十二、反せし者 20
「校則は〝不変〟かい? どうも生真面目なようだね。桐山さんも」
時坂が満足げに頬を緩めた。それでもその頬の上に浮かぶ目の光は何処か冷たい。
目だけが笑っていない。いや、頬だけが笑っている。
口元も平坦なら、耳も白く冷ややかなままだ。
「まるで、何か満足のいく観測結果が出たみたいな顔をしてますよ……時坂先輩……」
花応がそんな時坂をぐっと目の奥に力を入れて睨み返す。
「そうかい」
「ええ、まるで実験の数値に満足する科学者のような感じです」
「それは君が科学の娘だからじゃないかな。そんな感想を持つのは」
「……」
「……」
花応と時坂が再び無言で視線を交わす。
「おいおい、桐山。さっきから、何の話をしてる?」
雪野と速水が目に見えない程の早さでやり合う中で無言で睨み合う花応と時坂。一人取り残される形の宗次郎が、花応の肩を軽く揺すって訊いた。
そうしながらも宗次郎は雪野と速水のせめぎ合いから花応を守ろうとしているようだ。次々と入れ替わる雪野達の動きに合わせて、体を入れ替えて花応の身を庇っていた。
「コウソクの話よ。それ以上でも、それ以下でもない。不変の話よ」
「何を言ってるんだ? 今暢気に校則の話してる場合か?」
宗次郎がめまぐるしく頭を巡らせる。
今や雪野と速水は追いつ追われつと教室中を使って攻防を繰り広げていた。
雪野と速水の体はかろうじて人の目に追えた。だがその繰り出される拳や蹴りと、杖の動きは残像しか追うことができない。
時折拮抗した力が二人の動きを止め、どちらかがどちらかを攻め、守る姿か一瞬浮かび上がってはまた消えていく。
「ふふ。そうだね、河中くん。二人の相反する者が、ぶつかり火花を散らしている。今はこの方が見物だよ」
「てめぇ……それはそれで、腹が立つ……すかした顔でてめえが言うな……」
宗次郎が花応の両肩を掴んだ。花応を今や抱き寄せるようにして守ろうとする。
「ふふ……どうだい? 桐山さん。二つの相反するモノが、ぶつかり光を放つ――」
「……」
花応は宗次郎に引き寄せられるがままに、その肩越しに時坂をじっと見めた。
「君はこの光景に何を見る?」
「やっぱり、二人の者ではなく、二つの物を見ているようですね? 時坂先輩」
花応が足を開き直して時坂に正面から向き直った。宗次郎に肩を抱かれたままその肩越しに時坂に向かい合う。
その周りを雪野と速水がぶつかっては火花を散らして離れていく。
二人の激突を背にそして目の前にして花応が時坂を正面から見る。
「そう見えるかい?」
「ええ、そう見えます」
「はは。見えるとは不思議な現象だね。よくよく考えてみると」
時坂の左の口角だけがくっと上がる。
「別に。光子が網膜に飛び込んで来てるだけですよ」
その様子に反応したように花応の右の眉がぴくりと痙攣した。
「光子はとても小さな物だろ? 本当かな」
「ええ、〝ボソン〟――〝ボース粒子〟ですから。〝素粒子〟です。小さいですね」
「素粒子かい? 物質の最小単位だよね。如何にも小さそうだ」
「ええ。でもそんな小さな光子でも、数個あれば、人間はそれを感知できますよ」
「僅かな光にすがる機能が、人間にはあるということかな?」
先に上がった左の口角を応用に、時坂の右の唇の端が吊り上がる。
「あなたは光の何に『すがる』つもりですか? 時坂先輩」
「……」
時坂は花応の問いに答えない。
「はは! 流石ッス! ここまでスピードとパワーが、互角とは思わなかったッスよ!」
速水の声が花応の後ろから響いて来た。
「どういたしまして」
風が花応の後ろで揺れた。
雪野が花応の背中を守るように立っていた。
速水は教室の壁を背に両腕を構えて止まっていた。二人して一旦動きを止めたようだ。
速水がそれでも今にも飛びかかろうとするように前屈みに構え、それを雪野が花応を背に杖を前に突き出して待ち構える。
「河中。そのまま、花応を守りなさいよ」
雪野が顔だけ振り返る。そして正面から花応の肩を抱いた宗次郎に微笑んでみせた。
「るっせえ、早く速水を倒しやがれ。こっちは桐山とセンパイの話が訳分からんで、困ってるんだよ」
「花応の話が理解不能なのは、いつものことでしょ?」
「うるさいわね、雪野。どうなのよ? 速水さん、倒せそうなの?」
「ううん……力は互角な感じ……肉体的な力はね……」
雪野が花応に答えながらすっと目を細める。
「まずい感じ?」
「そうね、このまま力押しなら、勝機はあるけど……」
雪野が最後の言葉を呑み込んだ。
言い淀んだのか。それとも単に息を呑んだのか。
少なくともその原因となったのは目の前の速水のようだ。
速水は右の掌を天井に向けていた。
その掌から閃光が発せられる。
それは空間を強引に突き破るような光の嵐だった。
「ふふ……そろそろこっちも試すッスか……」
速水の言葉とともに上がる眩しいまでのその稲光に、
「電撃だわ……それもおそらく、私の数倍は力がある感じね……」
雪野は額から一筋汗をすっと滴り落として呟いた。