二、ささやかれし者15
「花応。明日から、一人で行動しちゃダメよ」
花応のマンション前。雪野はまるで子供に言って聞かせるかのように、人差し指まで立てて口を開いた。
大通りに面した花応のマンション。その入り口に至る歩道で雪野は何処までも真面目に人差し指を立てる。
「はあ? わざわざ遠回りまでして、私ん家まできたと思ったら、そんなことが言いたかったの?」
花応は眉間に皺を寄せ、あからさまに不満顔をしてみせた。
「そうよ」
「『そうよ』って。元より一人暮らしなんだから、一人で行動するに決まってんでしょ? これでも買物とかするんだから」
「ジョーを連れていきなさい」
雪野は何処までも真面目な顔だ。
「あんたは、私を近所の笑い者にする気?」
「それぐらい何よ。それと学校の行き帰りは、私が付き添うから」
「雪野は部活があるんでしょ? 演劇部? 行きはともかく、帰りまで付き添う気?」
「勿論。部活は休むか、花応を送ってから遅れて行くわ」
雪野の真面目な顔は何処までも崩れない。
「あんたね。真面目な顔して、冗談やめてよね」
「これは真面目な話。相手の正体が分かって、ちゃんと正気に戻すまで――ちょっと待ってね。電話」
雪野は唐突に話しを切るとスカートのポケットから携帯を取り出した。
「何よ? 突然電話してきて? あっ! そうね。メールしてたわね」
雪野はそこまで電話の相手に告げると、チラリと花応に視線を送った。
「何? てか、誰?」
「河中」
「河中?」
「そう。もしもし、聞いてるわよ。悪かったわよ、メールしておいて『何よ』とか言っちゃって。そっちこそ、メールしたんだから、メールで返しなさいよ。えっ? 何? メールなんかで、取材ができるか――って。何の話よ?」
「……」
長くなり出した雪野の電話に、花応が少々頬を膨らませ始める。
「今、それどころじゃないのよ。え、何? そうね……分かったわ。元よりそのつもりだったしね。いいわ」
「?」
電話口で何かが同意された様子に、花応が首を傾げて疑問の表情を雪野に向ける。
「分かった。場所分かる? そう河沿いのおっきなマンション――」
話に集中する為にか、雪野は背を丸めて花応の視線から顔を逃していく。
「えっ? ちょっと……」
「そうよ。その高級マンションよ。中も広いわよ。驚くから」
「ちょっと……それって、私の部屋……」
花応の眉が困惑にひそめられていく。
「じゃあね」
雪野が携帯を耳元から離すと、軽やかに花応に振り返った。
「やっぱり心配だから、今日は夜まで一緒にいるわ」
「それは、構わないけど……」
「それと、河中も呼んだけど、いいよね?」
雪野があっけらかんとそう告げると、
「えーっ!」
花応の困惑に寄せられていた眉は、何処まで大きく上げられた。
「ちょっと! ちょっと! どういうことよ! 雪野!」
花応は自分の部屋のドアを開けるや否や、慌てて室内に駆け込んだ。
それなりに散らかっていた花応の部屋。
花応は床に積み上げられていた本を机の上に移すや、そこにあった猫の縫いぐるみを元は本があった場所に移す。
そして猫の縫いぐるみの横に転がっていた雑誌を拾うや、今度も机の上に持っていく。雑誌を本の束の隣に置くや、先程置いたばかりのその本の束を持って今度は本棚に向かう。
だが本棚の空きはその本を全部入れるのには狭過ぎた。花応は本棚の前の床に本の束をひとまず置くと、中に挟まっていた雑誌類をまとめて引き抜いた。花応は引き抜いた雑誌の置き所に困ったのか、それをベッドの上に放り投げるようにして置いた。
「片付ける身にもなってよ!」
「片付けてるの?」
その様子を横目に見ながら、雪野は部屋の入り口でニヤニヤと笑っていた。
「そうよ」
花応はドタバタと自分の部屋を駆け回った。右に左にと散らかっていたものや、置いてあるものを先程と同じ調子で移動させる。
「入れ替えているだけに見えたけど?」
「――ッ!」
花応はやっと我に返ったように、自分の部屋をぐるり見回した。
何も片付いていない。散らかっていたものの場所が変わっただけだ。
「ああ、もう! 焦らすからよ!」
「焦る必要なんてないのに」
「だって! 河中に――男子に部屋見せるのに! 片付いてないと恥ずかしいじゃない! 女子として!」
花応は前にも増してドタドタと部屋を走り回る。
「花応もやっぱ、そういうところあるんだ?」
「あるわよ! 悪い!」
「悪くなんかないわ」
「ああ、もう片付かない!」
花応は一度は床に置いた猫の縫いぐるみを元の机の上に置くと、髪をかき上げながらヒステリックに叫び上げた。
「あはは。着替えてからくるって言ってたから、そんなに焦らなくっていいのに」
雪野はそんな花応の様子にニヤつく顔を収めようともせずに、窓際に向かって歩き出す。
窓の向こうに丁度ベランダに降り立とうとしているジョーの姿が映った。
「ジョー」
雪野は鍵のかかっていた窓を開けてやる。
「ペリ」
「今日、花応が相手に顔を見られたから。なるべく花応の側に――」
雪野が身を屈めてジョーに話しかけると、
「――ッ! あんたが一番片付いてなさい!」
「ペリッ!」
慌てて駆け寄ってきた花応が、ジョーの胴体を両手で鷲掴みにするやベランダの向こうに放り投げた。