四、クラスメート 14
「生徒会長?」
千早雪野は音楽室の前の廊下に呆然と立ち、困惑に眉間に眉を寄せる。
柔和な笑みを浮かべる男子生徒。その顔を認めると雪野は漏らすようにそう呟いた。
「そうだよ。どうしたの? 驚いたって顔をして?」
雪野に呼びかけれた男子は微笑みながら近づいてくる。
それは先に花応がジョーを追い払った時に話しかけて来た三年の男子生徒――生徒会長だった。
雪野が飛び出したドアの方に向かって、同じような形をした反対側のドアからその生徒会長は歩いてくる。
「いえ……その……先程からいらっしゃいましたっけ?」
「何だい? 僕は向こうから歩いてきたけど――」
男子生徒は後ろを振り返る。生徒会長の顔で指し示した背後には、何処にでもあるような学校の廊下だ。
一方が外に面した窓。もう一方が教室が続く廊下。廊下の端に近い側にあった音楽教室は、生徒会長が振り返った方向に廊下がもう一方の端まで続く。
「確かに今来たばっかりと言えば、そうとも言えるかな。だから、さっきからは『ここには』いなかったよ。それが何か?」
「『歩いてきた』?」
雪野がその言葉にピクリと体を震わせる。
「そうだよ。何か、おかしい?」
生徒会長は雪野の前で立ち止まる。
「いえ……そうですか。ここに誰かいませんでしたか? その……」
「『誰か?』 さあ? 他の教室も覗きにながら、歩いてたからね気づかなかったかな? 誰か居たの?」
生徒会長は何処までも温和な笑みで雪野に微笑む。同時に音楽教室の中を覗き見た。
中の生徒達は元のそれぞれの練習に戻ろうとしているようだ。ちらちらとドアの向こうの二人を窺いながらも台本を読み始める。
「居たと思ったんですけど、飛び出してみたら誰もいなくて」
「こっちは誰もすれ違わなかったよ。気のせいか、反対側に行ったんじゃない?」
「『反対側』ですか?」
雪野は困惑の視線を『反対側』に向ける。生徒会長が歩いてきたのとは反対側の方向。そこは二つ教室がその先に続くだけで直ぐに廊下が終わっていた。
無論渡り廊下のような分岐点もない。音楽室、視聴覚室、講堂と、防音の関係か音の出そうな教室が一箇所に集められ、廊下が袋小路のようになって終わっている。
「視聴覚室か、講堂か。どっちかに入ったんじゃないかな」
「……」
雪野は生徒会長の言葉に納得がいかないのか、廊下の先をいぶかしげに無言で見つめる。
「でも、確かに人気がないね。ちょっとしたミステリーか、それとも千早さんの勘違いかってところかな」
「はぁ……」
雪野がようやく前に向き直る。そのまま見たのは生徒会長の足下だ。
「どうしたの? 今度は僕が何か?」
「いえ、そちらから『歩いてきた』人の気配なんて、しなかったような気がしまして……」
雪野が足下に向けていた顔を上げた。下から上にゆっくりと上げられた雪野の瞳。静かではあるが、まるで挑発するかのように雪野はその視線を固定する。
「はは、無茶を言うね。教室でジュリエットの台詞を熱唱していた君に――」
「……」
微笑み話し続ける生徒会長に雪野は何処までも静かに目を向ける。
「廊下の向こうから歩いてくる、僕の気配が分かったって?」
「まあ、そうですね。でも、よく分かりましたね。私のジュリエットの台詞」
「好きなんだよ。『呪われた聖者』に、『気高い悪党』とかね。夫となった最愛のロミオが、仲のいいイトコのティバルトを殺してしまった。そんなジュリエットの心中を推し量るのに、この愛憎両極端の表現は本当に簡潔で素敵だ。信頼と疑念、愛情と憎悪。心の距離感がくるくると渦巻くように変わるのが分かる台詞だよ」
「いえ、台詞がジュリエットのものということではなく。私がジュリエットの台詞を言っていたことですよ」
「ん?」
「まるで、ドアのすぐ側から覗いてらっしゃったかのように……」
「はは。君は自分の声量を勘違いしてるね。教室に来る前から、廊下にまで聞こえていたよ」
「他の人の声だとは思いませんでしたか?」
「どうしたの? まるで敵でも探しているみたいに――」
生徒会長の目は微笑みのまま細められる。
「――ッ!」
「人のことを、疑うんだね」
細められた目は直ぐにもとの柔和なものに戻る。
「いえ、そういう訳では……」
雪野が生徒会長から目をそらした。
「もう、いいかい? 他の部活も見て回りたいんだ」
「ええ、勿論……熱心ですね……」
雪野は目をそらしたまま応える。
「そうだね。生徒会長は〝力をもらった〟人間。その力に溺れて――」
「『力』……」
雪野はその言葉にもう一度顔を上げる。
「『美しい暴君』にはなりたくないからね」
だが顔を上げた時にはもう背中を向けており、雪野は生徒会長の表情をかいま見ることはできなかった。