十二、反せし者 31
「がはっ!」
速水が堪らず仰け反った。
盛大に鼻から鼻血を噴き出して、速水は雪野の頭突きの勢いに弾かれ仰け反った。
弓なりになった背の上で天井を見上げる形になった速水の表情が苦悶に歪む。
「――ッ!」
苦痛の為に自然と歪む速水の頬や眉間、口元。それが細い目をかっと見開いた瞬間に固まる。
速水は衝撃を己の内に押し殺すと、一度は大きくしなった弓なりの身を前に突き出した。
まさにしなった弓が下に戻ろうとするように、速水の体は一瞬で胸を前に突き出したくの字に曲がる。
「が……」
今度は速水の眉間が雪野の鼻先に正面から撃ち込まれた。
斜めにアゴを退き、片目をつむって衝撃に耐える雪野。その雪野の鼻からも鼻血が噴き出した。
雪野は速水に突き飛ばされて後ろによろよろと二歩、三歩と下がっていく。
「この……」
目がくらむのか、鼻血が気になるのか。雪野は体を立て直すとすぐさま首を左右に振った。
「鼻血とは! らしくないッスよ! 光の魔法少女様!」
「あなただって! 鼻の下、真っ赤よ! 速水さん!」
教室のほぼ中央に移っていた二人の体。二人は正面から相対して、そして鼻から同時に血を滴らせていた。
二人同時にその鼻の下を拭う。ひとまずは血の雫は振り払うが、二人してすぐに次の血が滴った。
「雪野!」
その様子に花応が悲鳴めいた声を上げる。
「大丈夫よ。花応」
雪野が花応に背中で応え、手を内から外に振りその甲についた血を払う。
雪野の血が点々と放物線を描いて床に散らばった。
その向こうでは速水が片方の鼻の穴を上から指で押さえ、空けたもう一方の鼻の穴から息を勢いよく出していた。
こちらは点で直線を描いて速水の血が床に迸る。
「下品ね」
「お互い様ッスよ」
「あらそう」
「バカ呼ばわりも、優等生らしくないッスね」
「違うって言ってるわ。てか、何度でも言ってあげるわ! バッカじゃないの! バッカじゃないの! バッカじゃないの!」
「雪野……」
ムキになって同じ言葉を連呼する雪野に、花応が今度は呆れたようにその名を呟いた。
「なっ! そもそも、何ッスか? 頭突きって!」
速水が雪野の言葉に両手の指を怒りにか歪ませる。
「頭突きは、頭突きよ! 何か悪い?」
「魔法少女ッスよね! 杖や魔力で戦って欲しいッスよ!」
速水がぐっと腰を落として身構える。
「知らないって! 何度も言ってるわ!」
雪野も応えるように杖を前に突き出して構えた。
「雑魚にも、苦戦! 倒すのは、脇役! 挙げ句の果てに! 自分の戦いは、頭突きッスよ! 魔法は! 杖は! 変身は! いたいけな少女の夢――返すッスよ!」
速水が床を蹴り一気に前に詰めて来た。
拳に炎を乗せた一撃を速水が雪野の顔面に撃ち込んでくる。
「それはあなたの勝手な理想よ!」
盾を失っていた雪野が魔法の杖でその拳を防いだ。
だが打撃は防げてもそこにまとわりついた炎が拳を離れ雪野にそのまま襲いかかる。
「く……」
雪野が首を傾げてその炎をやり過ごした。首を傾ける際に揺れて持ち上がった雪野の髪。その数本を途中で焼き切り速水の炎が虚空に消える。
「るっさい! 持ってない者が! 夢見て何悪いッスか!」
「欲しくて持ってる訳じゃ――」
「それが、持ってる人間の傲慢ッス」
速水が雪野の言葉を強引に振り払うように闇雲に手足を繰り出した。
「だからって、欲しがって、手に入れて! 何がしたいのよ!」
雪野がその拳と蹴りを杖で防ぐ。上下左右に相手の攻撃に合わせて振られるそれは、まるで情熱的な指揮者の指揮棒のように空中で激しく振られた。
「力を使いたい――に、決まってるッス!」
「だからって、私に戦いを挑んだっての?」
「そうッスよ! 戦ってこその力ッス!」
「戦いを望むなんて!」
「魔法は誰でも憧れる力ッスよ! 力なら、使うッス! さあ、魔法を使うッス!」
速水が雪野の杖を掴まえた。そのままぐっと前に顔を突き出し雪野の鼻先までその細い目を近づける。
「いざとなれば、頭突きだってする! 鼻血も構ってられない! それが戦いよ! 奇麗ごとだけで、戦える訳ないわ!」
雪野が杖越しに速水を睨み返す。
互いに杖の両端を持つ雪野と速水。速水が上から覗き込むように力を入れ、雪野がそれを下から押し返すように見上げた。
それぞれの押し出す力が雪野の杖を歪ませる。
だが杖はそれ以上曲がらなかった。二人の力を両端に受けて弓なりに曲がった杖。それ以上は二人の力を受け止め切れないのか、その加えられた力は雪野と速水の手を震わせ始める。
「――ッ」
杖で危ういバランスをとっていた二人の力が、弾けるようにその均衡を崩した。
「この……」
二人の力の方向が捩じれるように変わってしまい、速水は前につんのめるようにバランスを崩した。速水は杖の元に戻ろうとする反動もあって片足が浮いてしまう。
「――ッ!」
自身は下に押し込まれるように杖の反動を食らった雪野。雪野は自らも背中を丸めて身をかがめると、そのまま速水の下に入り込んでいく。
「いい加減に、目を――」
雪野が速水の襟首を下から掴み、
「覚ましなさい!」
その体を背負うように投げ飛ばした。