の後に続いた。両隣の棚が迫っている狭い店内。花応は氷室の背中の後ろについて行く。
「あはは。会社とお店に踊らされるがままだね」
「ふん。私だって、一応踊らす方の立場だもの。お互い様」
「ああ、やっぱり桐山さんって、凄い会社のお嬢さんだって本当だったんだ?」
「ん……まあ、その……」
「何の会社?」
氷室が商品棚の中に埋もれるようにあったレジへと向かう。出口際に設置されいたそのレジは経費削減の為にか一つしかなった。
「桐山ホールディングスっていう科学薬品メーカのグループ」
「へぇ。すごい。『踊らす方の立場』とか言ってけど、もしかして何か経営にかかわってるの?」
丁度空いていたそのレジに氷室が買物かごを乗せる。
「うん、ちょっとね……経営はお飾りかな。でも少なくとも、会社の研究所には頻繁に出入りしてるわ。こっちにもあるの。だからこっち来たってのもあるんだけど。科学的な成果を職権乱用で聞かせてもらってね。で、まあ、小生意気にも意見を言ったりするの。科学的なことは黙ってられないから」
「あはは、ホント科学好きって聞いてたけど。その通りなんだ」
「そうよ。私はそれが普通。科学的なのが私。――ッ! そうよ! そうだわ!」
「どうしたの?」
「私の普通で雪野達を楽しませればいいのよ。ああ、でも買っちゃった! むむ……いいわ。明日もう一度買い出しすれば」
花応が財布から取り出したクレジットカードを手渡しながら、袋詰めされた商品を目を寄せてやや睨みつけるように受け取った。
「どうしたの? てか、カード払いなんだ……」
「思いついたのよ。私らしい友達を呼ぶってことが」
店員が示してきたレシートに自分の名前を記入しながら花応が答える。
「へぇ……」
「舞い上がって自分を見失っていたわ。そうよ、そうすればよかったのよ。そうと決まれば、さっそく作戦練らなきゃ」
支払いを終えた花応は上機嫌に出口へと向かう。足取りが随分と軽い。重い商品も苦になってないようだ。店のガラス張りの自動ドアの向こうに人通りの多い歩道と車道が見えた。
「ありがとうね。急ぎの用事ができたから、このままタクシーで急いで帰るわ。あ、これ――」
花応が店を出たところで車道に向かって手を挙げながら振り返る。丁度通りかかっていた一台のタクシーがすっと道路脇に寄って来た。花応は己の足下に買物袋を置きその中をまさぐる。
「お礼に。ありがとね」
ポツンと後ろから着いて来た氷室に、花応は買物袋から一本のアルミ缶の缶ジュースを取り出した。
「こっちこそ。ありがと」
「こういうところのだから、冷えてないけど」
「あは、気にしないよ」
「そう? ゴメンね。ジョーにご褒美で上げるつもりだったんだけど。まあ、いいか。本当なら水滴したたるような、キンキンに冷えたジュースでお礼したかったんだけど。缶ジュースとかに水滴に付くのは、科学的に言うと内と外の温度差のせいなのよ。空気中の水分が温度差で――ああ、結露ぐらい知ってるよね。それじゃあ、ありがとね」
花応は一方的に氷室に告げると、ドアを開けていたタクシーに乗り込む。
「『ジョー』――ね……」
ポツリとその名を呟いた氷室の声は、完全にドアが閉まってしまった花応には聞こえなかったようだ。タクシーが走り出しドアのガラスの向こうの花応が手を振りながら小さくなっていく。
「……」
その車を氷室はしばらく無言で見送った。
「聞いていた通りかな。女子高校生がこんなお店でもカード払い。当たり前のようにタクシーに乗って帰る金銭感覚。話す時は一方的に話すコミュニケーションスキルの無さ。それは人のことは言えないし、ま、いいか」
氷室はそう一人呟きながら缶ジュースのプルタブを開けると、
「冷たいジュースももらえたしね」
大量の水滴がしたたるそのアルミ缶に口をつけた。
(『桐山花応の科学的魔法』四、クラスメート 終わり)