三、敵17
「マジッスか? センパイ? 何かめっちゃダサイッスよ。何やられちゃってんスか?」
河川敷の闇に突如響く軽い口調。声の主は若い女性のようだ。
河川敷の砂利を小さく踏み鳴らし、その少女とおぼしき人物は近づいてきて立ち止まる。
「あぁん……」
応えたのはいまだ河川敷に座り込んだままの小金沢鉄次だ。人の体に戻り希ヨードチンキに濡れた服で、小金沢は近づいてきた少女を見上げる。
小金沢の視線は完全に座っていた。その陰にこもった瞳で力を失った男子生徒は目の前の少女を睨みつける。
「誰だ?」
「ちわッス。センパイ」
「あぁん! だから誰だって聞いてんだよ!」
己の質問に答えない少女に小金沢が噛みつくように吠えた。
「あはは! 聞いてる通りのダメっぷりッスね? 可愛い後輩女子にマジ切れとか、ホント感じ悪いッスね」
「ああっ!」
「ほら、そうやってすぐ喚く。ダメッスよ、センパイ。これが告白にきた健気な一年女子だったら、どうするんッスか?」
「てめえ……ウチの一年女子か?」
小金沢がじろりと見上げる。
後輩女子だと告げる少女は、トレーナーにジーンズとラフな格好で小金沢を見下ろしていた。
「それにしても、今時河川敷でコクリってありッスか? 知ってます? もうちょっと下流の繁華街まで下ると、等間隔にカップルが座ってるッスよ。この川名物なんスよね」
「だから、聞いてんだろ? ウチの一年か?」
「そうッスよ。残念ながら、告白のオプションはついてないッスけどね。ああ、コクるんなら、もっとカッコいい人にするッスから。今後も期待しないで下さいッスね」
「……」
「怖いッスね。そんな目に力入れたって、女子は落ちないッスよ。カッコいいと思ってんスか?」
「ああん!」
「あはは! ワルぶってもダメッスよ! もう、充分センパイのカッコワルいところは、充分に見せてもらいましたから」
「……てめえ、〝ささやかれた〟口か……」
小金沢が立ち上がった。膝に力が入らないようだ。小金沢は最後は一つよろめいてから立ち上がる。
「まあ、母性本能に訴えるって手も、なきにしも――なきにしも何でしたっけ? あは! 自分がカッコワル! 難しい言葉とか、分かんない癖に使おうとして!」
「あのな……聞いてんだろ……てめえも、ささやかれた口かってな? 何度も、二度聞きさせんじゃねえよ……」
「そうッス。でも、ささやかれるのは、耳じゃないッスか? センパイ『口』にささやかれたんスか?」
「はぁ?」
「あは! アレ、男の声でしょ? うわ! キモッ! リアルだと、気持ち悪いって初めて知ったッすよ! 本だと徹夜で読んじゃいますけど! ああ、自分は借りるだけッスよ! 自分で買ってまで、ああいう本は読もうとは思わないッス!」
女子生徒は手を前に突き出して左右に振った。わざとらしいまでの照れと否定をその仕草で示してみせた。
「そんなことは聞いてねえよ! ささやかれて力を手に入れて、わざわざ俺の様子を見に来たのかよ?」
「ああ、でもあれって、読んじゃいますよね! 女子の想像力ハンパねえ! やべえって! 続きものだと、自分で買ってしまいそうに――」
「だ・か・ら! 何でてめえは、人の質問に答えないんだよ! わざわざ見にきたのかって訊いてんだよ!」
「そうッスよ。せっかちッスね、センパイは。ついでに力を得た人間の戦い振りを見てみろって言われて、とりあえず見学にきたんスけど。いやはや、こんなに早く一人で終わっちゃうなんて。やっぱせっかちなんスね、センパイ。こんなんじゃ、彼女できても捨てられる心配した方がいいッスよ」
すごむ視線を送ってくる小金沢。それに物怖じした様子も見せず、女子生徒は何処までも軽い口調で答える。
「ああん!」
「おお、コワ! 怖いッス! センパイ! 男の腕力で、女子に言うこと聞かせる系ッスか? たった今、失敗したみたいッスけど!」
「……何の力だ?」
「てか、センパイ。金の力って、噂のまんまじゃないッスか? 何狙ってんスか? 成金の陰口そのままなんて!」
「だから! 何の力だって、聞いてんだよ! 毎度毎度質問してんのは、俺の方だろ!」
小金沢が業を煮やして女子生徒に詰め寄る。そのまま相手のトレーナーの衿を乱暴に掴んだ。トレーナーの裾が持ち上げられ、ジーンズとの間に薄やみにほのかに目を引く肌があらわになる。
「はぁ? 答える必要あるッスか? 一人で先にいっちゃった、お早いセンパイに?」
伸びるトレーナーをされるがままにし、女子生徒は頭半分高い小金沢をねめつける。
「てめえ……」
「それともアレッスか? 脅すフリして、ちゃっかり後輩女子の胸元をチェックしようっていう、エロい系ッスか?」
「な……」
「あは! 視線が三十センチ程、下にいってるッスよ。脅すんなら、こっちの目を見て睨んでくれます? それともヘソも出ちゃってますから、そっちも見るッスか?」
「この!」
小金沢が乱暴に女子生徒の衿を放した。
「あはは! でもびっくりッス! あれ、優等生じゃないッスか? いけ好かない不機嫌お嬢様も居たし! 知ってるッスよ、あの二人! 記者ごっこバカはともかく、あいつら普段からいけ好かないッスよ! あいつらが敵? うはっ、やべ! テンション上がってきた! センパイ! 取り合えず、腕試しさせて下さいッス!」
手を離した小金沢に今度は女子生徒が手を伸ばす。女子は逃げられないようにする為にか、自分より背の高い男子生徒の肩を両手で掴んだ。
「おい……止めろ……俺はもう、力を失って……」
「もう、我慢ならないッス!」
「だから、止めろって言ってんだろ! 人の話を――」
立っているのがやっとだった小金沢は、女子生徒の手を振りほどくことができないようだ。
「結構気に入ってるスよ。この力――」
完全に闇に沈んだ河川敷。女子生徒が妖しい笑みを浮かべると、
「――ッ!」
小金沢の声にならない悲鳴がその闇の中にこだました。
「あははは! サイコーッス! いい悲鳴ゴチッス!」
そしてそれを追いかけるように、女子生徒の歓喜に満ちた喚声が続いた。
(『桐山花応の科学的魔法』四、敵 終わり)