二、ささやかれし者2
「はぁ? 何やられちゃってくれてんの?」
それは鼻にかかった人を小馬鹿にした声だった。
実際相手を下に見ているようだ。そう。実際に相手を下に見ていた。
日が傾いた校舎裏。人気のないその場所で男子生徒は左手を校舎の壁についていた。
話しかけた相手を追い込むかのように、男子生徒は相手の女子生徒を壁際に追いやり己の身で前を塞いでいた。
女子生徒は小刻みに震えながら、カバンを抱き締め背中を校舎の壁に預けていた。
男子生徒はそのまま己の顔をグッと前に出す。
「だ、誰……」
鼻先にまで顔を近づけられ、相手の女子生徒は怯えた声を出した。
天草杏子だ。
今は制服に着替えている。そして相手の目から視線を逸らし、手に持ったカバンを痛々しいまでに力強く握っている。
力を得ていた時から、元の臆病な性格に戻ってしまっているようだった。
「『誰』だぁ? 俺を知らないっての! はぁ? 最底辺様は、これだから困るよな!」
男子生徒は苛立ちを相手への威嚇へと変えるつもりか、天草の頬の脇で校舎についていた手をバンバンと叩く。
「ひっ!」
「いちいち怯えんなよ! しらけんだろ!」
「ご、ごめんなさい……」
「はっ! それを怯えてるって――言うんだろうが!」
男子生徒が天草の髪を乱暴に掴んだ。
「ひぃ……」
「けっ! ホント、しらけんな」
男子は天草の髪を直ぐに放した。勿論話し方も、放し方も乱暴だ。
「まあ、いいや。俺が誰だかは、自分で調べなよ。この学校じゃ、一応有名人でね。だか、本題はそこじゃねえよ」
男子は更に深く腰を折り、その顔を天草の耳元に持っていく。
「……」
「てめえも〝ささやかれた〟んだろ?」
男子生徒は自身もささやきながら天草の耳元にそう告げる。
「ひっ……」
「はは。やっぱりそうか? あんな騒ぎ、演劇の練習の訳ねえよな! てめえも〝ささやかれ〟て、力ももらった口か?」
男子は笑いながら天草の耳元から顔を上げた。それでも直にくっつきそうなぐらいに己の顔を天草に近づける。
「あ、あなたも?」
天草が少しでも離れようとしてか、上半身ごと逃れようとする。
「そうよ。何か知んねえけどよ。耳元で誰かがささやいたろ? てめえ何の力手に入れた?」
男子はそんな天草の腕を反対側の右手で掴んだ。代わりについていた左手を壁から離す。
「……痛い……放して……」
「俺の質問に答えろよ! しらけるな!」
「……スライムになる力……」
「スライム? あはは! バッカじゃねえの! スライムだって! でも、お似合いか? てめえみたいなフニャフニャした、居るのか居ないのか分からないような女にはよ!」
「……」
「俺のは、違うぜ! もっと凄いやつだ!」
「それで……」
「おうよ、それでよ。それでせっかくよ! 手に入れた力で、どんな奴狩ってやろうかとワクワクしてたら――」
「痛い……放して……」
「てめえみたいなカスに先を越された――って訳だ! あぁ? 分かる! 俺のガッカリ感? トホホ気分? もう、超しらけたよ」
「痛い、痛いから……放して……」
男子生徒は天草の小さな懇願をまるで聞いていないようだ。
更に右手に力を入れ、天草の二の腕を締めつける。
「それでよ! 騒ぎの中心のさ! 多分〝俺ら側〟の人間捕まえてみたら――」
「痛い!」
「こんなカスでよ! そりゃ、すぐやらちゃうわな! 俺、てめえがやられるまでは、自分が選ばれた勇者気分だったんだけど? どうしてくれんのよ? ハズいだろ俺? てめえのせいでよ!」
「知らない……離して……それに、私もう力が……」
「知ってるよ! 俺の無敵感! どうしてくれんのよ――って話だよ!」
男子は握りつぶさんばかりに天草の二の腕を掴む。
「痛い痛い痛い! 痛――ぐぅ……」
「るっせぇ! 人がくんだろが!」
男子生徒は左手で天草の口を塞いでしまう。
「むぅ……うぅ……」
天草は嗚咽を男子生徒の手の端から漏らしながら、必死に首を左右に振る。
「けっ! ホントしらけんな」
男子はやっと天草から左手を放した。右手はまだ放さない。
「げほ……ぐ……いや、何でこんな……」
「はん。俺の気分の弁償だよ。まあ、でもいいや。あんたの仇は俺が討ってやるよ」
「……」
「魔法少女とやらなんだろ? あの優等生さんはよ? アレを倒せば、俺やっぱ選ばれし者って感じなんだろ?」
「……」
天草は答えない。
「あの女に目をつけたのは、褒めといてやるよ。せっかく手に入れた力だもんな。一番ムカつく奴に使わないとな。てめえもそう思ったんだろ?」
「……」
「答えろよ! 俺一人しゃべってバカみたいだろ!」
男子生徒はもう一度壁に左手をついた。
今までとは違う鈍い衝撃が、震えとなって天草の背中に響いてくる。
「ひっ……そ、そう……」
そのあまりの振動に、天草は一瞬で身がすくんでしまう。
「オッケー! まあ、見てな。俺の力はすげえぜ! てめぇのスライムちゃんとは違ってよ!」
男子が天草から右手を放した。同時に左手も校舎の壁から放す。
パラパラと何かが剥がれ落ちる音がした。同時にそれは天草の肩に当たり、地面に落ちていく。
コンクリートの破片だ。その白く細かい塊が天草の肩を白く染める。
男子生徒は己の左の掌で校舎の壁を砕いたのだ。
「……」
天草が怯えた視線をその左手に送るが、
「ははっ! スッゲーだろ? この力があれば、ムカつく奴らをぶっとばせるぜ!」
高笑いを上げる男子生徒の左腕は、夕日の陽光に金属質なまでに反射してよく見えなかった。