十、魔法少女 3
花応の短い髪が揺れた。花応が出した足の動きに合わせて艶やかな髪が揺れる。
花応の髪を照らしていた陽の光。花応がその足をゆっくり一歩前出しても、まるで太陽が追いかけたかのようにその光は花応の髪を輝かせ続ける。
「……」
宗次郎がその花応の背中を目で追って静かに前に出た。
「……」
対照的に雪野はその場を動かない。ちらりとだけ花応に視線を送るとそのまま前に目を向け直した。
「何よ……」
迎える彼恋にも花応と同じ陽が降り注ぐ。
だが太陽の光が暴き出したのは髪に隠れてできた陰だった。
花応を警戒し前に体を追っていた彼恋。彼恋は前屈みに体を折り自らの目の前に前髪の壁を作り出していた。高く昇った陽が濃い陰を彼恋の額に落とす。
「……」
そして彼恋は無意識にか、前に出る花応に押されるように半歩後ろに下がった。
「あはは! 相変わらず! 登場シーンがカッコ悪いッスね! この科学の娘は!」
そんな彼恋にちらりと視線を向けて、速水が唐突に大きな声で笑う。
「――ッ!」
速水の声に彼恋がびくっと体を震わせた。更に後ろに下がろうとしていた彼恋の体が速水の突然の哄笑で止まる。
「うるさい。登場シーンなんて、どうでもいいわよ」
花応の足もその場で止まってしまう。
一度は相手を呑み込みかけた花応の雰囲気が、速水のふざけた指摘で引っ掻き回されたように霧散した。
「ふふ……」
速水は止まった花応の足下を見る。狙いはまさにそれだったようだ。相手の出足を止めたのを確認するや、その場に何とか踏みとどまる彼恋に速水は嬉しそうに振り返る。
「彼恋っち! 言いたいことがあるッスよね? この際だから、言ってあげればいいッスよ!」
「別に……言いたいことなんて……」
速水に促されて彼恋が言い淀んだ。体はその場に留まったが目だけは逃げるように端に泳いでいく。
その目の前で花応が大きく息を吸った。なるべく長く吸い込む為にか、花応は唇をすぼめると音を立てて肺に息を送り込んだ。
「彼恋……」
花応が溜め込んだ肺の空気とともに彼恋の名を呼ぶ。吸った空気程は大きな声ではなかったが、それは深呼吸のお陰か真っ直ぐと彼恋に向かう。
「だから、何よ……」
「彼恋、あのイルカは……お前がやったのか?」
花応が緊張にか両の拳を握った。殴り掛かる程力強くないその拳の握り方は、その内側に次々と湧いてくる汗に湿っていた。
「あれは……」
花応の背後に見える煙幕の壁。その向こうにあるであろう水族館の外壁に向かって彼恋が目を泳がせる。
「考えたくないけど……外傷もなく、あんなに苦しんでいたってことは……」
「……」
彼恋の目はやはり花応に向き合おうとしない。そらしたままその目は何処も見ずに揺れる。
「お前は科学的な力を手に入れたって言ってた……」
「ええ、言ったわよ……薄情な〝姉〟が、ようやくしてきた電話でね……」
ようやく彼恋が前を向いた。挑発的な光を瞳に宿し彼恋は下からねめつけるように花応を見る。
「……」
彼恋の視線受けて花応がぐっと奥歯を噛み締める。同時に握っていた拳を更に内に握り締めた。
「だから、何よ? イルカが何だってのよ?」
「科学を悪用したのか?」
花応が息を大きく呑み込みながら目も剥いて訊く。
「……」
彼恋は答えない。
「どんな科学の力を手に入れた? どんな力を使った? ううん。どんな力でもろくな結果にならないのは同じ。天草さんも、氷室くんも。普段はそんな子じゃないのに、力を入れたとたん凶暴になった」
「『普段』? 他人の普段が分かるっての、あんたに? 〝妹〟の普段も知らないくせに?」
彼恋が目を剥いた。この時ばかりは真っ直ぐ花応の目を射抜く。
「……」
花応が彼恋の視線と指摘にごくりと息を呑んだ。
「この娘も、私も普通だわ……」
彼恋はそんな花応に構わずアゴで速水を差しし示した。
「そうだな。まだ、力に呑み込まれていないんだろうな。でも、いい力じゃない。雪野にどうにかしてもらおう」
花応がまた一歩前に踏み出した。
「あんたが、決めるの? それを? これは私の力よ!」
彼恋はそれを拒絶するように声を荒げる。
「そんなもの、本当のお前の力じゃない! 偽物の力だ! そうだろ、彼恋?」
花応が負けずとノドの奥から息の限りに問いかけると、
「――ッ!」
彼恋がその言葉に張り裂けんばかりに目を剥いた。
「偽物なんて言葉! あんたの口から聞きたくない!」
彼恋は続けて叫ぶと両の手の胸の前まで上げた。そのまま何かを包み込むように彼恋はその両の手の平の指を軽く曲げる。
虚空を球形に包み、彼恋の指が震えた。
その指の中で何かがきらりと光る。
「彼恋!」
花応が堪らずにか飛び出した。
「バカ! 危ない!」
宗次郎がその花応の手をとっさに掴んで引き止めた。
「……」
無言で雪野が花応の前に出る。
「私は偽物じゃない!」
彼恋が両の手を左右に払った。その勢いに押されるように彼恋の手の平の中で光っていたものが前に弾け出た。
彼恋の手の中から離れたそれは陽の光に光って花応と雪野の足下を襲う。
何かの液体だ。
それは陽光を受けてきらりと輝きながら花応達の足先にぶちまけられた。
そして芝生一面にまき散らされるや否や、
「――ッ!」
目を剥く花応の鼻先を一瞬で白煙に染め上げた。