二、ささやかれし者1
二、ささやかれし者
「何故ペリか! 何でペリか? おかしいペリよ! 花応殿!」
「うっさいわね! 科学の娘の判断に従いなさいよ?」
科学の娘を自称する高校一年生女子――桐山花応は、非科学で不思議な振る舞いを見せるペリカンの頭を押さえ込んだ。
左手だ。それは花応の利き手ではない。花応の右手は大げさなまでに包帯が巻かれていた。
「ひどいペリよ! ジョーは魔法少女の不思議生命体ペリよ! マスコットキャラペリよ!」
不思議生命体を自称する水鳥――ペリカンそのものにしか見えないジョーが不平に羽を羽ばたかす。
「そうは言ってもね……」
「雪野様! 何とか言って欲しいペリ!」
「うーん。こればっかりはね。魔法少女にもどうしようもないわ」
魔法少女を自称するこちらも女子高校生――千早雪野が困った顔で頬に指を添えた。
「ペリ!」
「ちょっと……学校離れたとはいえ、まだ周りにに人が居るのよ。少しは静かにしなさいよ」
そう言いながら花応は周囲を見回す。そこは公園だった。花応がジョーに絆創膏を貼った場所だ。
陽が少し傾きかけている。
二人と一匹は周りに人のないベンチの前で顔を突き合わせて話し合っていた。
「ジョーはマスコットキャラペリよ! 愛されキャラペリよ! こんな扱いあり得ないペリ!」
「何が『愛されキャラ』よ。それに当たり前の話じゃない」
「何故ペリか? マスコットキャラとしては普通ペリよ! どうしてジョーは――」
ジョーが嘴をこれ以上にない程拡げて抗議の声を上げる。
そして目の端に涙まで溜めながら、
「雪野様の家に居候できないペリか!」
ジョーが雪野の制服にすがりつく。
「あはは……」
雪野が困った顔で己の頬を掻いた。
「こら! 雪野は背中に大怪我してんのよ!」
花応がジョーを蹴飛ばすように雪野から引きはがした。
「ペリ!」
「あんたね。そのペリカンのナリで、一般家庭に居候する気?」
花応に蹴り飛ばれたジョー。ジョーは後ろに飛ぶと羽をばたつかせてバランスを取った。
そう、何度見てもジョーのその姿形も行動も、ペリカンにしか見えない。
「何がおかしいペリか?」
「おかしいでしょ! 普通の家で、ペリカンなんて飼うか!」
「飼うペリよ! 犬派、猫派、ペリカン派? 飼うならどの子――の定番ペットペリよ!」
「さらりとねつ造すんな!」
「雪野様! お一人では大変ペリ! 先代のように、近くに置いて欲しいペリ!」
ジョーがもう一度雪野にすがりついてくる。
「『先代』? 十年前の話? 前は飼ってたフリしてたの、雪野? こんなペリカンを?」
花応がすがりつく水鳥を足の裏で押し退けた。
「『こんな』とは何ペリか!」
「違うわよ、花応。前は可愛い猫だったわ。ふふん、まさに愛猫ね」
雪野が飼っていた猫を思い出したのか、自慢げに鼻を少し鳴らしながら答える。
「こっちも可愛い愛鳥ペリよ!」
伸ばされた花応の足の向こうから、ジョーが必死に羽を伸ばしてくる。
「はは、『可愛い』だとか『愛鳥』だとか――そんな外身と中身してから言いなさいよ」
「花応殿、ひどいペリ! 雪野様も何とか言って欲しいペリ!」
「うぅん……そうね。私の家は勘弁だし……」
雪野が大きく首を傾げる。
「そこら辺のドブに居なさいよ」
「言うに事欠いて、ドブに居ろとはひどいペリ!」
「そうね。ドブはひどいから……」
雪野がゆっくりと口を開く。
「雪野。同情する必要ないわよ」
「雪野様! それじゃ……」
ジョーの目が期待にウルウルと潤みだす。
そんなジョーの期待に応えず、
「花応の部屋に居候すれば?」
雪野はポンと手を叩くとそう提案した。
「何で私の部屋なのよ? あり得ない!」
「『何で』って。自分の部屋で私の怪我の治療するって言ったの花応でしょ? はい、ありがとう」
雪野が制服の裾を整えながら、素っ頓狂な声を上げる花応に答えた。
