十二、反せし者 59
「だからな彼恋。この包帯は雪野との友情の証なんだ」
花応が通学路を足元も軽く歩きながら右手を挙げた。そこに巻かれていた包帯を彼恋に突き出す。
川べりから離れた街中の大通り。雪野が先を行き、花応と彼恋が肩を並べて後ろについていた。
そのさらに後ろから着いてきているカバンを持ったペリカンに、通行人が時折ギョッと振り返っていた。
「何度も聞いたわよ。もう傷塞がってんでしょ? それなのに、包帯巻いてるのは非科学じゃないの?」
彼恋が吊り目を半目に細めた。
目の前で揺れる白い包帯の右手。その白色が眩しいのか、単に聞き飽きた話が煩わしいのか。彼恋の目はその光を拒絶するように細められた。
「傷跡もないくらい塞がったけど! ほら、巻いていたいじゃないか! やりたいことをやってるのは、精神衛生的に考えて、ひひひ、非科学じゃないぞ!」
「ホント、非科学ね……言い淀んでんなら、自覚あるんでしょ? ゴメンなさいね、雪野さん。バカな姉で」
彼恋が花応から目をそらして雪野に軽く頭を下げた。
「はは……」
少し前を歩く雪野が困ったように頬を掻く。
「恥ずかしいでしょ、ウチの姉? どういう風に転ぶかは、その時次第なんだけど。どうも一方に突っ走る癖があるのよね……昔から、迷惑かけられっぱなしだったわ……」
「まあ、話し出すとどこまでも止まらないのは、知ってるけどね」
「誰も科学の話なんて、興味ないってのに。一方的にしゃべるでしょ? 合わせるこっちの身になって欲しかったわよ」
「ああ! 彼恋! お前の頭なら、余裕だろ! あの頃はお姉ちゃん、いきなり親戚の家に預けられて、話し続けるしかなかったんだよ!」
「はいはい。で、今は友情自慢ですか? お尻が痒くなるようなセリフ、朝から聞かされる方が迷惑なんですけど?」
「むむ……それは彼恋が、朝の通学の会話に、宇宙の終焉の話を拒否するからじゃないか」
「宇宙終焉の話も。青臭い青春ものの話も。朝から遠慮させてもらうわ」
「せっかくこれからは、一緒に登校できるのに! もっといっぱい話したい!」
「じゃあ、もうわざと登校時間ずらそうかしら……」
「ヒドイぞ、彼恋!」
「はは……」
二人の会話を背に雪野は困り顔で前を行く。
「てか、花応。雪野さんに謝ったの?」
「何がだ、彼恋?」
「『何が』って、先日の騒動の時の最後よ。せっかく雪野さんが、あの騒ぎを避難訓練だったで納得させるところだったのに。あんたが騒いだことで、一回台無しになったでしょ?」
「ああ、あれか。大変だったな。いつもなら、あっという間にみんな雪野の言葉を信じるのにな。なんか、雪野。しどろもどろになって、うまくごまかせてなかったな」
「花応……あなたが、場の雰囲気も読まずに、彼恋さんに抱きついて飛び跳ねてたからでしょ?」
二人の会話に雪野は今度はこめかみを押さえる。
「そうだったか? はしゃぎ過ぎて覚えてないな」
「ええ、そのはしゃぎ過ぎなおかげで、真剣な空気が台無し……私はしどろもどろになりながら、皆をごまかす羽目になったわ……」
「そうだったかな? 彼恋の困り顔しか覚えてないな。ははは」
「たく……この姉は……」
「ははっ! ダメな姉ッスね!」
「そうでしょ……て、何いきなり入ってきてるのよ、颯子……」
彼恋が突然背後から聞こえてきた声に振り返る。声の主は振り返る前から分かっていたのか、彼恋はその吊り目の目尻をさらに吊り上げていた。
カバンを肩からぶら下げるように持った細い目の少女がいつの間にかそこにいた。カバンは中身に何も入っていないと思えるほど、薄く平らな状態だった。
「ペリ……」
そして本来その場所に居たはずジョーが尻餅をついて路上に取り残されている。
「何を怒ってるッスか? 彼恋ッチ! この力を使えば、かわいそうな野鳥を押しのけて、いきなり後ろに現れるなんて訳ないッスよ!」
軽薄な笑みを浮かべた速水が花応と彼恋の後ろから着いてくる。
速水は己の力を見せつけんとか、彼恋の左に右に、前に後ろにと次から次へと姿を消しては現れた。
「何を言って……てか、家の方向微妙に違うはずでしょ?」
