十、魔法少女 4
「なんだ?」
花応を自分のふところ付近まで慌てて引き寄せながら宗次郎が目を剥いた。
「……」
煙はすぐに霧散していく。その煙が白い靄となって消えゆく間、雪野は油断なく向こうを睨みつけた。
その目が緊張に軽く痙攣する。事態の深刻さを推し量ってか、雪野は腰をゆっくりと下ろして身構えていく。
「おやおや、大したもんッスね」
同じ光景に速水がにやにやと笑う。細い目が更に細く、弧を描いた。速水はその人を馬鹿にしたような目をそのまま彼恋に向ける。
「何よ……」
彼恋がその視線にすぐに反応した。だが速水の目から逃れるように彼恋は視線は泳ぎながら反対に弱々しく向けられる。
「何弱気になってるッスか! 凄い力ッスよ! もっと自信持つッスよ」
速水がわざとらしくも語尾をいちいち上げて彼恋をはやし立てる。速水は頬を楽しげに紅潮させて、両の口角を吊り上げた。
だが目の笑みは形だけだったようだ。その細い目の奥から探るような視線を彼恋に送る。
「うるさいわね……」
「何、小さくなってるッスか? もっと堂々とするッスよ! それとも何ッスか――」
速水の弧を描いていた目がすっと鋭利な刃物で切ったように横一文字に細められる。それと同時に速水は作ったような興奮の色をすっとひっこめ、声の調子を明らかに探るような低い音に落とした。
「……」
彼恋が速水の声の調子の変化に思わずにかそちらを向いた。
「お姉ちゃんが、どんな顔するか――怖いッスか?」
「――ッ!」
彼恋が目を剥く。速水の視線を突いて返すように彼恋はその特徴的な吊り目を力の限り見開いた。
「ふふ……」
澄ました顔で見つめ返してくる速水に、
「……」
彼恋はギリッと奥歯を噛み鳴らしてから前に向き直る。
「……」
その彼恋を待っていたのはこちらを真っ直ぐ見てくる花応の目だった。
花応は宗次郎に手を掴まれて後ろに身を引かれ、斜めに体を傾けていた。それでも目だけは彼恋の方に突き刺すように真っ直ぐ視線を送ってくる。
「別に、大した顔してないわ……」
「おやおや、相当怒ってるようみ見えるッスけどね」
ぽつりと漏らすように口を開いた彼恋に、速水が何処までも馬鹿にしたような口調で応える。
「彼恋……」
こちらもぽつりと呟くように花応がようやく口を開いた。
己を守るように胸元に引き寄せていた宗次郎の手を払い、花応は一人で立って彼恋に完全に向き直る。
「何よ……」
「これは……何だ?」
花応が白煙を上げた芝生を見下ろす。芝生は不自然にしおれていた。そして円を描くように一部地面が剥き出しになっていた。そこにあったであろう芝生は溶けたようになくなっていた。
「――ッ! 見れば、分かるでしょ! 科学の娘さん!」
彼恋が目を剥いて答える。
「……」
「……」
花応と彼恋がお互いの良く似た目で視線をぶつけ合った。
「酸だな……」
花応がゆっくりとその事実を確認するように言葉にする。そしてもう一度地面の芝生を見下ろした。
そこにはやはり芝生が溶けてなくなったよう一角があり、その下の地面が剥き出しになっていた。
「そうよ。言ったでしょ? 科学的な力を手に入れたって」
「……」
今度は花応がギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「あはは! 自分もやられたッスよ! すごいッスよ、彼恋っちは!」
速水がけしかけるように大声で笑い出した。
「ふん……」
そんな速水に目を向けず彼恋は鼻だけ鳴らす。
「でも、自分にまで、酸をけしかけるなんて、ヒドいッスよ! せっかくのアイスが、水みたいだったッスよ!」
「あんたのは、単なるギムネマ酸よ」
「はい? 何ッスか? ギブミーマネーさんッスか? お金は欲しいッスけど、そこまで落ちてはないッスよ」
「ギムネマ酸よ。味覚から甘味を奪う効果があるわ。舌が甘いと感じるのを一定時間遮ってしまう物質よ」
「やっぱり、ヒドいッス! 人が楽しんでた冷たくも甘いソフトクリーム! それの一番の醍醐味を奪ったッスね!」
「うるさい。ダイエットでもしたと思いなさい。甘いものを食べても味気なくなるから、お茶にしてダイエットにも利用されてるのよ。ギムネマ酸は」
「ああ! 結構ある方ッスけど! もっとつくとこ、つけないといけないお年頃ッスよ! ダイエットなんて、ご遠慮したいバディッスよ!」
速水が自分の胸ねお尻の前で両手を丸めてみせるジェスチャーをした。
「だから、うるさいわね。あの後、倍程たかり直したくせに、文句言うんじゃないわよ」
「ははは! その通りッスね! さて。では、お姉ちゃんの顔色は――」
速水が今度もすっと興奮をおさめてあらためて前を向くと、
「関係ないわよ」
彼恋が皆まで言わせずに口を挟んだ。
「彼恋……」
花応が両の拳をぐっと握る。
「何? 怒ってるの?」
「当たり前だろ、彼恋……」
「はぁ? あんたに、とやかく言われるいわれないわよ」
「私はあなたのお姉ちゃんだ」
「――ッ! だ・か・ら! お姉ちゃんらしいことしないくせに! お姉ちゃん面だけすんなって言ってんのよ!」
彼が目を剥き、牙まで剥くように吠えた。
「酸を自在に作り出せるのか? 科学の力をそんなことに――」
「はは! 酸だけじゃないわ!」
彼恋は笑って答えると、花応の言葉に割って入るように右手を前に突き出した。
彼恋が差し出した右手。それは手の平を上に向けられていた。
「魔法が見たいって言ってたわね、あんた。見せて上げるわ」
彼恋はちらりと速水に視線を送る。
彼恋はその手の平に皆の注目が集まったと見ると、不意にその指を閉じた。彼恋はそのまま親指と中指を指先の腹で合わせる。その他の指も軽く曲げ、指を打ち鳴らす前の形で止める。
そして彼恋がその指を実際に鳴らすと、
「科学的な魔法をね――」
自然と開いた指の先でぼっと音を立てて火が点いた。