四、クラスメート 15
「いい、ジョー?」
花応は調理の終わった料理を更に盛りながら、後ろに振り返りもせずジョーに呼びかけた。
少し傾いた陽が差し込むキッチンに食材と調味料が織りなす夕食の香りが漂っていた。
「ペリ」
ジョーは花応に背中を向けてダイニングのテーブルに座っていた。水鳥らしかぬ腰を深くイスに預けた人間臭い座り方だ。
「最近人の出入りが多かったのは、特別事情が立て込んだだけなんだから」
花応は手際がいいとはお世辞にも言い難い手つきで料理を器に盛っていく。
「ペリ」
「そんなしょっちゅう友達が家に来たりなんかしないの」
花応が盛りつけた器はお盆の上に元より乗せられていた。手際は良くないが段取りはそれなりにいいようだ。
花応は包帯を巻いた右手で菜箸を右に左にと移動させると、多少料理を崩しながらも盛りつけていく。その様子は真剣そのものだ。不器用な上に包帯が巻かれている手で花応は慎重に料理を盛りつける。
「ペリ」
ジョーは何度も短い返事で応えた。こちらも何かに熱中しているらしい。ジョーは花応の方を振り向かずに首だけ上下に振って応えた。
「こっちから呼ぶって言っても、向こうにも都合ってもんがあるの。分かった?」
「分かったペリ」
ジョーの手元――羽の先は細かく動いていた。少々うつむき加減にした視線も、その羽の先を細かく追っているようだ。
「よろしい」
花応はどうにか盛りつけた料理に鼻先を持っていく。そのまま満足げに香りを嗅ぐと思い切り息を吸い込んだ。胸を大きく膨らませてできたての料理の湯気と香りを花応は目をつむって堪能する。
お盆は二つ。二人分の料理がキッチンに用意された。
「ほら、運ぶのぐらい手伝いなさいよ」
花応がお盆の一つを手にとって振り返る。
「今、忙しいペリ」
「何が忙しいってのよ?」
花応が結局最後までこちらを振り向かなかったジョー。そのジョーを後ろから花応はいぶかしげに覗き込む。
「メール打ってるペリ」
ジョーがようやく振り返る。その長い嘴袋で一瞬手元が隠れてしまうが、確かにジョーは携帯を手にその羽先をせわしなく動かしていた。
「こら! メールって? それ、私の携帯! 何勝手にいじってんのよ!」
花応がガチャンと乱暴にお盆をテーブルに置いた。そう。ジョーが持っていたのは花応の携帯だった。
花応はその場で手を伸ばすが、
「この! 嘴、邪魔! 袋、邪魔! 届かない! 見えない!」
その手はジョーの嘴とその下の袋に邪魔されてうまく携帯を掴めない。ジョーの嘴に頬を押しつけるようにして、花応は半分以上闇雲に己の右手を振り回す。
「何するペリか? 落ち着いてメールも打てないペリよ」
「何、落ち着いてメール打ってくれちゃってんのよ! それ私の携帯でしょ!」
「そうペリ。ジョーは携帯持ってないペリ」
「何当たり前のように言ってんのよ……」
花応が左手で強引にジョーの嘴を持ち上げる。垂れ幕の付いた遮断機でも押し上げるように左手でジョーの嘴を持ち上げると、ようやく開けた視界で携帯に右手を伸ばし直す。
「よこしなさい! これはあんたのオモチャじゃないの!」
花応はようやく携帯をつかみ取り強引にジョーの羽先からそれを取り上げた。
「たく……人の携帯を勝手に……だいたいあんたの羽で、メールなんて打てる訳――ッ! ああ!」
花応が目を剥いて携帯の小さな画面を覗き込む。
「打てるペリよ」
「えっ? 打ってるじゃない! てか、送ってるじゃない! どうしたのよこれ! 何送ったのよ! 何処確認するのよこれ!」
花応が慌てたように携帯を両手で触り出す。だが何処を確認すれば送信履歴を見られるのか分からないようだ。いたずらにボタンを押しては慌てふためいている。
