十二、反せし者 52
世界を全て呑み込むような閃光が辺りを覆い尽くした。
「……」
圧力すら感じる光の奔流に花応がその自慢のつり目を苦しげにつむった。
雪野と時坂の攻防が生み出す光はもはや濃度すら感じる程に全てを埋め尽くしている。
花応は宗次郎の腕の中に居ながら、同時に光にも満たされていた。
花応が薄目をなんとか開けるが、目の前の宗次郎の制服すら光で何も見えない。
「いわば『光の散乱』ね……彼恋は、何ていうかしら……」
花応がその瞳をなんとか動かし廊下の向こうの様子を見ようとした。
だが彼恋の姿はその側に居るはずの速水の姿とともに光に埋もれて見えない。
「ファインマン図……光の散乱……」
花応は教室の方にも目を向けるが、ジョーの姿はもちろんその前の廊下の窓すら何も見えない。
「光子が電子に吸収され……別な光子が出て行く……」
花応は再び圧力に耐えらなれないように目をつむるとそっと呟いた。
「この順序は、逆でもありうる……」
目をつむっても感じる光に花応はもう一度呟く。
「電子が光子を放出してから、〝時間を後戻り〟して、光子を吸収して再び時間を前進する……」
光に満たれながら花応が呟く。
「この私たちの時間から見て逆に進む電子が正の電荷を持つ電子……つまりこれが『陽電子』……負の電荷を持つ電子が、私たち側の粒子だから――」
もはや光しかないような世界に花応は沈む。
「この陽電子が、つまり反粒子……時坂先輩の力は、おそらくこの陽電子を作り出している……」
光に身にゆだねながら花応は一人呟く。
「陽電子を……反粒子を大量に作って……世界に反するものを大量に生み出して、あなたがしたいことは……」
光に浮かびながら花応は続ける。
「過去の改変? 過去の改ざん? 過去のやり直し……でも、それはできないって分かってるでしょう……」
光の中の意識で花応は一人続ける。
もはや光しかない世界――
普通の学校の廊下に奇妙な世界が出来上がっていた。
光しかない世界。
光以外が意識できない世界。
花応はその光だけの世界に一人浮かんでいる。
「一人……ううん、独りね……」
花応がポツンと呟いた。
もはや目をつむっていても光しか見えない。
花応は諦めたようにかたくつむった目から力を抜く。
その時――
「これだけの光があれば、僕が見たい光もあるかな……」
花応の耳元で何者かが〝ささやい〟た。
「ありませんよ、そんなもの……」
花応が目をつむったまま応える。
「そうかい? 一つぐらい、あってもいいと思うんだけど……」
「光子は物質にぶつかって反射します。見たいものだけ見たいだなんて、そんなことありえません……」
「これだけの大量の光だ……どれか一つ奇跡的に僕が見たいものと同じものがあるかも……」
「そう思ったんですか?」
花応は光の中で対話する。
「ああ、そう思ったね」
「それでこれだけの光の世界を、雪野自身の力を利用して作り出したんですか?」
「ああ……見たかったんだ、もう一度……彼女の力を……あの時、僕を助けた時に見せた力を……」
「……」
「ううん……僕を助けた時に見損ねた力を……」
「雪野のあの時の力を見て……あの時見れなかった光景も見ようとした……」
「そう……僕が見るべきだった……あの時……命がけで助けくれたお姉さんが、どれだけの力を……」
「……」
「いや、どれだけの努力をしていたかを……僕は泣き叫ぶだけで、しかも自分の不運を彼女のせいにまでして……」
「あなたが見たかったのは、もしかしたら違っていたかもしれない世界……」
「そう。僕はあの時、お姉さんの邪魔にならず……もうホンの少しだけ、あのお姉さんが……命がけのような苦労かけさせずに、敵を倒していたかもしれない世界……いや、違うか……」
「……」
「恐怖に泣きわめき、自分のことしか考えず、他人のせいにして、今起こっている事態から、逃げ出しことしか意識にのぼらなかった自分……」
「……」
「あの時の自分の姿を、あの時自体になかったことにしたい……いや、今まさにこの光で塗りつぶしたい……いや、彼女と対等に戦うことで、未来永劫乗り越えたことにしたかった……ああ……分からない……今となっては……」
その〝ささやき〟は今や、光の向こうに溶け込みそうになっていた。
花応はその〝ささやき〟に耳を傾けながら、
「非科学ですよ……」
光に身を任せそっと優しく呟いた。
参考文献
『光と物質のふしぎな理論 私の量子電磁力学』R・P・ファインマン著釜江常好・大貫昌子訳(岩波現代文庫)