十一、ヤミ人 26
「ふふん……このノド越しもまろやかな魅惑のデザート――ゼリー……これが分散媒が個体で、分散質が液体のコロイド状態よ……」
花応が不敵な笑みを浮かべながら机の置くから何やら取り出した。
それはプラスチックの容器に納められた、市販の一口サイズの小さなゼリーだった。
透明で柔らかな質感のゼリーの表面が、きっちりと収まった容器の中でもふるふると揺れる。
「ただのゼリーだろ? 普通にデザートじゃねえか」
宗次郎がそのゼリーに呆れたように半目を向ける。
「ふふん……そうよ……」
「何ぁに、花応? それこそ食後に、〝口にすべき〟話題って訳?」
雪野は楽しげに目を細めて花応のゼリーを見る。
「ふふ……そうよ、雪野……」
花応がその視線に応えるように容器のフタを開けた。
花応は容器をつまむとそれを眼前に持っていった。花応はそのままゼリーを容器から押し出すと、そのまさにゼリー状のその柔らかなデザートをわざと軽くふるわせる。
「ほら。如何にも水っぽいのに、立派な個体でしょ。これはさっきのゾル、ゲル、キセロゲルでいうとゲルになるわね」
「なあ、桐山。せっかくのデザートを、ゲルとか言っちゃうのは、女子としてどうよ?」
「はぁ、何言ってんの河中? 甘いデザートの正体がゲル。科学的で美味しいじゃない?」
花応は見せびらかすようにそのゼリーをふるわせながら口元まで持ち上げた。
「デザートは、単にきゃははうふふ言いながら食えよ。それが女子力だろ?」
「はぁ、あんた女子、バカにしてんの? てか、科学的で何が悪いのよ。味覚的にも、科学的にも一挙両得で――」
花応がそこで一旦言葉を区切るとゼリーを一口で吸い込んだ。
「ほら、美味しいじゃない」
「はいはい」
「ふふん、そうね。科学的には天草さんも多分、このコロイド状態が一番近かったはずよ。スライムだったからね。素材としては高吸水性の高分子ポリマーの、化学ゲルだったとは思うけど」
花応がゼリーをノドの奥に運びながら天草の席を振り返る。
「そうかよ……」
宗次郎も花応につられて天草の席を再度見る。
ちょうど天草が教室に戻って来たところだった。
天草は宗次郎の視線に気づくと、男子慣れしていないのかすぐさま目をそらして自分の席に座った。
「何、天草さん、困らせてんのよ?」
花応もその様子を確かめると軽く頬を膨らませた。
「お前がことあるごとに、天草を例に出してんだろ? てか、お前につられて思わず見たら、目が合っただけだっちゅうの。何で怒られないいけないんだ?」
「河中、そこは察してあげないと」
しばらく黙って聞いていた雪野が怪しい笑みを浮かべながら話に入って来た。
「はあ?」
宗次郎が抗議の意思を眉間のシワのカーブに表して雪野に振り返る。
「花応だって、女子力ぐらいあるわよ。ねえ? せっかくアピールしてるのに、他の娘に目を奪われてたら、そりゃ怒られるわ」
「別に、こいつに私の女子力アピールする意味ないんだけど?」
花応が今度は雪野に向かって頬を膨らませる。
「ふふん……あっ、そ……」
雪野がその視線を澄ました顔で受け流す。
「ふん……それでね――」
花応は一度抗議に頬を膨らませるが、そのまま話を続けることを選んだようだ。
「オパールなんかも、実は分散媒が個体で、分散質が液体なの。オパールには水分が含まれてるからね。だからこのゼリーと同じなのよ。デザートと宝石が同じコロイド状態だなんて。女子にはたまんないわよね。ちなみに他の宝石は個体、個体のコロイド状態もあるわ。ルビーとかがそうね。女子受けする宝石にも、違うコロイド状態のものがあるのよ。女子にモテたかったら、覚えてなさい、河中」
「それはせめて、女子らしい会話をしてから言って欲しいな、桐山。ゲルだの、コロイドだのの科学力。女子力には必要なだろ。化学ゲルとか口にしながら、ゼリーをよく口にできるな? 洗剤食ってる気がしてこないのか?」
「むっ! 失礼ね。そうね、確かに最近は、ゼリーめいた固形洗剤の誤飲例があるみたいだけど。それは気をつけたいところね。てか、私が食べ物と、化学物質を間違う訳ないでしょ?」
「いや、気分の問題の話をしてるんだっての」
「ふん。ゼリーがゲルで何が悪いのよ。科学的事実だわ」
「はいはい。で、ペリカンの煙は?」
宗次郎がカメラを持ち上げ軽く振ってみせる。
「せっかちね。まだ、分散媒が個体で、分散質が気体の話が残ってるわ」
「まだあんのかよ?」
宗次郎がせっかく持ち上げたカメラを下げ、まただらりと垂らして持つ。
「あるわよ。そうね。お弁当箱は食べたら洗わないといけないでしょ? その時に、洗剤に分散媒が液体で、分散質が気体である泡を立たせるものは何? 科学的に応えて欲しいわね、河中」
「そこ、普通に洗剤を泡立たせるものは何か――って訊けばいいんじゃないのか、桐山?」
「るっさいわね。ちゃんと理解してるか、確かめてあげたんじゃない。洗剤を泡立たせるものと言えば、分かるわね。スポンジよ。個体に無数の穴が空いて、そこに空気が入るでしょ? それが分散媒が個体で、分散質が気体のコロイド状態。まさしくスポンジ状態ね」
花応が宗次郎に応えながら空になったお弁当箱に、こちらも空になったゼリーの容器を放り込む。
「コロイドばっかだな」
宗次郎がうんざり両肩をイスの背もたれの上で垂れた。
「ふふん、そうよ――」
その様子を横目で見た花応は嫌良く鼻を鳴らせると、
「分散媒が個体で分散質が気体の道具を使って、分散媒が液体で分散質が気体の泡を立てて、分散媒が液体で分散質も液体のドレッシングの汚れや、分散媒が個体で分散質が液体のデザートの空容器を洗うのよ」
スポンジで洗剤を泡立ててマヨネーズとゼリーの汚れを洗うべくお弁当箱を閉じた。