四、クラスメート 10
「いい、ジョー? あなただけが頼りよ」
河川敷で膝を曲げてかがみ込み、雪野がジョーの目を覗き込んだ。
鳥だ。水鳥だ。ペリカンだ。何処から見てもペリカンにしか見えない鳥類の眼球だ。雪見のはそんな水鳥の目を何処までも生真面目にじっと覗き込む。あまつさえ雪野はその両の翼をも己の両手で包み込むように握った。
「ペリ……雪野様……」
雪野にじっと見つめられ、その上両の翼を握り締められ、不思議生命体を名乗る非科学なペリカン――ジョーは感無量と言わんばかりに目の端に涙を浮かべた。
「あなただけが、花応を守れるのよ」
「そこまでこのジョーを――ペリ……」
「私は部活で戻らなくちゃいけないけど。いい? 花応の安全はあなたにかかってるわ」
「ちょっと雪野……」
花応がこちらは両の腕を胸の前で組んで、そんな一人と一匹を眉間に皺を寄せて見下ろしていた。
花応の背後に流れる川は結構な水量を見せている。都市部を流れる川としては充分に河川敷がとられており、その両岸でベンチなどが設置され人びとの憩いの場となっている。実際今も花応の後ろをランニングを楽しむ男性が通り過ぎた。
花応のマンションの近く。昨晩小金沢鉄次を倒した河川敷だ。夜とは打って変わった、陽の光を受けた河川敷の光景。
緑多いこの川べりは、陽光を受けて眩しい陰影を作り出している。それでいながら天頂からは傾いている陽は、優しい光を送りきておりその厳しさを感じさせない。川面に反射する陽光と、緑が作り出す陰影が南に下る川に何処までも続いていた。
「ぺり……」
そんな河川敷で、ジョーが何処までも生真面目にうなづいてみせる。
水鳥に語りかける女子高校生。何度もうなづくペリカン。
そんな雪野とジョーの組み合わせに、川を散歩にきた若い親子連れが遠巻きに通り過ぎていった。ベビーカーを押す母親は足早に立ち去ろうとし、その中の子どもは好奇心から身を必死に乗り出そうとする。
「ペリカン!」
「しっ! 危ないから! ダメよ!」
そんな会話まで聞こえてきた。
「ううん。花応の人生がかかってるって言ってもいいわ。花応の人生――預けたわよ」
「ペリ……」
道ゆく市民に危険視されていることにまるで気づいた様子も見せず、いつまでも雪野とジョーはうなづき合う。
「いや、雪野……さっきまで川で水浴びしてた水鳥に、勝手に私の人生預けないでくれる?」
花応が目をつむり、顔を赤くして抗議の声を上げた。
「何を言ってるのよ、花応。私は演劇部、彼氏は新聞部。二人とも部活があるもの。ジョーに守ってもらうしかないわ」
雪野が曲げていた膝を戻し、ジョーから手を離して花応に向き直った。
「『彼氏』? あんた彼氏いたの?」
花応の眉がピクリと一つ跳ね上がった。
「いないわよ」
「じゃあ、何の話よ?」
「河中の話よ。ズボン繕ってあげちゃう仲でしょ? もう、つき合ってるも同然でしょ?」
雪野がきょとんと花応を見つめ返す。
「――ッ! ななな、何言ってくれちゃってんのよ! アレはアレよ! ただのバカよ!」
花応の頬は更に真っ赤になる。
「『ただのバカ』が反論になってるかともかく。知ってるわよ。まだ、アレが彼氏じゃないのは」
「『まだ』? はぁ!」
「あはは! 冗談冗談!」
「あんたね……何でそう、人をくっつけたがるのよ……」
花応が苦々しげに奥歯を噛み、組んだ腕に力を入れる。直立させた足先は踵を残してつま先を上げ、何度も河川敷の砂利を苛立たしげに叩いた。
「そりゃ、入学以来毎日一人で無愛想にしてる娘が。男子のズボン縫って上げるって言い出すんだもの。気になりますわ。友人として」
「見ててもみっともなかったじゃない! 少しは話をするあいつが、ズボンに穴空けて寄ってくるのよ! こっちが恥ずかしくなるわっての!」
「ふーん。そんなけ?」
「ふん! それに私の縫い糸は、桐山ケミカル自慢のポリエステル製! 桐山の科学力を見せてあげただけよ!」
「あはは。花応らしい。まあ、いいわ。それはまた後でからかうとして――」
雪野はにやける頬を隠そうともせずにジョーに振り返る。
「もう、結構よ」
「いい、ジョー。花応にべったりついてなさい。四六時中よ」
「ペリ!」
ジョーが両の翼をビシッと体に畳み込み、直立不動の姿勢をその丸い体でしてみせた。
「だから! 一日中ジョーにまとわりつかれるなんて、まっぴらご免よ!」
「むむ。そうはいかないわよ、花応。速水さんの狙いが分からない以上。用心するに越したことはないわ」
「まあ、そうなんだろうけど……力持ってるだけで、こっちを襲ってこないと戦い辛いんでしょ?」
「あんなこと言ってたけど、絶対いつか仕掛けてくるわ。私ならいいんだけど、花応なら先ずはジョーに守ってもらわないと」
雪野が身ごと首を振り向かせる。視線の先は何の変哲もない河川敷の一角。だがそこはまさに昨晩小金沢を倒した場所だった。
「別に……あんたならいいって訳でもないでしょ?」
「力を持ってると精神のバランスを崩すわ。大抵は攻撃的にね。そして力を試したくなる。一般人を襲ったり、強敵を求めたりね。どっちも私の出番よ。なら、最初から私を狙ってもらった方がいいわ」
「雪野……」
花応が胸が痛んだかのようにその胸の前で拳を握る。
「そんな顔しないで花応。これは私の使命だもの」
「でも……わざわざ戦いを望むなんて……」
「そう……私は臨む。戦いに臨む。私自身が戦いを望むかのように、望んで臨む……」
雪野が静かに歌うように小さく呟く。それは校舎の中庭で多くの教師と生徒の記憶を操った時のような、台詞めいた調べをはらんだ呟きだ。
「雪野……」
雪野の目が怪しく光る。花応がその様子に恐る恐る話しかける。
「それに……あの娘には、私自身に怨みがあるもの……」
花応に名を呼ばれ、雪野はふっと自虐的な笑みを浮かべてうつむいた。
「えっ? 『怨み』? 何のこと?」
花応がうつむいた雪野の顔を思わず下から覗き込むと、
「だって! あの娘がちょっかい出してきたお陰で! 花応が河中に繕ったズボンを返す――っていう、ラブラブイベントがうやむやになったのよ!」
その雪野は自虐的な笑みを一瞬で振り払い、わざとらしくも目をくわっと見開いて顔を上げた。
「はぁ!」
「不器用に縫われたズボン! 恥ずかしげに手渡す花応! 勿論花応は照れながらも礼を言う相手の男子に、科学力がどったらこったらとわざと連れない態度をとるわ! その光景を私の心に焼き付けるつもりだったのに! あの娘のお陰で台無しよ! 何だかうやむやになって、事務的に手渡しただけになっちゃったじゃない!」
雪野が悔しげに拳を握って力説すると、
「知るか! 早く部活にいけ!」
花応は真っ赤になってその腰を押し出した。