二、ささやかれし者12
「早かったじゃない? ジョー」
雪野の攻撃は相手の腕に遮られた。小さくも力強い炎を上げた杖が、とっさに手を振り払った相手の右手に受け止められてしまう。
だが元より予想済みだったのか、雪野は気にした様子もなく後ろに飛び男子生徒と距離をとる。
そしてそのまま地面に突っ伏していたジョーに振り返る。
「ペリ……部屋で寝てたら、蹴り飛ばされたペリ……全くかの――」
「しっ! あの娘の名前出しちゃダメ! 巻き込まないで、なるべく私達だけで倒すのよ」
雪野が視線を戻し、油断なく相手を見つめる。
男子生徒は相変わらず表情が読めない。人を小馬鹿にした薄ら笑いのままで、金色に固定されている。
だが退く気がないのは明らかだった。相手もその金属質の体を身構え直していた。
「ペリ……」
ジョーがお尻をつきながら上体を起こす。
「それにしても早いわね。あの娘って、意外に足速いのかしら」
「ジョーも頑張ったベリ……」
「そうね! ジョー煙幕お願い!」
雪野がヨロヨロと立ち上がるジョーを背に、魔法の杖を勢いよくふるった。
「ペリッ!」
「ヤッ!」
雪野が気合いとともにアスファルトの通路を蹴った。一瞬で男子生徒との距離を詰めるや、左手に持ったままの魔法の杖を振り上げた。
「……」
金色に光る男子生徒は、右手を挙げてその攻撃を受け止めようとする。
「あまいっ!」
雪野の目が妖しく光る。そして勢いよく魔法の杖を振り下ろした。
先程と違い炎も何も纏っていないそれは、只の棒状の杖として相手に振り下ろされる。
「……」
男子生徒の前腕が雪野の杖を食らってくの字に曲がる。
先程は簡単に受け止めた攻撃。それが今度は目に見えて強力になっている。
男子はやはり変わらない表情で、それでも驚きのあまりか自分の腕と雪野の顔を何度も見た。
「あはっ! どう! 魔力を炎とかじゃなくって、威力そのものに乗せたのよ! 効くでしょ!」
「……」
男子生徒は折れ曲がった黄金の右手で、無言のまま雪野の杖を押し戻そうとする。
その折れ曲がり方はやはり金属のそれだった。人の腕が折れたような柔らかい肉の中に硬い骨のある骨折という状態ではなく、ぐにゃりと金属が圧力をかけられた曲がり方だった。
「痛くないのね? まったくささやかれたぐらいで、そこまで人間性を捨てて! その力! おかしいとは思わないの?」
「……」
雪野が杖を上から押し込み、男子生徒は左手をとっさに添えてその攻撃を受け止める。
「ペリッ!」
その向こうではジョーが口中から煙を次々と吐き出していた。
「ふん! 一気にいくわよ!」
雪野が杖を相手から離し、軽く後ろに跳んで退いた。更なる攻撃を加えんと、背中回る程魔法の杖を振り上げる。
「……」
男子生徒は曲がってしまった右と無事な左手を、雪野の攻撃を防がんと己の眼前まで持ってくる。
「魔力を威力に変えた私の攻撃! 防ぎ切れるかしら!」
雪野が魔法の杖を次々と相手に打ち込む。
「……」
男子生徒は避けることも反撃することもままならないようだ。
雪野打撃は上下左右あらゆる方向から間断なく繰り出された。
男子生徒の体は打ち込まれるままに、相手の攻撃にさらされる。辛うじて両手でガードした顔を覗き、雪野の攻撃は男子生徒の四肢と体躯のあらゆるところに次々と打ち込まれた。
「ふん! 防戦一方ね! ほら! 体中がへこんでるわよ! 降参したら!」
雪野の言葉通り、男子生徒の金色の体は打撃を受ける度にへこんでいく。
「……」
「返事ができないんなら! 態度で示したら! でないと、立ってられないくらい――文字通りへこませてあげるから!」
雪野が更に打撃の速度を上げた。男子生徒を一方的に打ち込み、相手の体に金属質な凹凸を作り上げていく。
「……」
「ふん! 言葉で言って分からないなら――」
