一、科学の娘6
「酷い目に遭ったわ」
花応は学校の机に突っ伏すようにへたり込んだ。
周りで誰かが聞いている訳ではない。花応の周りにはそれぞれの生徒が席に着き、もうすぐ授業が始まるのか教科書の用意などに追われていた。
「独り言とは……我ながら非科学だわ……」
花応は『非科学』と口に出しながら、それでも独り言を続ける。
生徒が集まり、授業が始まる束の間の時間。皆がそれぞれに昨日の話題や、今日の授業などについてとりとめのない会話を交わしている。
「……」
花応の周りには誰もいない。一人窓際に座り、教科書も出してしまうと、早々にすることもなくなった。
だから一人突っ伏し、独り言も呟いてしまうのだろう。
「きゃはは! バッカでぇ!」
「何で、ジャージなんだよ!」
その花応の耳にクラスメートの嬌声が否応無しに届いてくる。
バカはあんたらよ――
花応はそう呟く。それは先程の独り言とは違い、何処か乾いた声色だった。
そう、かかわらないように。そして巻き込まれないように。届かないように――花応は小さく呟く。
「……あの、止めて……」
続いて届けられた弱々しい声。
「……」
花応はチラリとそちらを見た。
何故か一人の女子生徒が制服ではなくジャージを着ていた。その生徒が大勢の他の生徒に取り囲まれている。
「はぁ? 『止めて』って何よ? 人が心配してやってんだろ」
「えっと……その、朝からずぶ濡れに……」
ジャージの生徒は怯えたように身を縮こまらせ、周囲の女子生徒をおどおどと見上げていた。
「そんな態度だから、標的になるのよ……」
花応は今度も一人呟く。
「あぁん? 何? 朝から水でもかぶったっての?」
「何で、朝から水、かぶるのよ? バカなの?」
「何? 何? いじって欲しいの? そこまでして、私らの相手して欲しいの? きゃはは!」
「……あの、その……」
周囲の生徒はかぶせるように質問をしてくる。ジャージの生徒はそのいちいちに答えられない。
「とれーよ。自分のことだろ。とっと答えろよ」
「……えっと、大したことないんだけど……」
「ああん! 声、ちっちゃ! 聞こえないって! てか、本当はどうでもいいし!」
「ちょっ! 興味なくすの、早っ! あはは!」
「でも、ジャージで授業、マズくね? 脱げば?」
「え……」
はやし立てる周囲の生徒の最後の提案に、ジャージの生徒は固まってしまう。
「いいね。どうせ、こっちも『大したことない』んだろ? 貧相な下着で授業受ければ?」
「あはは! そのイケてないジャージより、よっぽどいいかもね!」
周囲の女子生徒達はお腹を抱えて笑い出した。
「そんな……」
ジャージの生徒はオロオロと周囲に助けを求める視線を送る。
花応はその生徒と目が合う前に視線を前に戻した。
「非科学だわ……」
花応は呟く。
だが嬌声だけは顔を前に向けても、きっちりと教室中に響いて行く。
ジャージの女子生徒は実際に服を脱がされかけているようだ。周りの生徒と揉み合う物音が、否応無しに花応の耳に届く。
「ホント、非科学ね……きっぱり断ればいいのに……それか、私みたいに、バカの相手はしなけりゃいいのよ……」
「あの、止めて……」
その行為はエスカレートしているようだ。
初めは本気で脱がす気などなかったのかもしれない。だが嫌がる生徒の態度が、周囲の生徒の嗜虐性を刺激したのか、それとも単に止め際が分かりかねるのか。ジャージはその柔らかい生地のせいも相まって、女子制度の柔肌をあっけなく曝そうとしていた。
いい加減にしなさいよ――
花応は内心、そう苛立ちの声を上げる。
非科学だわ……何の生産性もないじゃない――
花応はやはり口には出さない。それでも我慢できなかったのか、視線だけはチラリとそちらを見てしまう。
そうよ……かかわらない方が生産的よ……科学的だわ――
花応は視線を元に戻そうとする
白い下着が見えた。
「ちょっと……」
花応が思わず立ち上がろうとした。
ちょっとは、私よ……かかわろうとするなんて、非科学な――
花応は己の考えとは裏腹に出た言葉に、内心舌打ちしながら立ち上がる。
その時――
「何をやってるの!」
花応のその小さな声も、助けを求めるか細い声も、教室中にまき散らされていた嬌声も。
その全てを呑み込んで――凛とした声が教室の入り口から響き渡った。
がらりと開けられた教室の入り口。
険しく、厳しくも、凛々しい視線を投げかけて――
「何をやってるのって――訊いてるのよ!」
一人の女子生徒がそこには立っていた。
2015.11.12 誤字脱字などを修正しました。