「メールのボタンを押すペリよ」
「どれよ! どのボタンよ? 何処に『メール』なんて書いてあるのよ!」
「メールの形をしたアイコンがあるペリよ」
ジョーは脇に置かれる形となったお盆を器用に羽で己の前に引き寄せる。
「ないわよ! 何か地図が写ってるだけよ!」
花応は自慢の吊り目を寄りに寄せて携帯の画面を睨みつけた。
「他のアプリが開いてるペリね。一度ホームに戻すペリよ」
「ホーム? 何のことよ? てか、何で私の携帯なのに、あんたの方が詳しいのよ!」
「花応殿が、知らなさ過ぎペリね」
ジョーは一人で食べ始めるつもりか、両の翼を器用にあわせていただきますの仕草を始める。
「ああ、もう! わけ分かんない! ――ッ! ああ! こんな時に、着信来たし!」
携帯が着信音を響かせ始めた。花応は完全に混乱しているようだ。着信音が鳴りバイブ機能で震え出した携帯をお手玉のように空中で転がし始める。
「出ないペリか?」
「出るわよ。てか、河中じゃない? まさかあんた! 河中に勝手にメール送ったんじゃないでしょうね?」
「送ったペリよ。雪野様と、宗次郎殿に送ったペリ」
ジョーが翼で箸を鷲掴みにして振り返る。流石に箸は器用に持てないようだ。
「何を勝手に! てか、最初からそう言いなさいよ!」
「聞かれなかったペリ」
「あんたね! 覚えてなさいよ! これよね? ここ押すと、電話をとれるのよね!」
花応が鳴り響く携帯をジョーに向ける。
「水鳥に携帯の使い方聞くなんて、非科学ペリね」
「うっさい! えいっ! 繋がった! 繋がったのよね、これ? いいのよね、これで?」
花応は携帯の画面を正面に持ってきてまじまじと見つめる。どうやら本当に繋がったのか自分でも信じられないようだ。
「出ないペリか?」
「――ッ! うるさい! 言われなくても出るわよ! 河中、何よ? 電話繋がったんなら、早く出ろって? あんたまで何よ! 少しぐらい待ちなさいよ! 繋がってるかどうか、確認してたのよ! 必要でしょ? えっ? 話せば分かるだろって? 耳元持って来いって? ぐ……いいじゃない。目で見て確認したいタチなの! てか、今忙しいのよ! 何? 何怒ってんだって? そっちからメールで電話しろペリって言って来たんじゃないかって? 『電話しろペリ』なんて、私がメールする訳ないでしょ!」
花応は電話を耳に当てながらジョーに聞こえないようにか、慌てたようにダイニングを出て行く。
「で、何よ? 日曜日? う、うん……その、それは勝手にジョーが……えっ? ダメかって? そりゃ、私も予定ないけど……えっ……じゃあ、雪野も来ると思うし……別にいいと思うけど……うん……うん……」
花応はダイニングを出たところで立ち止まり、中から見えない位置に来ると壁に背中を着けた。
「うん……うん、そうだけど……うん……」
そして話し込むうちにずるずると背中を着けたまま座り込んで行く。電話に集中しようとしているのか、それとも不安からか。花応はその小さな携帯を両手で握り締めて相手の話に相づちを打ち続ける。
「え……うん、あんたがいいって言うんなら、私は別に……くす……何が行くペリよ……うん……じゃあ、それで……」
携帯から通信が切れたことを告げる無機質な音が聞こえる。
「……」
花応は携帯を耳に押し付けたまましばらく動かない。両手でじっと携帯を持ったまま、いつまでもその音に耳を傾ける。
「家に友達を呼ぶって……」
ようやく携帯を耳から離した花応は一人ポツンと呟き、
「大丈夫……昔とは違うもの……」
己の体温で温まったその携帯を両手でぎゅっと抱き締めた。