十二、反せし者 57
「先生……」
雪野は妖しい光を瞳に浮かべて大人達を見つめる。
先生との呼びかけに含まれていた艶っぽい声色。声にも魔力を込めていたのか、雪野の本来の性がそうされるのか。その呼びかけに消防隊員も振り返る。
「お、おう……」
雪野に直接呼びかけられた男性教師が息を呑んで応える。
まるで異性と話すことに意識しだす年頃かのようにその声はかすれ震えていた。
速水に毛布をかけていた消防隊員も雪野の声に振り返っていた。重いヘルメットとともに振り返ったその目は雪野の横顔に吸い込まれていく。
「おお……おっかないッスね……」
雪野の横顔に見入ったまま動かない消防隊員の瞳。それを細い目で覗きながら速水が軽薄な笑みを浮かべる。
消防隊員の手は速水の方に毛布をかけたところで止まっていた。速水がその毛布を受け取っても隊員の手は止まったままだった。半ば奪うように速水が毛布を手にするが、隊員の目は雪野の横顔に吸い付いたように離れない。
「魔性の女ッスね」
速水は自ら毛布を両肩にかけて今度は遠慮なくケラケラと笑う。
それでもその場の大人たちは誰一人雪野から目を離さなかった。
雪野が肩から上だけをゆっくりと動かして周りの様子を確認する。
雪野の瞳が赤い残像を残した。柔らかな身のこなしで作り出した光の残像。それは優雅に曲線を描いた光の筋を虚空に作り出す。
ゆらゆらと揺れるように残された瞳の赤い光の帯。それひどこから雪野を見ていてもまるで正面から見つめらているかのような錯覚を覚えさせる。
実際に雪野が正面に瞳を戻しても大人たちは惚けたようにその光に目を奪われ続ける。
それは静かに残像が消えていっても同じだった。
空間からは消えてもそれに一度魅入られたもの瞳の奥には光がしっかりと刻まれてしまっているらしい。
大人たちはただただ雪野の姿に惚けた視線を送りつつゲル。
「私たちは今日、校長先生とお話しさせていただきました……」
雪野は全員の視線が自らに惹きつけられていることを確認するとゆっくりと話しだす。
「お、おい……」
男性教師は同じ言葉を繰り替えだけで精一杯のようだ。
「昨日の日曜日に、原因不明の極地的災害に襲われた件でです……」
机や椅子が散乱する教室。割れて飛び散った窓ガラス。ヒビの入った廊下。毛布に包まれる高校生。
どう見ても災害現場のような校舎の一角で、雪野は艶のある声で大人達に語りかける。
「あの時も、消防の方にはお世話になりました……」
別の消防隊員が音を立てて息を呑んだ。
急に自分たちのことに話を向けられて緊張が一気に高まったようだ。
その声で直接喉元を撫でられたかのようにその若い隊員は身震いとともに息を呑む。
「連日で危険を顧みず現場に駆けつける皆様には、本当に頭が下がります……」
雪野はその一言ともに実際に頭を下げる。厳かなまでに静かに下げられた頭に消防隊員の肩から力が抜けていく。まるで今までの苦労を一度にねぎらわれたかのように両肩が抜けたように下がった。
「ちょっと、怖いわね……」
彼恋がその様子に眉間をひそめぽつりと漏らすように呟く。
「そうだな……こればっかりはな……」
花応が同じく肩を傾け彼恋に顔を近づけて応える。
「昨日、人間の力ではどうしよもない、異常気象に襲われた私達は……」
雪野が胸に右の手のひらを置いて続ける。
その仕草で己の言葉は偽りなくその胸の内から出てくるものだと訴えているかのようだった。
「校長先生にかけあい、本日緊急の避難訓練をすることを提案しました……」
「そ、そうか……」
雪野の言葉に教師が何度も縦に首を振る。
「いや、だが聞いてないぞ……」
男性教師は首を縦に何度も振ったことで、かえって理性が持ち直したようだ。教師は振り絞るように雪野に反論する。
「急でしたし……」
「おう……だがな……」
雪野の視線がもう一度男性教師の目をまっすぐとらえる。
「今の地球は異常です……何が急に起こるか分かりません……避難訓練も、臨場感がないと……」
「お、おう……そうだな……お前の言う通りだな……」
教師は雪野の瞳の圧力から逃れるように今度も頭を縦に振る。だが今回は自ら望むように最後は雪野の瞳を自ら覗き込んだ。
「見てらんないわね……」
彼恋がその様子に胸のポケットから携帯端末を取り出した。
彼恋もただ雪野の視線から逃れたかっただけだったようだ。彼恋は目をちらちらとモニタの画面に泳がせながら携帯の上で指を繰る。
「ん?」
半分上の空で彼恋が開いたサイトを花応も覗き込む。
それはこの学校の公式サイトだった。その中でも表示されていたページに花応の吊り目がこれでもかと歓喜に見開かれる。
「ああ……ですので、私達は――」
雪野がここが山場とばかりに体全体で声を震わせて訴え始めると、
「ああ、彼恋! ひょっとして、こっちに転校する気か?」
その全ての雰囲気を打ち壊す程の大声を上げて花応が彼恋に飛びついた。