「それにしても、割に普通ね。もっと実験室みたいな部屋を想像したんだけど。花応の部屋」
雪野がそう言ってぐるりと室内を見回した。
そう、そこはマンションの一室と思しき室内だった。
雪野はその部屋のカーペットの上に直に膝をつけて座っていた。背中を花応に向けている。どうやら背中の傷を治療してもらった後のようだ。
雪野の背中では花応が手慣れた手つきで、側のタンスの引き出しに脱脂綿を放り込んでいた。
「科学の娘を自称する、お金持ちのお嬢様が借りる一人暮らしの部屋――って、もっと特別なものを想像してたんだけど」
雪野が立ち上がると花応の部屋を見回した。
一人用の普通のベッドが部屋の端に据え置かれている。その他に目につくのは勉強机に本棚、鏡台にタンスだ。どれも特別豪華という訳ではなければ、科学的という訳でもない。
「ふん。部屋も私も別に普通よ。お嬢様なんかじゃないわ。ここが広いのもセキュリティ上、どうしてもこれぐらいの規模じゃないと周りが許さなかったからよ。まあ、それでも。あっちに関係者以外立ち入り禁止的な部屋はあるけどね」
雪野の背中で花応が黒紫色の液体の入ったビンの蓋を閉める。
そのラベルには希ヨードチンキの文字。ラベルの下部には勿論『桐山メディカル』の文字が印刷されている。
「あっそ。その方が花応らしいわ」
「いい。本当にそっちの部屋は勝手に入っちゃダメよ。こんな古くさい医薬品とは訳の違う危険物が置いてあるからね。私みたいに甲種の危険物取扱者免許を持っていないと扱えないようなものもあるからね」
「『危険物』? 『取扱』? よく分かんないけど、凄いの? その免許」
「ふふん。当たり前よ。甲乙丙ってランクがあるじゃない? 甲種はその一番上。甲種は取得の条件が色々とあるんだけど、条件を満たせば小学生でも取得できるわ。ましてや私なら余裕よ」
「ふぅん。凄いのは花応なんだ」
「えっ? そそそ、そう? それ程でもないわよ! あっ! お、乙種や丙種なら誰でも受験できるわ! 雪野もどう?」
「はいはい、そんなことで生き生きしないで。私は遠慮しておくわ。それにしても、それなりに可愛いもので埋めてんじゃない」
雪野が花応の部屋をフムフムと鼻を鳴らしながら見回す。
そのまま目についた机の上の人形をつつく。ごく普通の猫のヌイグルミだ。
「うるさいわね。いいでしょ別に。それよか、あんたこそこんな簡単な治療でいいの? 希ヨードチンキで消毒だけって、どんな時代よ?」
「花応がそれで消毒するって言い出したんじゃない」
雪野が花応の勉強机のイスをくるりと回し、己の腰をそこに降ろした。深々とは腰掛けない。背中が背もたれにつかないようにか、雪野は浅く腰掛ける。
「ふん。私だけ保健室で治療して、あんたが自分の怪我は黙ってろって言うからでしょ」
「仕方ないわよ。これだけの怪我。事情を訊かれると厄介だしね。それに痩せても枯れても魔法少女。時間が立てば、痕も残らないわ。まあ、そんな毒々しい消毒液が出てくるとは思わなかったけど」
「別に。しみるから選んでやっただけよ。それに希ヨードチンキの主成分であるヨウ素には、面白い性質があってね。ついつい手元に置いておきたくはなるしね。デンプンに反応するヨウ素デンプン反応とか。他の液体では容易に溶けない金属を、このヨードだけは溶かしたりとか。勿論消毒液としての作用とか」
「はいはい。魔法少女でも、ちゃんとしみました」
「ふぅん。で、その魔法少女さん?」
花応が窓の外に目をやった。
窓の向こうに開けた景色が覗いている。窓の向こうは大きな河川のようだ。その分視界が開けており、遠くまで市街が見渡せた。
「何?」
「〝アレ〟。やっぱり私の部屋で面倒見るの?」
花応が拒絶の意思を表さんとしてか眉間に皺を寄せてその窓の向こうを見る。
ガラスのすぐ外側。閉め切られた窓の向こうのベランダに――
「ペリ!」
必死に抗議に羽を羽ばたかせているペリカンの姿があった。