三、敵3
「へっ? 『いたわ』って、雪野? あんた――」
ジョーをベランダに再度突っ伏しさせた花応が、驚いたように背中を見せたままの雪野に振り返る。
「ああ! 桐山! ペリカンが気絶しちまったじゃねえか! これじゃ、しゃべってるところ録れないだろ!」
ベランダの床に突っ伏したまま動かなくなったジョー。そのジョーに宗次郎がカメラを向ける。
「知るか!」
「仕方がない。とりあえず動物虐待現場の方を優先するか」
宗次郎はカメラのモードを静止画に切り替えたのか、ピクリとも動かなくなったジョーにシャッターを切り続ける。
「雪野この暗さで、何が分かるってのよ?」
花応はジョーと宗次郎を背後に残し雪野の背中に近づく。雪野となりに並んでベランダの柵に手を着き、街頭と通り過ぎる車のヘッドライトしか頼りにならない灯りに目を凝らす。
「分かるわよ。こっち睨んでるわ。まあ、睨み返されてることまで、見えてるかは知らないけどね」
雪野は己の言葉通り眼下を睨みつけている。
「そう? てか、光ってないわね。街灯の灯りはあるのに」
「普通の姿に戻ってるわ。私服ね。でも顔は分かるわ。二年生ね」
「この距離と灯りで顔が分かるのも凄いけど、何で二年生ってとこまで分かるのよ? まさか知り合い?」
「生徒会名簿に全部目を通してるだけよ」
「暇人ね」
「……」
雪野は応えない。険しい眼差しを眼下に向けたままだ。
「てか、あれね。ジョーを痛めつけて、私達の居場所をあぶり出したのね。卑怯ね」
「ええ……このまま襲ってくるつもり? それとも花応の家が分かったから、じっくり脅すつもりかしら?」
「思ったよりセキュリティのきついマンションで、考えてるのかもしれないわね」
「そうね……ジョー!」
雪野が振り向きもせずにその名を呼ぶと、
「ペリッ!」
ジョーが急に息を吹き返して立ち上がった。そのまま少々覚束ない足取りで雪野の下に歩いていく。ジョーは雪野の側に立つやこの嘴を拡げて突き出した。
「おお! ペリカンが復活した!」
宗次郎が夢中でシャッターを切る。
「ジョー。河中。花応をお願い」
雪野はようやく振り返ってジョーの嘴に手を突っ込むと、
「話をつけてくるわ」
そこから魔法の杖を取り出し険の抜けない眼差しのまま皆を見回した。
「話って、何? 私をお願いって、一人で行く気?」
魔法の杖を構える雪野に、花応が目を不愉快げに細めて訊く。
「そうよ。花応達はここにいて。危ないから」
「危ないのはあんたもでしょ?」
花応の目がピクリと一つ痙攣するように瞬かれた。
「……」
「おい、待てよ! 何だ、今それ、どっから出した?」
宗次郎が慌てたように近づいてきた。
「何だお前ら? 怪しいとは思ってたけど、何処まで不思議なんだ? それ何だ? オモチャか?」
「……」
花応と雪野は答えない。
「ジョーは不思議生命体ペリ」
代わって答えのはジョーだ。
「おお! やっぱりしゃべるのか? しゃべる時はしゃべると言ってくれ! 録画モードに切り替えるから!」
「しゃべるペリ」
ジョーが乾いた血を全身に張りつけたまま、何やらポーズをとろうとする。
「オッケー!」
「ちょっと、黙ってなさい! あんたらは!」
「ペリ……」
「ああ! 黙っちまうのかよ、ペリカン? 桐山、何とか言ってくれ! これじゃ録画の無駄だ!」
「うるさい! 雪野! 私も行くわよ!」
即興の撮影会を始めようとしたジョーと宗次郎を一喝し、花応はあらためて雪野に向き直る。
「花応……危ないわ……」
「一人であいつに何ができるっての?」
「……」
「でしょ?」
「そうね――でも、やっぱり危ないから、後から追ってきてね」
雪野はそう告げると、何の素振りも予備動作も見せずにベランダの柵を飛び越えた。
「――ッ! ちょっと、雪野! ここ何階だと思ってんのよ!」
慌てて眼下を覗き込んだ花応の視界の下に、見る間に小さくなっていく雪野の姿が映る。
地面に激突する寸前――ボッという小さな爆発音とともに、雪野の体が軽く弾んだ。雪野は爆風に煽られた体の体勢を空中で整え直し、膝を折り曲げてそのまま何事もなかったかのように着地した。
高い塀に囲まれた花応のマンション。その裏手の道路際に雪野が立ち上がる姿が小さく見える。
「地面に激突ってところで、爆発を起こして衝撃を和らげたの? 科学的に非科学なことするの止めてくれる! もう!」
花応は雪野の無事を確かめると自身も慌てたようにベランダの出口に向かった。