十一、ヤミ人 13
「朝早くからの呼び出しで、災難だったね……」
鏡写しの力を持った生徒会長――時坂が、真か偽か分からないにこやかな笑みをその顔に浮かべていた。
時坂は先に入っていた部屋で、その部屋のドアを開けて入って来た雪野達ににこやかに声をかける。
真偽はともかく時坂は柔らかい笑みを浮かべていた。生徒会長らしい爽やかな笑顔を浮かべて、時坂は窓から差し込む朝日すら背に受けて立っている。
そこは校長室だった。時坂は大きな机の脇に立ち、その机の上には『学校長』と書かれたプレートが立てられていた。
時坂は誰よりも先にこの校長室に入室していたらしく、時坂以外の姿は教師も部屋の主の校長らしき姿もなかった。
手持ち無沙汰だったのか、単に同じ姿勢に疲れたのか。時坂は後ろ手に手を組んで立っていた。
後ろに回った両腕は背中に隠れてヒジより先が見えない。
「生徒会長……」
雪野は警戒心も露に眉間にシワを寄せて表すと、本来は信頼すべき役職の名を呼びながら校長室の中に一歩足を踏み入れた。
「何で、てめぇが居るんだよ?」
雪野の後に続いて入って来た宗次郎。宗次郎も露骨に顔を歪めてみせる。
「桐山くんは? どうしたんだい? 居ないみたいだけど」
「俺の質問、無視かよ?」
「別に。質問に答えるよりも、先に疑問がノドまで出ていたせいだよ。河中くん、桐山くんは来てないのかい?」
むっと更に眉間にシワを寄せる宗次郎に、時坂が涼しげに答える。
「……」
雪野は部屋に入って来て部屋の中程まで進むと、その場で立ち止まって時坂を眼光鋭く睨みつける。
「ふふ……」
時坂はそんな雪野の視線を気にする様子も見せずにその涼しげな顔を崩さず答えを待った。
「ああ、妹の見送りだ。遅刻しくてくるだろうってよ――って! やっぱり答えてねえじゃねえか! 俺の質問!」
「はは。そんなにこだわることかい? 僕がここに居るのは、何にも不思議なことじゃない。僕はこの学校の生徒会長だよ。生徒の身に何かあったら、僕だって呼び出しさ」
「ふん! 何が『何かあったら』だ。何に会って、何に遭ったのかなんて、あんた知ってんだろ?」
「おやおや、起こったことをありままに話すつもりだっのかい?」
「なっ?」
「どうせ、校長も煙に巻くつもりなんだろ? せっかく適当に相づちを打って、千早くんの作り話に信憑性を持たせてあげようと思ってきたのに。生徒会長って役職は、こんな時に便利なんだよ。知らなかったかい?」
時坂がやれやれと言わんばかりに肩を軽くすくめてみせる。
先まで背中に隠れていた両腕が不意に露になった。
その時坂の右手の手首に腕時計が巻かれている。
「――ッ!」
部屋に入って来てからずっと相手を鋭く見つめていた雪野が、時坂の右手の腕時計を見て身構える。
「おっと……うっかり、逆の腕にはめてしまっていたね……」
時坂が不敵な笑みを浮かべて左手を右手首に持っていった。時坂は別段急ぐ様子も見せずに、右手首から時計を外すと左の手首に巻こうとする。
「……」
雪野が油断なく右手から左手に移される腕時計を見つめる。
「知ってるかい? 反時計回りに回る時計があるらしいよ」
時坂が時計を左手に付け替えながら雪野に顔だけ振り向かせる。
「……」
「文字盤とかも逆に配置されているし、文字そのものも鏡写しになっているらしいよ。美容室とか、散髪屋さんとか。そんなところでその時計を壁にかけて置いてね。まともに見たらただの見にくい鏡写しの時計なんだが、それが身動きが取れない理容中のお客さんにはちょうどいいらしい。動けないお客さんの目の前にあるのは、勿論鏡。何か見るには鏡越しに見るしかない。で、その鏡に写ったその何かもが鏡写しの時計は、そのことできちんと時間が分かるって寸法らしいよ」
「それで……」
雪野が時坂の腕時計をじっと覗き込む。
「別に、それだけさ。腕時計でも同じものがあれば、僕には便利かなって思っただけだよ」
左手に腕時計を巻き終えた時坂がその左手を軽く振る。縦を軸に、左右に揺さぶるように手首を振り、しっかりと左手に腕時計がはまっているかを確かめたようだ。
その動きで更に腕時計に雪野の視線が集中するや、時坂が不意にその動きを止める。動きが止まって露になったのは、普通の腕時計だった。遠目にも時計回りに秒針が動いているのが見て取れた。
「自身が反転してるかどうか、私に気づかせない為にですか?」
雪野がようやく腕時計から目を離し、時坂の顔を睨みつけるように見上げる。
「そうだね。まあ、意味ないけどね。僕はどんなにひっくり返ろうとも――天地が逆さまになっても、君には勝てない。僕の今の状態がどっちだろうが、君には関係がない程僕の力は弱かった」
「『弱かった』ですか……」
雪野がその意味を吟味するかのように、同じ言葉を後を追って呟いた。
「そうだよ。それこそ天地をひっくり返すぐらいの力がないとね……」
時坂は何処まで爽やかな笑みで微笑み、
「……」
雪野は最後までその笑みを貫くように睨み続けた。