「だってようやく、自分の名前を、彼恋ッチが呼んでくれるようになったッスからね」
「……」
「一時でも早く、会って、からかいたいに決まってるッスよ。魔法少女の力を使ってでもッス!」
「ふん……」
彼恋が速水から顔を隠すようにそっぽを向いた。
だが相手から離したはずのその顔は、
「ほら、もう一回。颯子って呼ぶッスよ!」
一瞬で前に回り込んだ速水に覗き込まれる。
「ふん、一日一回よ……」
彼恋は回り込んだ速水から更に視線を逃した。
「なんで一日一回ッスか! ほら、呼ぶッスよ!」
速水がそんな視線の先に再び現れると、
「ふん……」
彼恋は今度もそっぽを向いてしまう。
「ほら、ほら、ほら」
「ふん、ふん、ふん」
速水が現れる度に顔を背ける彼恋。その彼恋を追って何度も速水が現れては消えた。
「照れてる彼恋ッチも、いいッスね!」
「バッカじゃないの……」
「ははは!」
「ちょっと……痛いんだけど……」
彼恋の前で何度も高速移動を繰り返す速水の背中は、その度にその前を行く雪野の背中に無造作に当たっていた。
「おっと、失礼ッス!」
「速水さん……あなたね……」
雪野が立ち止まり背後に振り返る。
「おっと、千早さん。ぶつかったぐらいで、怒らないッスよ」
こちらを睨みつけてくる雪野の視線。それを速水は細い目で飄々と受け止める。
「そっちの、あなたの力の方よ……」
「おおっと、千早さん! 今更、力を奪おうとか、なしッスよ!」
「いいえ、奪わせてもらうわ……あの時は、どさくさに紛れて奪い損ねたけど……」
「おやおや……少なくとも、この力で、あの時彼恋ッチは守ったッスよ……あの時、千早さんは自分に彼恋ッチを任せっぱなしだったッスよね? 都合のいい時だけ黙認で、今は許せないッスか? 光の魔法少女様?」
「ぐ……」
「光の反対は光ッスよ! なら、自分も光ッス。ねえ、桐山さん」
「それは、あくまで『光子』の『反粒子』は光子自身って話よ。『電荷』を持たない光は、反物質の候補がないから」
「電荷がない? ビリビリしないってことスか、桐山さん?」
「そんな風にとらえられると、どう言っていいか分からないけど。
「よく分かんないッスけど、光の魔法少女様が、ビリビリと雷落とさなければ、自分も闇風吹かすことはないってことッスね!」
速水が再び歩き出し、雪野の肩を軽く叩きながらその身を追い越した。
「勝手に解釈して!」
「悔しかったら、追いかけてくるッスよ!」
「待ちなさい!」
雪野が振り返りすぐその後ろ姿を追いかけ始める。
花応と彼恋、そしてジョーがその後に続いた。
「光子と電荷、それに、追いかけると言えば、『ニュートリノ』だな。ニュートリノは電荷を持たないんだげと、別の特性が反対になっているものが反粒子として考えられている。これが『スピン』。ニュートリノのスピン。普通に見つかるニュートリのスピンは『左巻き』なんだけど、これが『右巻き』のものがニュートリノの反粒子じゃないかって言われているわね。じゃあ、その反対巻きのニュートリはどうやって見つけるのか? そもそもニュートリノはかなり軽い粒子なんだけど、僅かに重さがあるのね。だから光より早く飛べない。重さを感じるということは、時間を感じるということでもあるから、ニュートリノはその左巻きの状態を追い越して、振り返って見ることができる。で、その反対回りの右巻きのニュートリノが、世界に現れた『物質』と『反物質』の均衡を破ったという考え方が――」
「こら、花応……」
長々と話し出した花応の袖を彼恋が引っ張った。
「ん? 何だ、彼恋?」
「皆、困ってるから」
「むむ……」
彼恋に指さされて花応は前を行く二人の様子にようやく気付く。
雪野と速水は呆れたようにこちらに振り返っていた。
「また、訳の分からない話をして……」
雪野が肩まですくめてみせる。
