四、クラスメート 11
「おいおいおい……」
宗次郎はビルの陰に身を隠した。ピタリと背中をビルの壁につけ、首だけ伸ばしてその向こうを見やる。
街中の繁華街。ビルの壁に、路地の上に、薄汚れた看板がところ狭しとそれでも輝いている。
宗次郎が首を向けたのは、その繁華街の縮図というべき更に狭いビルの谷間の路地だ。
ビルとの間に僅かに設けられたその道は、狭い上に暗い。
道というよりは通路としか見えないその左右に、それでも本通りに負けず劣らずの看板が立てられている。
「こんなところでバイトしんてのか? ちょっと、何とか条例違反なバイトじゃねえの?」
宗次郎は後ろを振り返った。先ず目につくのが植えられた街路樹だ。街路樹は浅い小川の両岸に植えられている。その小川自体は左右を一方通行の道路に挟まれてビルの間を南北に貫いていた。
道は一方通行に指定されているだけあって狭く、陽の傾きかけた今は道ゆく人も多い。そしてその飲食店の多さから、納品の為に停められた車が更にその道を細めている。
道ゆく人が宗次郎の背中をチラリと見ては通り過ぎていく。宗次郎は何処から見ても高校生の姿だ。そんな宗次郎が興味深くはあるが、かかわりたくはないのだろう。皆が軽く目を向けるがそのまま通り過ぎていった。
「どう見ても飲食店だよな? お酒が出てくるような」
宗次郎は後ろを向けた顔をそのまま上に上げた。ビルから飛び出た看板は、どれもこれも小さく区切られている。雑居ビルに入るだけの小さな店が入っている。そのことをその看板が物語っていた。
「さて、このビル辺りで見たっていう目撃情報はあるが……店の名前までは分からないし……しばらく張り込みか……」
「張り込みッスか?」
「そう。張り込み――って!」
宗次郎が飛び上がるように振り返る。
「熱心ッスね。そんなにあの娘のことが、心配ッスか?」
宗次郎が振り返った先に、細い目を更に細めた速水颯子が立っていた。ラフだが機能的な私服だ。シャツにパンツ、スニーカー。動きや易さを第一に考えた服装なのかもしれない。それでもそれだけでは味気ないと思ったのか、ツバの深い帽子を被っている。
速水はその帽子が作り出した陰から細い目を挑発的に宗次郎に向けていた。首の角度を前に傾け、下から挑むように宗次郎の顔を見上げる。
「それとも単に、自分の働いてるところみたかっただけッスか? こう見えてもばりばり働くッスよ」
「いや、お前……」
宗次郎が無意識に半歩後ろに下がりそうになりながら、ジリッとその足自身に力を入れて己の身を止めた。速水の作り出す雰囲気に押し流されそうになりがら、宗次郎はその足先で碇を下ろしたかのように踏み止まる。実際宗次郎の上半身は揺れる船よろしく、大きくゆらっと揺れて立ち止まった。
「おや? 逃げ出さないッスね? ちょっと見直したッスよ」
速水の表情が少し崩れた。挑発するかのように下から見上げていた顔を上げ、その細い目で素直な笑みを送ってくる。
「クラスメートから逃げ出す理由なんてあるかよ」
宗次郎が息を呑みながら応える。緊張からか肩が力みに上がっていく。
「そのクラスメートの天草さんに、桐山さんも千早さんも襲われたッスよね? 実際河中も見たッスよね。自分の力を」
速水の口調には軽さすらにじみ出てくる。
「『実際』は見えなかったがな……」
「そりゃ、失礼ッス。速過ぎッスね、自分」
速水がケラケラと笑って応えた。
「その力どうするつもりだ?」
宗次郎が意識して息を吐き出した。無意識に上がっていた肩がそれで下がる。
「こっちの勝手ッスよ」
速水は何処までも軽い調子で答える。宗次郎とは対照的だ。
「こちとらもう二人に襲われてんだ。その力を手に入れた人間に……お前の言う通り、クラスメートも含めてな……」
「だったら、何ッスか? 先例に習って、自分も襲えって言うッスか?」
「いや……そりゃ……」
「なら、放っといてもらいたいッスね。自分、今からバイトッスから」
速水が右手の人差し指を立て、くいっと帽子を上に上げた。
「――ッ!」
その瞬間に速水の姿が宗次郎の目の前から消える。
「この力、せいぜい好きに使わせてもらうッスよ」
「後ろか?」
消えた速水の声が背中からした。そのことに気づいた宗次郎は後ろをとっさに振り返る。
一瞬速水の姿を振り返った視界がとらえるが、
「今は、横ッスよ!」
再度その声を宗次郎は横から聞くことになる。
そして宗次郎は肩を軽く押され、つんのめって地面に手を着いて倒れてしまう。
「おわっ!」
宗次郎は慌てて身を起こした。宗次郎が倒れた先は道路だった。その鼻先を配達のバンが速度を上げたかすめていった。
「この……くそ……」
宗次郎が毒づきながら体を起こして周囲を見渡すが、
「何処行った?」
速水の姿はもうあとかたもなく消え失せていた。