十、魔法少女 18
「……」
花応が震える足を前に出す。
いや、震えているのは足だけではないようだ。ジョーの首根っこを掴まえた花応の腕。それが肩から手先まで細かく震えていた。
「……」
花応がもう一歩前に出る。
その頃にはもう全身が震えていた。
それはただの力の入れ過ぎではないようだ。
もっとも震えていたのは目の奥の光だったからだ。
花応は目を剥いていた。視線の向こうに立つ憎悪に目を剥く妹と同じ色に目を剥いている。
「彼恋……」
花応が更に前に出る。その白い上品なスカートを風にまかれるに任せ、それでいて自身の足の震えで細かく震わせながら前に出る。
祖父にもらったそのスカートは既に汚れてしまっていた。白い生地の端々に泥や芝生の緑が着いてしまっている。
花応はそのことに気が回らないようだ。
抱き寄せているジョーに着いている泥が移るのも気にせず、花応はジョーを強引に引き連れて前に出た。
「おい……桐山……」
宗次郎がその背中を止めようとか慌てて手を伸ばした。
宗次郎の手が花応の小さな肩にかかるが、
「……」
花応は止まりもしなければ、振り返りもしなかった。
花応は肩を掴まれても足をもう一歩前に出した。
それでも男子の力で後ろから肩を掴まれてその場でしばし上半身が後ろに残ってしまう。
花応は苛立たしげに肩を振ると宗次郎の手を振り払った。
「桐山……」
宗次郎が手を伸ばしたまま後ろに取り残される。
「ペリ……」
首根っこを掴まれ、花応の反対側の手でノドの奥にも拳を突っ込まれているジョー。こちらはその苦しい体勢で花応につられるままに前に出る。
花応の力に積極的になろうとしている訳ではないようだ。ジョーはその水鳥の尾の方を、人間のへっぴり腰のように後ろに退きながら前で出る。
「何よ……」
その花応に彼恋がこちらは歯も剥いて呟いた。あまつさえその奥から歯が鳴る音すら聞こえてくる。
「これ以上、科学を悪用するな、彼恋……」
「はぁ? 私と同じことしておいて。あんたは正義で、私は悪だっての?」
「お前は、私の友達を傷つけてる……」
花応がゆっくりと前に進む。
「花応……」
雪野が花応に振り返る。雪野は限界に来ていたのか、既に両ヒザを芝生に着いてしまっていた。
雪野は荒い息で肩を上下しながら自分に近づいて来る友人に振り返った。
「……」
速水と時坂はそれを面白がるように見ていた。それぞれの口角が上がる。まるでこれから突き刺す牙を見せる、野生動物の舌なめずりのようにも見える。
二人が時を同じくして同じ表情をしてみせた。
「はん! 友達ですって!」
無言でほくそ笑む二人を脇に、彼恋が首を斜め後ろに傾けて鼻を鳴らした。それで相手を下に見ようとしたのか、彼恋は目だけはその場に残すように下に向けて花応を見る。
「そうだ、彼恋……雪野は、私の友達だ……」
花応はジョーを従えたまま雪野の隣まで来た。そして足の裏でざっと芝生を鳴らして、右足を広げて立ってみせる。
それで花応の後ろに雪野の体が半分隠れた。
高校一年生女子としてもそう大きくはない体で、花応は雪野の体を隠しかばうような位置に立つ。
「だったら、妹を傷つける姉は、悪じゃないの? 私があんたに、どんなに傷つけられたと思ってのよ? これは私を守る為の力よ! 私の正義よ! 違う?」
「……」
花応は答えない。
「……」
彼恋も沈黙で待つ。
「すまない……何がいけなかったのか……今でもよく分からない……」
花応は絞り出すようにようやく答えた。
「そうよ。あんたは、いつも私のことを何も分かってないわ」
「そうか……」
「ええ、そうよ……あんたは、私が一番何が好きか知ってた?」
「か――」
「『科学だ』なんて、言わないでね! それはいきなり人の家族に押し掛けて来て! 一人ではしゃいでいた、あんたが勝手に口走っていたことよ! 私はそんこなこと、望んじゃいなかったわ!」
「彼恋……」
「私が興味があったのは! 経営とか! 経済とか! マーケティングとか! そんなことよ! CDSとか分かる? 劣後債とか! デリバティブとか! スワップとか! カレンシーとか――」
彼恋が堰を切ったようにまくしたてる。
「あんたがペンギン見て、ファインマン図だ、カティだ、何だ、ってはしゃいでいても! 私が気になるのは、その裏にある数字よ! 同じ数式でも、粒子・反粒子の対生成や、対消滅じゃないわ! ペンギンを飼う施設の初期投資や維持費! でもそれがもたらしてくれる集客効果や宣伝効果! 常にそこに居る人たちの経済活動の動きよ! ええそうよ! あんたと私は同じも何て見てやしないわ! 昔っから! 家族をなくしたあんたに同情して、話し合わせてあげてただけよ! でも、笑いなさいよ! 結局、出来上がったのは、あんたに負けず劣らずの科学の娘! 今はこんなこともできる――」
彼恋は誰にも口を挟ませず吠えるに胸の内を吐露する。
「彼恋……」
そして妹の名をそれでも呟く姉の前で、
「そうよ! 桐山彼恋よ!」
彼恋は目の端に光るものを溜めながら再び両手の中で光る金属を呼び出した。