「ああっ! 訳が分からないって何だ! ニュートリノは重要だぞ! 世界が物質で溢れてる理由を与えてくれた粒子かもしれないんだぞ! 同じ数だけ生まれては消えていくはずの物質と反物質。それをニュートリノの反対回りの反粒子のおかげで、その均衡が崩れたかもしれないんだぞ! だから、この世は物質で満たされているんだ! 神の粒子とまで言われる『ヒッグス粒子』と肩を並べるぐらい、宇宙が存在する為には重要な粒子だ! もちろん光子もそうだし! 高分子が水を吸うのも! 金がヨウ素には反応するのも! ヘリウムが超流動になるのも! 急激に酸化と還元が起こるのも! 酸を浴びたらすぐに水で流さないといけないのも! 光と時間が密接に関係してるのも! 科学的に考えて! 全部重要な話だ!」
「はいはい……むむ……あれは……」
雪野が花応に適当に相槌を打つと振り返る。
何者かが大通りを学校の方向から駆け寄ってくる。
「河中ね……何をあんなに慌てて走ってるの?」
誰よりも早くその足音を聞きつけ、まだ米粒の大きさぐらいから、雪野がその人物が誰だか言い当てる。
「必死に走ってくるッスね。手に携帯持ってるッスよ。何事ッスかね?」
「さあ? 花応に一瞬でも早く会いたいんじゃない?」
「あのな……雪野……」
「ははっ! それは気持ち分かるッスね! 邪魔してあげないと!」
速水の姿がその言葉を最後に皆の前から消えた。
速水の姿は一瞬でこちらに駆けてきていた宗次郎の首根っこをつかまえていた。
「バカね……ホント、バカ……」
彼恋がその様子に呆れたように呟き再び歩き出す。
「私としては、花応の恋路は邪魔して欲しくないんだけ」
雪野がその後ろに続いた。
「たく……朝から、騒々しいわね……」
二人に続いて花応も歩き出す。
「ペリ……なんか、気がつけばカバンが増えてるペリ……」
ジョーが何故かカバンを三つ抱えてこちらも後に続く。
その三つ目のカバンは中身が入ってないと思えるほど薄かっただった。
「ほら! 会いたかったと素直に言うッスよ!」
本来のカバンの持ち主の声が遠くからでもはっきりと聞こえてきた。
「バカ言え……今日は……確かに直接話があったけど……そんな意味じゃ……」
こちらは半ば首を絞められている宗次郎の声が途切れ途切れに聴こえてくる。
「直接話したいことッスか? 朝から、やるッスね! 見直したッス!」
「違う……俺の親父が……世界中を取材旅行してて……それで……十年前に行方不明になっていただな……地元の反政府ゲリラに捕まっていたっていう、夫婦をだな……医療ボランティアで行って、そこで捕まって十年以上……音信不通になっていた邦人夫婦を見つけたって話が……とにかく! 早く、桐山と話をさせろ!」
最後は速水を力づくで振り払った宗次郎が人通りの多い路上で力の限り叫び越えを上げる。
「早く、花応と話したいってですって」
最後だけはっきり聞こえてきた言葉に、雪野がにやけた顔で花応に振り返る。
「……」
だが花応は何故か途中で立ち止まっており雪野の声は耳に届いていなかったようだ。
花応は通りの脇道から一つ離れた別の通りを見ていた。
「……」
花応はその細い人影の少ない裏道のような路地に一人目を奪われていた。
「どうしたの、花応?」
「別に……私のハビタブルゾーンは、とても小さかったんだなって……」
花応が見つめていたのは敵に初めて襲われた路地だった。
そこは今歩いている大通りとは打って変わって人通り寂しい路地だった。
「ん?」
「何よ?」
雪野と彼恋が立ち止まった花応に合わせて戻って来る。
「ペリ」
カバンを抱えたジョーが花応の背中にぶつかって立ち止まった。
「桐山! 話が!」
「ひゅー! ひゅー! 妬けるッスね!」
そこに宗次郎と速水も駆けてくる。
「……」
花応はこの春から出会った者達を無言で見つめた。
花応を取り囲むように皆が集まってくる。
それは春以前では考えられないような光景だった。
「非科学だわ……」
その光景に花応は呟く。
「ううん……いろいろあった結果だもの……」
花応は自分の右手の包帯を見つめた。
「科学的よね……」
花応は一人歩いた路地に背を向け、友人達と再び歩き始めた。
(『桐山花応の科学的魔法』一二、反せし者 終わり)
『桐山花応の科学的魔法』・了
ありがとうございました。
後で参考文献を上げます。