「……」
「徹底的にやってあげるわ!」
雪野のその最後通告めいた宣言を聞いても、
「……」
男子生徒はへこみゆく体で、変わらない笑みを浮かべるだけだった。
「く……しつこい……」
雪野の連打は止まることを知らない。
だが金色の男子生徒はいくら体中をへこまされても、その場で踏み止まり雪野の攻撃に耐えている。
「く……この……」
雪野の息が僅かに上がってきた。繰り出す攻撃のリズムが、少しずつ乱れ始める。
そして実際に攻撃の威力そのものも落ちているようだ。
「……」
繰り出される魔法の杖の打撃に、身構える一方だった男子生徒。
その男子生徒が僅かばりに身を捩った。そして攻撃が繰り出されてくるにも構わず、その方々がへこんでいる右手をついに雪野に向かって伸ばし始めた。
「なっ!」
迫りくる右手に雪野は攻撃を集中させるが、相手は怯むことなくその手を伸ばしてくる。
「こんなに打ち込んでるのに! 効いてないっての?」
ついに雪野の眼前にかざすように向けられた男子生徒の右手。
「く……」
雪野が堪らずその手の平に魔法の杖を叩き付けるや後ろに跳んだ。
雪野は二三度同じように後ろに飛ぶや、煙幕を吐き続けるジョーの隣まで戻ってきた。
ジョーの吐き出す煙は、雪野の胸元辺りの高さまで積もり、物理的な壁となって周囲を囲んでいた。
「……」
男子生徒は体中をへこませながらも、右手をやや降ろして身構え直した。
「利いてないっての? こんなにボコボコにしてやったのに?」
その外見上の変化にかかわらず、全く動じた様子を見せない男子生徒に雪野が思わず漏らすように呟く。
そう。男子生徒はむしろ余裕でもあるかのように、ゆっくりと背筋を伸ばし直した。
雪野の杖の打撃に凹凸がついてしまったその金色の体。それでもそれが苦になっているように見えない。
男子生徒はあらためてその人を小馬鹿にしたような笑みを、動揺の色を隠し切れない雪野に向けた。
「この……」
雪野が苛立つように魔法の杖を空中でふるった。その人を小馬鹿にした男子に生徒の笑み目がけて、炎が襲いかかる。
「……」
だが男子生徒の眼前で一瞬燃え広がったその炎は、相手に何の変化ももたらさずに立ち消えてしまう。
「じゃあ、これは!」
雪野が更に杖をふるう。小さな稲妻が男子生徒の全身を襲った。
しかしやはり男子生徒の身に稲妻があたるや否や、その光はその場で消滅してしまう。
「な……」
その様子に思わず雪野は後ろに半歩退いてしまう。
「……」
相手の笑みがその金属質に固まっているのにもかかわらず、陰影の関係か更に深まったように見えた。
「打撃も、炎も、電撃も効かないの……」
その笑みに思わず雪野が呟くと、
「当たり前じゃない。金なんでしょ。金。金ならそれくらい当然よ。たくっ、それにしても眩しいわね。いくらイオン化傾向が小さいからって、こんなに嫌みに光らなくったっていいじゃない」
少々怒ったような少女の声が後ろから聞こえてきた。
「――ッ!」
雪野が驚きに後ろを振り返る。
「展性も延性も優れてるから、叩いても無駄よ。延びるだけ。融点も高いし、熱伝導もいいから、少々の炎も無駄。それに電気伝導も高いから、電撃も効かないんでしょうね」
雪野の胸の高さまで積み上がっていたジョーの煙幕。
「もう! ジョー! 何で私がくる前に、煙幕はっちゃうのよ? こんな科学的じゃない煙! 何で科学の娘たるこの私が、こんな苦労して乗り越えなくちゃ、ならないのよ!」
その煙幕をよじ登ったのだろう。花応が胸とお腹を煙の天井にぺたりと着け、四肢を両側に伸ばしてへばりついていた。
「花応!」
雪野が思わずその名を呼ぶと、
「でも、金って安定してるのよね。濃塩酸でも、濃硝酸でも溶けないわ。さて――ピンチね」
花応は煙に張りついたまま、意味ありげな笑みを相手に向けた。