四、クラスメート 7
「な……」
雪野が言葉を失ったようにうめいた。心配げに視線を送ってくる花応と、その花応をかばうように立つ宗次郎。二人を背に雪野はしばし立ち尽くす。
他の生徒達は三々五々教室から出て行った。皆がドアからの去り際に、チラリと雪野達に視線を送ってから出て行く。やはり速水の言葉通り、興味はあるがかかわりたくはないのだろう。
「どうしたッスか? 力を手に入れただけで――」
速水はその細い眼差しで、見透かしたように雪野を見る。
「……」
「敵扱いッスか?」
答えない雪野に速水は笑みで続ける。柔らかく人懐っこい笑みに見えて、何処かその笑みそのものが壁のようなものを作り出している。
「だから……」
「『だから』? 何ッスか?」
「だから、そんな力に頼っていいわけないわ」
答える雪野は言葉に力を入れようと思ったのか、両の手で握った拳に代わりに力を込めた。
「雪野……」
そんな様子に花応が後ろから雪野を心配げに覗き込んだ。
「大丈夫よ……」
雪野は花応に応えながらも、速水から視線を外さない。
「力イコール敵ッスか? なるほどね……」
壁がすっと消えた。そんな感じに速水の笑みは一瞬だけ本心からのものに変わる。
「何よ?」
「別に。自分は千早さんと戦う気はないッスよ」
だがその笑みはやはりすぐ壁に戻る。顔の前にある壁なら、それは仮面の笑みなのかもしれない。本音と建前の笑みがくるくると変わったようだ。
「でもその力を使うんでしょ?」
「そうッスね。せっかくもらったんだし、使うッスね」
速水は肩に担いでいたカバンの位置を直し、あらためて担ぎ直した。
そして速水の笑みはもう一度変わる。それは人に向ける為の建前の表れや、本心の現れを示す笑みではなく、単に日常の――人間関係の潤滑油のようなありふれた自然な笑みに変わる。
「だったら……」
「でも、千早さんと戦う気はないッスよ。弱らされないと力奪われることもないって、ちゃんとささやかれてるッスよ」
速水はこの話はもう終わりと言わんばかりに、肩にカバンを担いだまま歩き出し雪野の横を通ろうとする。
雪野のすぐ後ろには花応と宗次郎が二人して状況を見守っていた。もう教室には花応達四人しかいなくなっていた。他の生徒は天草を含め全員帰宅か部活に向かったようだ。
「――ッ! 話は終わってないわ」
その二人を守らんとしてか、雪野は勢いよく振り返る。
「……」
宗次郎も半歩身をずらして花応を背にするように立った。
「正面切って戦うなんて、するだけ無駄じゃないッスか。自分は千早さんの敵じゃないッス。だから話は始まっていないんで、終わることもそもそもないッスよ」
速水はくるり振り返り、宗次郎の背に隠された花応に一瞥を送りながら応える。
「そんな理屈――」
「それともあれッスか? 力をもった人間が敵対してくれないと――」
速水がそこまで口にすると、その姿が一瞬で見えなくなる。
「――ッ!」
その場で思わず目を剥く花応、雪野、宗次郎の三人。その三人の驚きを向こうに、速水の声だけ聞こえてきた。
「千早さんは困る系な人ッスか?」
「な……ななな……」
雪野の顔が真っ赤に染まっていく。
「えっ? 何処? 何処から? 何処に……」
「何処だ? 消えたぞ、おい!」
目の前から消え声だけ聞こえてくる速水の姿を探して、花応と宗次郎が反射的に周囲に首を巡らせた。
「私が『困る』――ですって……」
雪野にだけは相手の姿が追えていたようだ。雪野は驚きに目を剥いた後、直ぐにその姿を求めて教室の前に顔を向けていた。
「そうスッよ」
「この……」
雪野の顔は見る間に赤くなっていく。どうやら相手の力を目の前で見せつけられたことよりも、その指摘に反応しているようだ。
「おいおいおい……」
宗次郎がカメラをポケットから取り出し、教室の前方の入り口に立つ速水の姿をそのファインダーから覗こうとする。
「河中! 困るッスよ、いきなり写真なんて! 髪ぐらい整えさせて欲しいッスよ! あと、男子に売るのもなしッスよ!」
その様子に両腕を目の前に突き出し、速水はわざとらしくも慌てた様子で両手を左右に振った。
「あ、いや……」
「てか、今撮っても普通のピンナップ写真ッスよ! まあ、自分可愛くないんで、男子には売れないと思うッスけどね!」
「待ちなさい!」
雪野が叫ぶや否や駆け出す。
「待たないッスよ。自分、何だか足止め食らっちゃったんで――」
速水は駆け寄る雪野に軽く手を振りながらドアの向こうに消える。
「話は終わってないわ!」
雪野がその後に続く。
「ちょっと、雪野!」
花応が廊下側の開いていた窓から身を乗り出して、ドアの向こうに消えた二人の姿を目で追った。その上から花応よりも更に身を乗り出し、宗次郎がカメラを廊下に向ける。
「ちょっと……河中……女子の上に、乗んな!」
「スクープの為だ! 我慢しろ!」
だが叫ぶ宗次郎のカメラがとらえたのは、教室の前で悔しげに拳を握りしめる雪野の後ろ姿だけっだった。
「あはは! やっぱり〝速く〟帰るッスよ!」
速水の姿は廊下の遥か奥、階段の向こうに消えていた。