三、敵13
「おいあい、ホントに大丈夫なのか? こいつ」
宗次郎が雪野の脇についていた膝を上げた。膝から崩れ落ちた男子生徒を見下ろす位置に身を置くと、やはり心なしか花応の身をかばうように立つ。
「大丈夫よ、河中……もう立ち上がれないみたいよ。ヨードのお陰ね」
花応が己を隠してしまった宗次郎の背中から、背筋だけを傾けて男子生徒を見下ろす。
「……」
男子生徒はもはや悔しげに睨み返してくるだけだ。
「いや、立ち上がれないんだろ? 俺はこいつの体の方を、流石に心配したんだけど?」
「天草さんの時も、原形を止めないほど、ぺったんこにしてやったんだけど――」
「ぺったんこ?」
「そうよ。あの娘の力は高分子ポリマーになる力だったの。それも高吸水性のポリマーね。だから思いっきり水をぶっかけてやったわ。昔しなかった? スライム作る実験。水の量を間違えると、残念な結果になったじゃない? あんな感じにぺたんこにしてやったわ」
「イヤ、そんな実験やったことはないし、残念な結果も知らないって。てか結構ひどいな、お前……」
宗次郎が背後に立つ華奢な体つきの少女に振り返る。宗次郎の背中に隠れる形になっていた花応は、そのような庇護の必要性が感じられない程不敵な笑みを浮かべていた。
「でね。雪野が相手の力を奪ったら、あら不思議。普通の人間に戻ったわ。ホント、非科学だわ」
「そうか……」
「そうよ」
花応がもう一度相手を見下ろす。やはり何処か満足げだ。
「……」
宗次郎が振り返ったまま花応のそんな表情をじっと見つめる。
「何よ?」
「イヤ、何。そんな非科学的なことも、随分と嬉しそうに語るんだな――って思ってな」
「な? 私が非科学的だっての?」
花応は一瞬で真っ赤になる。それは怒りかによるものか、照れによるものかは、この薄やみでは誰にも分からなかっただろう。
「そうは言ってないが。やっぱアレか? 友達のことは自慢かなって思ってな」
「はぁ? 何言ってんのよ。たく。雪野、動ける?」
花応はぷいっと首を振り視線を宗次郎から逃した。そのまま後ろに座り込んでいる雪野に振り返る。
「ちょっと、息だけは整えさせて……」
花応に渡されたハンカチを顔にあてていた雪野が、そのずぶ濡れの体で今は首筋を拭いていた。
「やれやれ……てかこれ、現実なのか……」
宗次郎が周囲を見回した。
己が居るのは何故か質量のある煙幕の中。そのほぼ中心点に金属でできた男子生徒が転がっている。人としては少々おかしなところに新たな関節を作っているその男子生徒。街灯の灯が頼れない中でもその体は、おかしな関節をもたらした材質の特性故に金属質に光っていた。そしてそんな体なのに苦しげに己が身を抱えて震えている姿は何処かやはり人間にしか見えない。
宗次郎が男子生徒から目を転じた。その男子生徒と直前まで戦っていた同級生が、小さなハンカチで己の顔を拭いていた。膝を河川敷に直に着いて座るその女子生徒は、その足先も素足だった。この女子生徒は素足で外にまさに飛び出した。そして河川敷で立ち回りをやってみせた。宗次郎の視線の先のその素足には全く怪我のようなものが見当たらない。
そして煙幕の目隠しを作り出した水鳥が、その女子生徒に何やら気遣いの言葉を投げかけている。何かできる訳でもないのに、何かしようと女子生徒の周りをあたふたとただ歩き回っている。その動きは何処か人間臭い。
「……」
宗次郎が手に持ったままのカメラを持ち上げようとした。
「撮るの?」
「……」
宗次郎はこの混乱を終わらせた少女に背後から声をかけられる。そして応える代わりに一つ息を呑んで沈黙した。
「止める権利があるのかどうか、私は知らないけど……」
「……」
宗次郎の手はファインダーを覗く寸前で止まる。
「そりゃ、河中の性格からすれば、この目の前の現実から目をそらすのはダメなんだろうけど……」
「……」
「誰も信じないんじゃないの……それに、そっちの男子はどうでもいいけど、雪野はその――こんなことで名前が知られちゃうと、普通の生活が……せめて私が科学的に倒したとこだけ取り上げてさ、私だけ矢面に……」
「……」
少女曰くこれは科学的な結果らしい。宗次郎は沈黙のまま花応の訴えに耳を傾ける。
「ねえ、河中ってば……」
「……」
「ちょっと……」
「何だろうな……俺は何で〝こんなに〟不思議に思ってないんだろうな?」
宗次郎が覗く寸前まで上げたカメラで、己の肩をやれやれと言わんばかりに叩く。
「ん? 不思議は不思議でしょ? まあ、私だからこそ科学的に対処したけど」
花応が宗次郎の顔をそれこそ不思議そうに覗き込んだ。
「イヤ、そうじゃなくって……あのクラス一無愛想で不機嫌面な女子――桐山花応が、クラスメートの心配をしていることがだよ」
「なっ?」
「雪野の生活も心配し、俺の信条にも気を使っている。俺がついこの間まで知っていた桐山は、一体誰だったんだろうってな」
「はぁ?」
「桐山は別に無愛想でも、不機嫌が素って訳でもない――」
宗次郎はそこまで口にすると振り返り、
「キャッ!」
何げない仕草でファインダーを覗き込みシャッターを切った。カメラのフラッシュが焚かれ、花応が今度は自分だけが目を眩まされて小さな悲鳴を上げる。
「普通の女の子だ。俺が今日暴いた真実は、それだけで充分だな」
宗次郎がカメラを顔の前からどけると、大きく頬を膨らませた花応が眩しげに目を細めて友人の笑顔を迎えていた。