三、敵14
「さてと」
いつの間にか息を整え立ち上がっていた雪野が、薄やみの中ゆらりと振り返る。
「眩しいわね! いきなり何すんのよ!」
「あはは! 悪い悪い! てか、痛いから止めろって!」
「……」
ぽかぽかと宗次郎の頭を叩き始めていた花応の脇を抜け、苦しげに地に伏す男子生徒に雪野はすっと近づいた。
「ペリ」
お供するつもりか、それとも今でもそこがまだ一番安全だと思ったのか、ジョーが雪野のスカートの後ろに隠れるようについてくる。
「さて、小金沢鉄次先輩」
「あぁん! 気安く人の名前呼ぶんじゃねえよ!」
雪野がゆっくりと近づいてきて相手を見下ろすと、小金沢と呼ばれた男子生徒はその視線を声で打ち払わんばかりに言い返してくる。
「ああ、そんな名前なんだ」
「ああ! その名前、二年の!」
同じ『ああ』にどうやら違う感情を込め、叩く花応と叩かれていた宗次郎が振り返る。
「そうよ、河中。この人は二年の小金沢先輩。直接お話しするのは、初めてですね、先輩」
「けっ……知るかよ……」
「何よ、二人して? 何で二年の先輩の名前なんて、知ってんのよ?」
自分以外は相手の名前を知っていた。そのことに花応が眉間に皺を寄せて不機嫌な顔をしてみせる。
「先輩はちょっとした有名人だしな。新聞部の俺としては、当然チェックしてる」
「そうだよ! この学校で俺を知らない、てめえが生意気なんだよ!」
男子生徒は動かない体を僅かによじり、花応に憎悪に歪んだ顔を向ける。
「はん。知らないわよ。何で入学したばかりの私が、新聞部のこいつみたいに、いちいち他の生徒覚えてなきゃなんないのよ」
花応は拒絶の意志を表す為にか、固く腕を組んであからさまに河川敷に倒れている小金沢を下に見た。
「ああ! 俺をそんな目で見んじゃねえよ! 言ったろ! 俺はそんな軽んじられていい人間じゃねぇんだってな! 俺はお前が入学してくるまで、こういうことに関しては、一番注目を浴びてた人間だったんだよ!」
「はぁ? 何それ? 何であんたが、私に対抗意識燃やしてんのよ? 『こういうこと』って何よ?」
「やっぱりそうかよ! 俺なんか眼中にないってか――」
小金沢はいびつに歪んだ金色の手で立ち上がろうとする。
「桐山ホールディングスの跡取りお嬢様は! 俺らとはレベルが違いますってか!」
「――ッ! な……」
花応が組んでいた腕の奥で、ギュッと拳を握りしめた。それは怒りによるものだったのだろう。同時に花応の奥歯がぎりりと噛み合わさられる。
「そうだろ! 桐山ケミカルを中心とした桐山ホールディングスグループ! 桐山メディカルに、桐山マテリアル! 中核企業をちょっと上げただけで、どれも何処かで聞いたことのある名前ばかり! 何でこんな学校にいるんだってぐらいのお嬢様じゃねぇか! てめえはよ!」
小金沢は立ち上がれなかった。一度着いた手を滑らせてしまい、もう一度地面に顔から落ちてしまう。
「……」
花応の瞼が押さえ切れない怒りにか痙攣するかのように震えた。
「……」
雪野と宗次郎がそんな様子の花応にチラリと横目で視線を送る。
「俺の親父はな! 地元じゃ知らない人間は居ないってぐらいの会社やってんだよ! この辺じゃ皆、親父にへこへこ頭下げてんだよ! 勿論俺にもだ! 俺が少々ヤンチャしたって、誰も俺には逆らわねぇ! 俺は皆に一目置かれて当たり前だったんだよ! それが! それが――」
「『それが』――何よ……」
花応が絞り出すように先をうながす。腕はまだ組んだままだ。
「それがよ! はぁ? 何だ? 二年になったら、俺が集めてた注目が! 全部てめえに移ってんじゃねえか!」
「そんなの、桐山関係ないですよ?」
宗次郎が心なしか花応の方に身を寄せる。発言の内容そのままに花応を守ろうとしたようだ。
「『関係ない』? そうだよ! まさに俺のものだった羨望の眼差しを、こいつは関係ないって顔で無視してやがった!」
「……」
花応が無言でうつむいた。
「だけど、てめえの財力はマジ半端ねぇ! どうすることもできずにイラついてたらよ! 変な声が〝ささやき〟やがった!」
「――ッ!」
雪野が小金沢の言葉に魔法の杖をぐっと握り直す。
「力が欲しくないか――ってな! 欲しいに決まってんだろ! 金の力が欲しいと思ってたらよ、金の力が手に入ったのは、我ながら笑っちまったがよ――まあ、いいさ! 桐山に負けず劣らず〝はぁ?〟って言いたくなるような、生意気な力を持った新入生がいるって一緒にささやかれたからよ! そうだよ! この学校には魔法少女がいるってな!」
「……」
今度は花応と宗次郎が雪野の様子を盗み見る。
「笑えるぐらい生意気じゃねえか! 魔法少女だぜ? どんなに普通の人間が頑張ったって、手に入れることのできない力を持った人間がいるなんてよ! だけどよ、そいつをぶちのめして、俺はやっぱり特別だって証明してやろうと思ったら――すっげぇ気分がよくなったぜ! 何よりこんな力をもらえたんだ! やっぱり俺は――」
小金沢の視線は誰にも向けられていなかった。ただ視線が自然と向く地面を見つめて一人で話し続ける。
「言いたいことは、それだけですか……」
相手の独白を途中で遮るように、雪野が魔法の杖を小金沢に突きつけた。
「……」
小金沢の目は未だに金だ。その金の目で小金沢は雪野をじろりと睨み返す。
「力なんて……過ぎた力なんて――ない方がいいですよ……」
雪野が魔法の杖をふるうと、金色の男子生徒の憎悪に歪む顔が眩しいばかりの光に覆い隠された。