十一、ヤミ人 22
首を捻り背後にあった速水の席を見ていた宗次郎は、その姿勢のままカメラをお尻のポケットから取り出した。
「……」
宗次郎が無言でカメラのモニタを操作した。
そこに写し出されたのは昨日の写真だった。
宗次郎はその写真に一人じっと見入った。
「それでね! それでね――」
宗次郎の様子に気づかずか、花応ははしゃいだように話を続ける。
「彼恋ったらね! 彼恋ったらね! 意地でもお姉ちゃんって呼ばないの!」
「ふんふん。それで」
花応が一方的に話し、雪野がその話に相づちを打っていた。相手の様子もろくに確かめずにまくしたてる花応は、まるで即興のリサイタルでも開いているようだった。
「それでね! それでね! 姉妹が出るアニメや、小説の話で言葉だけでも引き出そうとしたんだけど、よく考えたら、私がそう言うの詳しくなかったわ! 非科学だったわ!」
雪野の合いの手が更に花応を饒舌にさせる。
「ふんふん。そうなんだ」
「まあ、そんなに焦ることないわよ」
「そうよね! あんまりお姉ちゃん面するのもね!」
「実際同い年なんでしょ? あんまり強いるようなことじゃないわよ」
「そうね! 贅沢はダメよね!」
「うんうん」
花応が歌い、雪野が伴奏する。
だがそんな感じのリサイタルの唯一の観客は、二人の会話は右から左のようだった。
宗次郎はお弁当を平らげた後は、自身のカメラをいじり続けていた。まるてタダ券できたディナーショーの招待客が、食事が終わってしまってその後の時間の潰し方に困っているかのようだった。
「それでねって――あんた、聞いてるの?」
心ここに在らずの背中を見せる宗次郎にようやく気づいたのか、花応が宗次郎の肩に握った拳を軽く打ちつけて来た。
「痛いだろ、桐山? 殴るなよ」
宗次郎が軽く体をねじって花応の拳から逃れながら応える。それでもカメラのモニタからは目を離さず、如何にも邪魔されたと言わんばかりに写真を繰り続けた。
「女子の拳が、そんなに痛い訳ないでしょ? 軽く小突いたぐらいで、非科学な」
花応が伸ばしたままの拳を更に押し込み宗次郎をこちらに向かせようとする。
「女子の拳でも、それなりに痛えって。非科学なって言う前に、自分で運動量ぐらい計算しやがれ」
「むっ! そこは男子らしい、非科学な強がりで逃れなさいよ」
「どっちなんだよ? 非科学推奨なのか? 非科学非推奨なのか?」
「てか、彼女ほったらかしで、何カメラに夢中なのよ?」
雪野が宗次郎の手元を覗き込みながら会話に割り込んでくる。
「彼女じゃないし!」
「彼女じゃねえし!」
声を揃えて言い返してくる花応と宗次郎に、
「あっそ」
自分で話を振っておきながら興味なさそうに雪野が応える。
「何? あの時の煙の写真?」
自分の振った話に興味をなくしたのは、それ以上に興味を引かれるものを目にしたからのようだ。
雪野は宗次郎の手元の写真に眉をひそめて更に体を乗り出した。
「ああ、これの話もしたかったんだが……この煙の速水が開けた穴――」
宗次郎はそこでちらりと速水の席をもう一度見る。
そこに速水の姿はまだなかった。代わりに宗次郎の視界に必死に氷室が入り込もうと首を伸ばしているのが見えた。どうやら花応に殴られている宗次郎が羨ましくて仕方がなかったらしい。
「この穴って、どう思う?」
渋い顔を必死に体ごと伸ばして己の視界に入ろうとしている氷室を無視して宗次郎が続ける。
「『どう』って? こじ開けたんでしょ? 力づくで」
花応も写真を覗き込んだ。
そのことで花応の顔が宗次郎に近づいた。それを見ていた氷室が歯ぎしりまで始めていることには二人は気づかなかったようだ。
「ふふん……」
雪野だけがそのことに気づいて軽く氷室に笑みを向けると、やはり花応と宗次郎は肩を並べるようにして同じ写真に見入っている。
「そこは桐山。科学的なところが聞きたかったんだが」
「こんな非科学な煙の壁。元から論外よ。壁自体が非科学だもの。更に非科学な人が空けた穴なんて、どう科学的に説明しろってのよ」
「あのな。科学の娘だろ。自分のペットの仕業ぐらい、科学的に考えろよ」
「むっ! 言ってくれるわね。ペットと認めた訳じゃないけど……いいわ、私だって全くほったらかしじゃないんだから! なにせ、アレが煙の壁を出す度に。それをよじ上るはめになるのは、私なんだからね」
花応がそこまで口にすると雪野の方を軽く睨みつける。
「いつも先走る。雪野のせいでもあるけどね」
「はいはい」
「あの壁の正体は多分『エアロゲル』ね。煙自体が科学的に考えれば『コロイド』と呼ばれる小さな粒子だもの。煙は『分散媒』を気体に、『分散質』を個体にした『コロイド』の状態よ。分散媒はコロイド粒子を分散させている――」
「ちょっと待て、桐山。いきなり難しい話に飛んでないか? ゲルとか何だ?」
「何言ってんのよ、河中。ゲルはこの間、天草さんの時に話したでしょう? 高分子ゲル」
「いや、天草の件は俺よく知らないし」
宗次郎が言葉の継ぎ穂を探したのか天草の姿を探すように目を泳がせた。
天草の姿は教室にはなく代わりにその視界に入って来たのは、
「ぐるる……」
遠くで思い切り宗次郎に向かって頬を膨らませた氷室の姿だった。