十一、ヤミ人 17
「ペリッ! お帰りペリ」
地下から地上へと抜ける改札の出口。ラッシュのピークが過ぎた私鉄の駅が地下を通っており、それなりに交通量の多い川際の道路へ出口が繋がっていた。
花応がうつむきながらそのその階段を上がってくる。
その目は伏し目がちに伏せられていた。単に階段の足下を見ようとしていたのか、それとも地下から朝の地上に出てくる際にまぶしかったのか。花応が目を細めて上がってくると、その細めた目が最後はぐっと不快げに更に細められた。
視界を切り取る四角い出口の先に、暢気に片方の羽を上げて出迎えるジョーの姿があった。
人間臭いその動きと、町中に舞い降りている人の背丈程もあるペリカンの姿に、通行人が皆ぎょっと目を剥いて通り過ぎていた。
「……」
花応は階段を昇り切るとつかつかと無言でジョーに詰め寄った。小走りで足を曲げずに進めたその歩は、明らかに苛立と憤慨が現れていた。
花応はカバンを左手に前後に勢いよく振りながら、脇目も振らずにジョーに駆け寄った。
その花応とジョーを皆が遠巻きに通り過ぎていく。花応とジョーは小川に突き出た一対の岩のように、人の流れを水流のように分けていた。
「お見送りどうだったペリか? 彼恋殿――」
「あんた、何でここに居んのよ?」
ジョーに皆まで言わせず花応は額を突きつけんばかりに詰め寄る。
「お迎えペリ。花応殿、これから学校いくペリよ? 彼恋殿の見送りから帰ってくるなら、最寄り駅はここペリ」
「そんな話じゃないわよ。迎えとか、見送りとか。必要ないでしょ? 遅れて学校いくだけよ」
花応が周囲を行き交う通行人にちらちらと視線を泳がせながら、ジョーの側頭部に己の額をぐいぐいと押しつける。
「せっかく仲直りした妹氏とお別れペリ。きっと心細いペリよ」
押されるままに長い首を傾けながらジョーが負けじと応えた。
「はぁ? だからって、あんたに出迎えてもらって嬉しい訳ないでしょ?」
一際鋭く吊り目を吊り上げ花応がようやく顔をジョーから離す。
「嬉しくないペリか?」
「当たり前よ。見なさい。顔から火が出るようなこの状況! こんな駅出たとこすぐで、水鳥に子供みたいに近寄らないといけない私の身にもなれ!」
花応がジョーの水鳥然とした頭部に拳を押しつけた。未だ軽く包帯の巻かれた右の掌で作った拳。その中指だけ少しずらして外に出すと、その尖らせた関節をぐりぐりとジョーの頭にねじ込んだ。
「痛いペリよ。動物虐待ペリよ」
「うるさい。迎えなんて、必要ない。とっとと、消えなさい」
花応が今度はカバンを地面に置くと左の手で拳を作り、同じように中指の関節だけ尖らせた。
尖らせた左手の拳も合わせて、花応はジョーのこめかみを両側からぐりぐりと押し挟む。
「痛いペリよ。が、学校まで、送るペリよ。その為に、わざわざ迎えに来ただけペリよ」
「はぁ? 誰も迎えなんて頼んでないでしょ」
花応が更に両手に力を入れる。
「かかか、彼恋殿に、頼まれたペリよ」
「彼恋が?」
花応がジョーの言葉に目を白黒させた。その手元もぴたりと止まる。
「そうペリ。電話架かって来たペリ。一度切れたペリけど、またすぐ架かって来たペリ。よっぽどジョーと話したかったと思ったペリ。でも、違ったペリ」
「彼恋があんたに電話? 何でよ? どうやってよ?」
「『どうやって』って、携帯に番号押せば繋がるペリよ。できないのは、花応殿だけペリよ」
「うるさい。じゃあ、何でよ?」
「心配してたペリよ」
「『心配』?」
「ペリ。ふつつかな姉だけど、よろしくって言ってたペリ。ひとまず、一人にされて泣いてないか、駅まで見送りにいけって言ってたペリ。ついでに学校まで送っていけって言ってたペリ」
「な、泣く訳ないでしょ」
「ペリ。半泣きで駅から出て来たように見えたペリ。うつむいて元気なく、しょぼくれてたペリ」
「あれは、地下から地上に出て、まぶしかっただけよ! 誰が半泣きか!」
花応が思わずにか声を荒げると、ちょうど通りかかった通行人がぎょっと身をすくめた。
「ぐ……」
その様子に花応が悔しげに唸る。
「花応殿。迷惑ペリよ」
「うるさい……いつまでもこんな人通りの多いところに、あんたと居れるか! いくわよ!」
花応がカバンを拾い身を翻すと歩き出す。花応は道路に沿って流れる幅の広い川に向かった。花応の向かった先には、石で作られた階段が川際へと続いていた。
「川べりにいくペリか? ちょっと遠回りペリよ」
ジョーがその場に止まったまま道路の方を羽で指差す。
「そんな人通りの多いところ、あんたといける訳ないでしょ」
花応が早くも川岸へと下る石畳の階段に足をかけながら振り返る。
「一緒にいっていいペリか?」
「だって、彼恋がそう言ったんでしょ? 彼恋のお願いなんでしょ? じゃ、じゃあ。仕方ないわ。お供させてあげるわよ」
花応はぷいっと前に向き直り足早に階段を降り始めた。
人通りにから逃げるように駆け下りる花応の足取りは、
「ふふん……」
人の視線を避ける為だけ以上に軽やかに川べりと続く階段を駆け下らさせていた。