十二、反せし者 54
「……」
花応はゆっくりと廊下を進み出た。
自慢の吊り目がどこか眩しげに細められている。
花応も目の奥に残像がまだ残っているのだろう。少しばかりおぼつかない足取りで前に進む。
「いてて……」
その後ろではアゴの先を宗次郎が手で押さえていた。
指の間からこぼれ見えたそのアゴは少し赤らんでいる。
「何で、本気で殴られなきゃならんのだ……」
花応の後ろ姿を見送りながら宗次郎がぼやいた。
「……」
そのぼやきが聞こえたかのか、無視したのか。花応は廊下の外を見る。
ガラスの向こうではグラウンドに避難していた生徒と教師の声が聞こえてくる。
実際に騒いでいる様子は見えなかったが、騒然とした雰囲気はその声だけで伝わってきた。
花応はその騒ぎを確認したかったのではなかったようだ。
花応は目をゴシゴシと手の甲でこすり、何度かその目をしばたたかせる。
その吊り目が澄み切った青空をまっすぐに捉えた。
「……」
目の奥の残像がようやくどうにかなったらしい。
花応は自分にうなづくように首を一つ縦に振ると再び廊下を歩き出した。数歩も行かないうちに時坂の背中までたどり着いた。
「やあ……」
気配を察したのか、花応に背中を向けていた時坂が振り返らずに呼びかける。
「やあじゃないですよ……これだけの騒ぎ起こして……」
花応は時坂の背後で立ち止まると、呆れたように肩をすくめてみせた。だがその視線は時坂の背中ではなく、杖を振り下ろして固まっている雪野を見ていた。
雪野は目だけ上目遣いに上げてやってきた花応を見る。
だがその杖は微動だにせず時坂の額を捉えている。
「そうかな? 反物質の力を借りて、世界を光で満たしてみただけのつもりだけど」
「十分です。十分すぎるほど大騒ぎでした。光子だけで、世界が真っ白になりましたよ」
「綺麗な世界だったね……」
「眩しいだけでしたよ……」
「……」
二人が言葉を交わす間も雪野は動かない。
そこだけ時が止まったように雪野は魔法の杖を時坂の額に打ち下ろしている。
「もう、終わったわよ、雪野」
「……」
花応に促されても雪野は応えなかった。
「もう、時坂先輩は満足したらしいわよ」
「……」
雪野が視線を下ろして時坂の目をまっすぐ見つめる。
「もういいから……」
「ふぅ……」
雪野が肺の底から、それでいてゆっくりと息を吐き出した。
雪野はそのまま目をつむり肩で息をしてその呼吸を整える。雪野の上半身が荒々しく上下した。胸と肩はおろか腰から上全てを使わないと酸素の供給が追いつかないらしい。
雪野は終いには上半身を前に折り曲げると膝に両手をついて息を整える。
「……」
雪野が息を整える間、花応はその向こうに目をやった。
まずは細い目を楽しげにさらに細めていた速水と目があった。速水はそのまま軽く体をずらして己の背後が見えるようにする。
速水に守られるようにその背中に立っていた彼恋が現れ花応の視線に気づいてうなづいた。
その様子に花応もうなづき、今度は教室に目を向ける。
机や椅子、教科書や筆記用具が散乱した教室ではジョーが惚けたように立っていた。
ジョー自身の羽が散乱したものの上に散らかっている。
「……はぁ……」
雪野はまだ顔を上げられないようだ。花応にうなじを晒し、髪を首の左右から垂らしながらまだ肩で息をしている。
「それで……見たい光は見えましたか?」
もうしばらく雪野は息を整えるので精一杯。そう見たのか、花応が時坂に振り替える。
「はは……よく分からないのが……本音かな……」
時坂は花応に答えると首を差し出すように前に身をかがめた。
同じような姿勢で息を整えていた雪野が、自身の頭に落ちた影にようやくその身を上げる。
「花応……」
雪野はそれでもまだ息が整わないのか、絞り出すように花応の名を呼ぶ。
「時坂先輩は、もう満足したらしいわ……」
「そう……じゃあ……」
息も絶え絶えな感じで雪野が魔法の杖を構えなおした。
「ああ……構わない……やってくれ……」
時坂は首筋を差し出したまま、促すようにさらに前に身を折った。
「……」
雪野はまた無言に戻ると静かに時坂の肩に杖を添えた。
その杖の先端から溢れ出るように光が瞬く。
光は時坂の顔をそして上半身を優しく包むように膨らんでいく。
「……」
時坂はその光を目を細めながら見つめた。
「まるで許しだね……」
暖かく優しく満ちるその光に時坂はそっとつぶやき、
「ああ……見たかったのは、この光だったか……
全身を光に包まれながら満足げに微笑んだ。