十一、ヤミ人 29
「出ないわね、あいつったら……」
生来の吊り目の目が不機嫌そうに更に吊り上げれた。
その吊り目のすぐ横には耳朶を圧し潰すようにして、携帯がぴったりと耳に押しつけられていた。
「ウチのアレっかての……」
吊り上げられた目尻が苛立たしげに痙攣めいた引きつけを起こす。
吊り目の目尻に並んだまつげが痙攣に合わせてふるふると震えた。
その長く艶やかなまつげがその目の持ち主が少女だと告げる。
少女は見えない電波の向こうを覗き込もうとするかのように、その吊り目の瞳を耳に当てた携帯に向ける。電波の向こうは勿論、己のを耳に当てたままではその携帯も見えるはずがない。
「出なさいってのよ……」
少女は携帯に耳を澄ませ、相手の反応を一瞬たりとも聞き逃すまいとかぴったりと耳に携帯を押しつけた。あまりに熱心に耳を傾けたため、視線も携帯に向いてしまうようだ。少女の顔はその動きにつられて首ごと横に傾いていた。
少女が居るのは自宅のようだ。その年頃の少女の部屋らしい色合いの調度品が広めの部屋を上品に彩っていた。
だがその部屋で目立つのは別の壁に設えられた、壁を埋め尽くすような本棚だった。ファッション雑誌や少女漫画で埋まっていてもおかしくないその棚には、背表紙からして見るからにお固い分厚い経済や経営の専門書で埋まっていた。
大きな窓が一面を貼られた壁のすぐ脇で、少女はその壁に背中を預けて携帯に耳を傾けいた。
窓の外では陽が天頂に昇り切っていた。平日の学校があろう時間に、その少女は自宅で携帯に気を取られていた。
「何回架けてると思ってんのよ……」
少女は自然と傾く頭を、窓から携帯分だけはみ出るように傾ける。
相手が出ないのは電波のせいではないだろう。そのことが分かっていつつも、少しでも電波状況のよくなるようにとか耳から先、携帯が窓の向こうに出るようにしてしまうようだ。
電話の主は彼恋だった。
彼恋の自室らしい。
今は彼恋の窓際に立っている。別の壁際にはそれぞれ勉強机やベッドが置かれていた。勉強机の上には何やら出力したばかりらしい真新しいプリントが乗せられている。その文面には何やら学校紹介らしき文章と写真や図柄並んでいた。
「たく……しょうがないわね……」
彼恋はひとまず諦めたのか、耳から携帯を離し吊り上げていた目も静かに閉じた。
「メールも返事なし……電話にも出ない……トークアプリも、既読スルー……いい加減腹が立ってくるわね……」
一呼吸置いた彼恋は携帯の画面を眼前に持ってくる。
彼恋がモニタに指を走らせた。
モニタの上で彼恋が次々と別の画面を呼び出す。そこに呼び出される内容に発信の履歴はあっても、受信の履歴が全く現れない。
「あんなにおしゃべりで軽薄なくせな、何なの? 利用価値が無くなったら、ポイって訳? もう集ったり、からかったりしないって? ふん……」
彼恋が目の代わりに今度は口の端をひん曲げた。それは内心から沸き上がってくる怒りの出口としての表れようだった。
彼恋は右の唇の端だけ吊り上げると、こちらも痙攣するかのようにぴくぴくと震わせる。かなり頭に来ているのか、同時に眉間にも軽く血管が浮き唇の調子を合わせてこちらも震えた。
「ふん……もっ一回だけだからね……」
自身を落ち着かせようとしてか、彼恋が鼻から大きく息を抜いて一度目をつむる。彼恋は目を開けると再び携帯に指を走らせ耳元に持っていった。
「……」
だがやはり相手には繋がらないようだ。
彼恋の耳元から呼び出し音だけが延々と続く。
「昨日の内に連絡取らなかったから、怒ってる? それは花応がべたべたくっついてたからで、私のせいじゃないわよ……うぅん……いや! ヒドい目に遭わされたのは、こっち! そこは向こうが怒ることじゃない……ええ、そうよ……文句はこっちが言う立場よ! だから用事が終わってすぐに電話してるんじゃない……休み時間でしょ出なさいよ……」
呼び出し音をただ聞くだけなのは耐えられないのか、彼恋は携帯に向かって一人呟く。声を荒げたりひそめたりを急激に繰り返し、彼恋はその心根から不安な気持ちを一人電話にぶつけたようだ。気圧の不安定な空をいく飛行機のように、彼恋の口調は乱高下を繰り返してまくしたてられた。
「ああ、もう! 色々と訊きたいし、話したかったのに!」
彼恋がそれでも携帯に耳を傾けたまま、壁から背中を話して歩き出した。
部屋の別の壁際にあった机にそのままずかずかと向かうと、
「いいわよ、もう! 全部一人で調べるから!」
彼恋はその机の上にあった書類を乱暴に掴みとった。