十一、ヤミ人 27
「最後よく分からなかったんだが、結局何だって?」
宗次郎がもはやそのまま固定されてしまいそうな程、半開きの半目で花応の手元を見る。
花応の手元ではお弁当箱がハンカチで包まれようとしているところだった。花応はフタを閉じたお弁当箱に目をつむって手を合わせると、その下に敷いていたハンカチに手を伸ばす。
「だから。スポンジで洗剤を泡立てて、マヨネーズやゼリーの汚れを洗うのよ。このお弁当箱をね」
花応がお弁当箱をハンカチで包みながら答える。
「だったら、素直にそう言えよ」
「ふふん。でもこれで分かったでしょ。多くの物質が、コロイド状態にあるって。気体に液体の雲のように、自然にそうなったものもあれば、個体に気体のスポンジのように、人類が意図的に作り出したものもあるわ。どっちも科学のなせる技よ」
「雲ねぇ……」
雪野が窓の外に目をやった。晴天の空をゆっくりと雲が流れていく。雪野がその雲をしばらく目で追う。
「で、雲を掴むような話だっけ? それとも煙を掴むような話だっけ?」
「煙よ、雪野。因みに煙自体は、気体を分散媒に、個体を分散質にしたコロイド状態」
「何て言うか、どんなものでも単独で居るのは不可能だろ? だったらむしろコロイドってやつの方が、自然ってわけだな」
宗次郎も一度雲を見上げてから花応に振り返った。
「いいこと言うじゃない、河中。世はコロイドに満ち満ちている――ってことよ」
花応が宗次郎に応えながら弁当箱をカバンにしまう。
「へぇへぇ……分かりました、分かりました……」
「分かればよろしい」
「で、最後に出て来た個体と気体のやつが、それがペリカンの煙の正体か、桐山?」
「ううん、違うわ」
「違うのかよ」
「むっ! むしろ、何でそう思ったのか、知りたいわね」
花応が心外とばかりに眉間にシワを寄せる。
「今の今まで話をしてきたのは、そのコロイドってのがペリカンの煙の正体だからだろ?」
「むっ、ちょっと違うわね。正体って訳じゃないわ。性質の分析をしただけよ」
「そうかよ。でも、そのコロイドの状態ってやつが、アレの性質なんだろ? じぁ、今まで一番近そうなのは、スポンジじゃないのか? なあ、千早」
宗次郎がぐるり首を巡らせて雪野に振り返る。
「そうね……固いスポンジって感じ? 発泡スチロールにも近いような気がするけど」
雪野が小首を傾げ、人差し指を下唇に当てながら応える。自身の記憶を覗き見ようしてか、雪野の瞳が己の脳内を覗き込むように上目遣いに上げられた。
「まあ、私の予測が正しければ、発泡スチロールは確かに近いわね。あれは断熱性も優れてるから」
「何だよ、もったいぶらずに教えろよ、桐山」
「はぁ? もったいぶってなんかいないわよ。最初に言ったでしょ? あれは多分エアロゲルだって」
「いや、だから。そのエアるゲロが分からんと言ってるんだ。エア嘔吐か?」
「ゲロじゃないって、言ってんでしょ。てか、女子に何度も、ゲロゲロ言わせんじゃないわよ」
花応が眉間のシワを再度寄せて唇を抗議に突き出した。
「その割には、自分から何度も言ってるわよ、花応」
「ふん。ゲル。エアロゲルよ。その特性から、〝凍った煙〟とも、〝個体の煙〟とも言われてるわ。まさにアレの煙と同じよ。ゲル中に含まれてる溶媒を、超臨界乾燥によって気体に置き換えた物質よ」
「超臨海学校ねぇ……凄そうね……」
雪野がその学校行事を想像しようとしたのか、アゴを引いて手を添えた。
「超臨海乾燥よ、雪野」
「違うの? ちょっと期待しちゃったんだけど?」
「違うわ。気体と期待を勝手に置き換えないで。そんな行事を想像するなら、凍った煙を想像しなさい。その方が建設的よ」
「ふぅん『凍った煙』ねぇ……」
雪野が次はその様を想像しよとしたのか、今度は下唇に指を当て目の前の実在しないものを見つめるように両目を寄せた。
「そうよ。凍った煙。煙が固まったままになるなんて、時間でも止まってんじゃないかと最初は思ったわ。でもそんな非科学なこと、認める訳にはいかないわ。不思議生命体とやらが、言うがままに信じる訳にはいかないわね」
「非科学だから、不思議生命体の言うことを信じないって。不思議生命体が〝言う〟こと自体は、疑ってないじゃないか。それはいいのかよ?」
宗次郎が目を細めて意地悪な視線を送ると、
「うるさい、河中。現に目の前でしゃべってんだから、そこに目をつむるのは非科学でしょ。アレが人語を話す秘密は、解剖しないと分からないだろうから、勘弁してやってるだけよ」
花応はぷいっと頬を膨らませて顔をそらした。
作中エアロゲルに関しましては、以下のウェブサイトを参考にさせて頂きました。
http://www.chem-station.com/blog/2013/11/post-574.html