四、クラスメート 13
「ペリ……」
花応にジョーがピタリとくっついた。水鳥の羽を花応の背中にピタリと密着させる。
「ちょっとあんた……」
花応は軽快に上下させていた右手を止めた。
ここは花応のマンションのキッチン。そこで花応はとんとんととたととんと、時に音を外しながらも花応はキャベツに包丁を上下させていた。
自分用の夕食を作ろうとしているのだろう。花応は私服にエプロンを身につけ、キッチンに向き合っていた。鍋などは火にかかっていない。まだ下ごしらえの段階なのか、それともまだまだ炊事に慣れず一つずつ用意するつもりなのだろう。
まだ軽く包帯を巻いた右手で、花応は包丁をキャベツを半分切り刻んだところで止める。
「ペリ」
「ジョー。さっきから何よ? うっとうしいんだけど?」
「ペリペリ」
ジョーは花応の抗議の声に聞く耳持たないようだ。花応にぴったりと身を寄せ、周囲の様子をその細い首を何度も左右に振って確かめている。
勿論ここは花応のマンションのキッチン。ジョーは何処までも真面目に警戒にしているようだが、この水鳥と花応以外に人影らしき物はない。それでもジョーは何度も首を振って周囲を確かめながら花応に身を密着させてくる。
「ジョー……あんたね……」
「ペリペリペリ」
花応の怨嗟の声も空しく、ジョーの羽が更に花応の背中に押しつけられた。
「きゃっ! この!」
花応がたまらずバランスを崩す。キャベツを押さえた左手と、包丁越しにまな板で支えた右手で何とかこらえて揺れる体をこらえさせた。
「ペリペリペリ!」
ジョーはそれでも気にならないようだ。自らの気勢を上げんとか、今まで一番勇ましい奇声を上げて身を寄せてくる。
「うっさい! 危ないでしょ!」
花応が堪らずジョーを弾き跳ばしながら身を翻した。
「ペリ!」
ジョーがその水鳥の体でキッチンの向こうに飛ばされた。羽を広げる余裕もなかったようだ。
ジョーは羽毛の体を床に滑らし、勢いよく転がって行く。
「ペリ……」
先に雪野や宗次郎と囲んだテーブルにぶつかりジョーの体はやっと止まる。
「さっきから、何? 人のご飯の邪魔する気?」
花応は包丁を右手にジョーにすごんでみせる。。
「ペリ。ジョーは雪野様に言われたペリ。べったりくっついて、花応殿を守りなさいとペリ」
ジョーが人間臭い動きで羽を支えにし、その白いペリカンにしか見えない体を起こした。
「そんな物理的にべったりと! くっつけ言われたか?」
花応が怒りに拳を握る。その右手に握られた包丁の刃先が、遠慮なく近づいてくるジョーに向けられた。
「言われたペリ……」
喉元に包丁を突きつけられ、ジョーが息を呑みながら答える
「言われた?」
「べったりついてなさいと、雪野様言ってたペリ……」
「そうね。言ったような気がするわね、あの娘」
花応がため息を漏らしながら包丁を降ろす。諦めの感情が上かから降りてきたかのように、花応は両肩と頭を同時に落とした。
「四六時中とも言ってたペリ。これからずっと、花応殿をお守りするペリ」
「まっぴらご免よ。ほら、どうせぴったりくっつくんなら、料理ぐらい手伝いなさいよ」
花応が苦々しげに歪めた顔を上げ、料理に戻らんとキッチンに向き直る。
「水鳥に何を手伝わせるつもりペリか?」
「ぐ……」
「そうペリ! 手伝えることあるペリ! 塩とかこしょうとか、ジョーの嘴から――」
「却下」
ジョーの提案そのものを断ち切るように、花応がキャベツの残りの部分を真っ二つにする。
「何故ペリか? 原理的には、容器そのものでも、その中身だけでも出せるペリよ。便利ペリよ」
「嫌よ。あんたの口から出たもの食べるなんて」
花応がキャベツの千切りを再開した。無駄に残ったていた部分を二つに割ってしまったせいか、それともその内心の苛立ちのせいか。キャベツを刻むリズムは先にも増して千々に乱れた。
「ペリ」
「たく……一応あんたの分も作ってんだからね。邪魔はしないでくれる」
「ペリ。いつも申し訳ないペリ。お昼も置いてってくれてるペリ」
「分かってんなら、よろしい」
花応がようやくきざみ終わったキャベツを水を張ったボールに移した。その顔は何処か満足げだ。
「できれば、昨日はカレーだったペリから、今日は和風がいいペリ」
「知るか。調子乗るな。あんたに合わすせいで、しばらく鶏食べてないんだからね」
包丁をまな板に置いた花応は、身ごと向き直ると冷蔵庫に向かう。
「どうしてペリか?」
ジョーが冷蔵庫を開けた花応の手元を覗き込む。花応が取り出そうとしているのは魚の切り身だった。パックされた白身の魚の切り身を花応は冷蔵庫の奥から取り出す。
「あんた一応鳥でしょ? 同じ鳥、食べたいの?」
切り身を手に花応は怪訝な顔でジョーに振り返る。
「ペリ。鳩はよく食べてたペリ」
「鳩?」
「鳩ペリ。丸呑みするペリ」
「……」
花応がジョーの告げる様を想像したのか、無言で固まってしまう。
「あっ、そ……ま、別にいいか……弱肉強食は自然の掟よね……」
花応はようやく口を開くと、己の呆れ具合を表すためにか冷蔵庫を荒々しく閉じた。
「ところで、花応殿?」
「何よ?」
花応は直ぐに機嫌が直ったのか、鼻歌まじりにパックのビニールを剥がす。魚を
「今日は誰が食べに来るペリか?」
「はぁ? 誰が来るってのよ?」
不思議そうな顔でこちらを覗き込んでくるジョーに、花応は心底こちらも不思議そうな顔で見返す。
「一昨日は雪野様が。昨日は宗次郎殿も来たペリ」
「それはたまたまよ。今日は別に誰もこないわよ。何で、平日ぞろぞろ人が訪ねてくるのよ?」
ツンと鼻を尖らしたようにジョーから顔をそらし、花応はそのまま勢いで頭上の棚の中からオリーブオイルを取り出した。花応は傍らのIHコンロに電気を入れると、その上に置いていたフライパンに無造作にオリーブオイルを垂らした。
「そうペリか? じゃあ、日曜とか――」
「ん?」
花応が切り身の魚を両手で掴み上げた。熱で広がるオリーブオイル。花応は切り身を放り込む投入を測るように、その上に両手を移しじっと待機させる。
「こっちから、呼べばいいペリよ。お友達家に呼ぶペリよ」
「――ッ!」
その言葉に何故か驚いた花応が魚の切り身をフライパンに落っことし、
「熱いペリッ!」
飛び跳ねたオイルがジョーの顔を襲った。