十二、反せし者 51
「……」
もはや無言で雪野は杖を振るう。
それは魔力そのものの奔流なのか炎や雷ではなく光だけを生み出していた。
雪野が杖をふるう度に光が一面に溢れ出た。
それは杖をふるっているのではなく、力そのものを振るっているかのようだった。
雪野が力をふるう度に光が周囲を満たしていく。
光は辺り一面を覆い尽くした。
鬼気迫る顔で杖をふるう雪野。その雪野の顔も光で覆い隠されていく。
「……」
それを受ける時坂も今は光だけを生み出していた。
次々と打ち鳴らされる指先。その音を生み出す対消滅の光が現れては消えていく。
既にそこが学校の廊下であることを忘れさせるほどの光が全てを満たしていた。
床も壁も天井も窓も。全てが光の世界へと変わっていく。
「何ッスか……これ……」
速水が後ろに彼恋をかばいながら思わずにか呟く。
その細い目はいつも以上に眩しさから細められていた。
「知らないわよ……あんた、何か聞いてないの……」
速水の背中に隠れた彼恋が呟く。彼恋は速水の背中で光の奔流から我が身を隠していた。
それでも片目をつぶり、わずかにもう一方の目を開いている。
「何も聞いてないッスね……ただ千早さんと、正面からぶつかりたいって言ってた気がするッスよ……」
「その結果がこれって訳……圧力すら感じるわよ……」
彼恋が更に目を細める。
「そうッスね……光なのに……」
彼恋が細めた目よりも更に細い目を凝らして速水が光を放つ二人を見つめる。
「光も一応は、物質を押す力はあるのよ……宇宙ヨットとか、太陽の光の圧力で推進力を得てるから……」
「宇宙でヨットッスか? ロマンッスね……」
「ええ……本当にこれが光の圧力なら、どんなけ光ってんのよって感じだけど……」
「いや……このびりびりくる感じ……これが千早さんの力ッスよ……多分、本来の……」
「『本来の』?」
「十年前まで、持っていた力ってことッスかね……」
「……」
彼恋がもはや目を開けていられないとばかりに両目をつむった。
「ペリ……」
教室の窓の向こうからジョーが呆然と嘴を広げていた。
人間がぽかんと口を開くように、ジョーは惚けたように嘴を開く。
重い袋のある下の嘴が床に落ちる。
ジョーはそのことにも気づかない様子でその鳥類の目を光に向けていた。
彼恋や速水とは対照的にジョーはその目を見開いていた。
自然と開いてしまう嘴と違い、その目は意識して開いているようだった。
その証拠にジョーは目を開いたままそれをまっすぐ光に向けて微動だにしない。
雪野が放つ光を一筋たりとも逃すまいとするかのようにその光を見つめ続けた。
「雪野様ペリ……」
そしてジョーはその目の端に光るものすら浮かべていた。
「完全に逆光だな……こりゃ、写真は無理だな……」
同じ光景に宗次郎は自嘲気味に呟いた。
その両手は花応を守る形にその両肩に置かれており、元よりカメラを構える気は無いようだ。
そして宗次郎はカメラはおろか、自身の目を向けるのも辛そうに横目で光の元を見つめる。
「呑気にカメラなんて、構えてたら。ぶっ飛ばすわよ」
肩を抱かれたまま花応がその自慢の吊り目の目尻を釣り上げる。
こちらは宗次郎の陰に入っているせいか、わずかに目を開けることができていた。
「冗談だよ……」
「ふん……」
花応が宗次郎の胸元の陰からそっと雪野の様子を伺う。
もはやそこは光しかなかった。
光が生み出す影すら、全方位で生まれる光によってかき消されていた。
「あれだけの光……ううん……あれだけの『光子』を生み出しての、あなたの願い……」
花応はそこに居るであろう時坂の姿を見つめて呟く。
「ファインマン図がいくらそのように見えるとしても……それはそう見えるだけですよ……時坂先輩……」
花応の声に光の中でわずかな陰影が生まれた。
それは男子生徒の横顔だった。
「……」
花応がその目の部分と思われる光の陰を見つめる。
そして相手に聞かせる為にか、先よりも大きな声で続ける。
「ええ、反物質は物質と出会うことで、光子を放って消滅します。今あなたがやっている通りに。対消滅を起こします。それはもちろん『時間』の経過を伴う現象です。出会っていないという過去から、出会うという現在に至る時間経過です。それを図に表したのがファインマン図。だがその図――ダイヤグラムは、一つの仮説をもたらしました。あくまで仮説です。そう見えるというだけです。出会う前から見るから、自然にそう見えるのです。では、出会ったところから、見れば? 対消滅を起点にその図を読み解けば……それは反物質が、まるで……まるで対消滅で生まれ、過去に遡っている――そう見えるのです……」
「……」
光の中の陰影がまた生まれた。
それは笑っている口元の形だった。
「私たちの世界を作る最後の次元はもちろん〝時間〟です。次元に時間を足すことで、この宇宙は『時空』として認識されています。その時間を……あなたは、大量の反物質を生み出すことによって……遡ろうとしているのですね……時坂先輩……」
花応の言葉に陰影はもう一度生まれた。
それは満足げに曲げられた人間の目元だった。
「どんなに望もうと……それを希望の光だと、すがるのは……非科学ですよ……」
花応がその言葉を最後にうつむくと、
「――ッ!」
その場の誰の目も灼くような閃光が全てを呑み込んだ。
次回の更新は4/14以降を予定しています。
4/10締め切りの賞に集中する為です。
ご了承ください。