十、魔法少女 28
「――ッ!」
雪野が無言で魔法の杖をふるった。
その杖の先から放たれた炎が彼恋の掌の中の酸を一瞬で蒸発させる。
「ふん……」
彼恋が蒸発した酸に慌てることなくちらりと目をやると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「もう止めましょう、彼恋さん」
「ふん。魔法と口を、勝手に挟まないでくれる? 魔法少女さん?」
彼恋がもう一度手を軽く振ると、その掌の上で真新しい液体が踊った。
「あなたは、そんな人じゃないんでしょ、彼恋さん? ささやかれて、感情が暴走してるだけよ」
「はん! こっちは、もう超酸まで出してんのよ。私の本気。疑わないでくれる」
「彼恋!」
その液体を挑発するように揺らす彼恋に、花応が堪らず駆け出そうとした。
「桐山! 慌てるな!」
その手を宗次郎が掴んで引き止める。
「何よ! あの娘を止めないと!」
花応がきっと睨みつけるように宗次郎に振り返った。
「駆け寄って、どうするよ? あの酸をまともに食らうつもりか?」
「ジョーを連れて行って、中和する物質を出して何とかするわよ!」
「――ッ! ペリ!」
むんずと急に首根っこを花応に掴まれたジョーが、声にならない悲鳴とともにびくっと肩を震わせる。
「じゃあ、何で最初っからやらない?」
「酸の中和には塩基――アルカリ性の物質が有効なの。でも、中和にはそれに必要な、量とか質とかが……」
「言い淀んだな? つまりお前は、まだあの酸の正体が分かっていない。何でどのくらい中和していいのか、分かっていない。そうだな? それで大丈夫なのか?」
「それは……アルカリ性の方が強過ぎも、有害になる可能性があるから……」
花応が奥歯を噛み締めながら悔しげに彼恋を見た。
「ふふん……」
彼恋がその花応の様子に歪んだ笑みを見せつけ、その液体の踊る右手を挑発的に突き出した。
「そうかよ……なあ……〝ささやか〟れたら、本音が暴走するんだったな?」
宗次郎がその液体をじっと見つめながら花応の耳元に顔を寄せて訊いた。
「へっ? 何よ、突然……」
「なら、隠していたい本音だって――それでも知られたい〝本当の気持ち〟だって。暴走して現れるはずだ」
「……」
花応が宗次郎の横顔をじっと見つめる。
「……」
雪野も速水と彼恋に警戒する為に魔法の杖を向けながら、花応達に振り返り宗次郎を無言で見つめる。
「最初の酸。あれは本当に、マジック酸だったのか?」
「何よ?」
「桐山妹は、マジック酸かと訊かれて、肯定も否定もしなかったような気がしてね……それでいて、もう一度そのことを考えさせようとしたようにも見えてね……」
「……」
宗次郎の言葉に彼恋がぴくりと目を痙攣させる。
「何よ、河中? 何が言いたいのよ?」
花応が宗次郎の真意をはかろうとしたのか、その目の奥を覗き込む。
「そうかもね――とか、言ってたろ? 別の酸の可能性は?」
「そりゃ、あるだろうけど……マジック酸の他の超酸だなんて……考えるだけで……」
花応がごくりとノドを鳴らして彼恋を見る。
「ふふん……FSO3Hに、SbF5のマジック酸……ううん……SbF5に、HFかもね……」
「――ッ! HF! フッ化水素! 彼恋! お前! いや! HFにSbF5は――マジック酸以上の超酸!」
花応の顔から血の気がさっと退いた。
「そうよ……」
「フルオロアンチモン酸か……そんなもの、振り回していたのか……」
花応は呑み込む唾すら渇いてしまったのか、かすれた声でぽつりと漏らすように呟く。
「……」
帰って来たのは沈黙の答えだった。
「それは、最強の酸だぞ……彼恋……」
花応が足を広げて構え直した。破いたスカートの端から花応の片足が出る。
その足は細かく震えていた。花応は震える足を広げ、何とか両足で踏ん張ることでその場に踏みとどまったようだ。
「怖いのなら、逃げ出しなさいよ。わざわざ踏ん張り直して。本当は逃げ出したいんでしょ? 私を理解して許しを乞うようなこと、言ってたみたいだけど! いざとなると、怖いんでしょ! だって、科学的に考えたって、私の本音なんて分かる訳ないものね!」
「彼恋……」
「桐山! うろたえんな! 姉貴だろ? お前は! で、マジック酸じゃなっかっらどうなんだ? フルなんとかなら、どうだと思うんだよ? 千早が言ってた通りだ! 妹は、構って欲しんだよ! もう自分から曝露してんだろ? いや、どうだと思うんじゃない! どういう科学的な結果が導き出されるんだよ!」
宗次郎が掴んだままの花応の腕を力づくで揺らした。そのことで花応に気合いでも入れようとしたのか、宗次郎は花応の掴まれた腕が白くなる程力強く握り締めてその腕を振る。
「えっ……」
「鬱陶しいわね、そこの男子! 何、人の考え、勝手に講釈垂れてんのよ!」
「いいや、俺の勘が当たってるはずだね! てめえは、科学的に考えたら、自分の気持ちが分かる――って、自分から曝露したんだよ!」
「はん! フルオロアンチモン酸が私の本音なら! 全てを溶かし尽くしてやるってことでしょ? それが全てよ! 今更、何を救いの手みたいに言ってるのよ!」
彼恋の目尻を吊り上げ、元々吊り目の目を最大限に吊り上げた。
憎悪が最高潮に達したのか彼恋はその目でその場に居る全員を見回す。
「く……」
「この……」
「ペリ……」
そのあまりの陰にこもった彼恋の瞳に雪野と宗次郎にジョーが思わずにか唸るが、
「フルオロアンチモン酸……HF-SbF5か……」
花応だけは何かに気づいたのかその言葉を反芻するように呟いた。