一、科学の娘2
少女は自宅の机で鞄を持ち上げた。そのとたんに体中が悲鳴を上げる。
痛い――
だが声には出せない。家族に不審がられる。
昨日の晩の攻撃で、体に傷を負った。外見上の怪我は魔力で直したが、力の失った少女にはそれ以上のことができない。
「いって、きます」
努めて明るく言ったつもりだが、少し途切れ途切れだったかもしれない。玄関の僅かばかりの段差がつらい。本当なら、そう十年前なら服も痛みもあっという間になおった。
痛感させられる。もう自分には力がないのだと。
「仕留め損なっちゃったし……」
少女は昨晩の敵を思い出す。渾身の魔力で放った魔法に、身をよじって悲鳴を上げた敵。その場は退いてくれたが、倒せていないのは明らかだった。
「……」
少女は鞄に忍ばせた魔法の杖を思い出す。これからは持ち歩かないと、いけないのかもしれない。
「所持品検査とか……ないよね……」
少女はそう言ってため息をつくと、家を後にした。
「自信を持って否定できないところが、大変つらいペリ」
人語を話すペリカンは、照れたのか妙に人間臭く、白い羽で黄色いくちばしをなでた。水かきのついた一方の足で、もう一方の足を掻きまでしてのける。
「瀕死ではあるペリが、まだ保健所は勘弁して欲しいペリ。それと私の名前は――」
「もう、それ以上しゃべらないで。人がきたら、私まで変な人と思われちゃう」
花応はペリカンの言葉を、右手を挙げて制する。
人通りの少ない通りとはいえ、全くない訳ではない。
実際花応達が話しているのは、人様の民家の前なのだ。
ペリカンとしゃべる少女――
「不思議ちゃんだわ。ご遠慮するわ。風評に乗ったらどうするのよ?」
「はい? ペリ」
「だからペリカンが人語を話すなんて、そんな非科学なことありえないの」
「非科学ペリか?」
「非科学よ。疑似科学よ。魔法じゃあるまいし。こう見えても私は科学の――」
「魔法ペリよ。実は魔法しょ――」
――ドンッ!
という衝撃音とともに、花応とペリカンの言葉はそこで遮られる。大地が揺れた。
「何?」
「敵――ペリッ!」
衝撃音の方に首を向ける花応。
そこに――
「何、あれ? えっ? ゼリー? おっきな寒天?」
そう、そこには花応が思わず呟いた感想の通り、小山のようなスライム状の物体が落ちていた。
色は半透明の青色。弾力性のある質感が、落ちた衝撃からかふるふると震えている。
「敵ペリよ。人間を逆恨みする者の末路ペリ」
「て、敵って……」
「気をつけて下さいペリ! 奴らは人を傷つけることなんて、何とも思ってないペリよ!」
不思議生命体を名乗るペリカンはそう叫ぶと、花応とスライム状の物体の前に割って入った。
「あなた……そんな怪我で……私を……」
「一般人は巻き込めないペリ。今のうちに――」
――ゴォォォアアアッ!
敵と呼ばれたスライムが、大きく身を震わせて全身で咆哮のような音を発した。
「――ッ! 怖いペリ!」
ペリカンがあっさりと、花応の後ろに隠れた。
「こらっ! 何が巻き込めないだ! 守りなさいよ!」
「瀕死のペリカンに、守るなんて無理言わないで欲しいペリ……」
スライムの一部が、触手状に伸びて体から飛び出した。
「瀕死の割には、元気じゃない!」
「ああ、貧血がペリ……」
ペリカンはわざとらしくふらついて、花応の制服のスカートにしがみつく。
「不思議生命体なんでしょ! 何とかしなさいよ!」
「非科学ペリよ。か弱い水鳥に助けを求めるのは」
幾本かの触手が、唸りを上げて振り回された。
「あのね……」
――ヒュン……
と風切る音がして、後ろを振り向きかけた花応の顔の横を、何かが通り過ぎた。
「えっ?」
花応が目を見張る。
自分の顔の横を横切った触手は、その足下の側溝の蓋に叩きつけられている。
舞い上がる土ぼこりに、コンクリート片。コンクリートの蓋が粉々に砕け散っていた。
触手は元の位置に戻され、再び唸りを上げて振り回されている。
「ちょっ……ちょっと!」
「ににに、逃げるペリよ!」
ペリカンは花応のスカートをがっしりと掴んで離さない。
「離しなさいよ! 逃げれないでしょ!」
「見捨てないで欲しいペリ!」
「こ、この……」
敵はにじり寄るように、体を震わす。軟体動物のぜん動のように、体を震わせながら前に進む。
「え……何……」
「あわわ……ペリ……」
花応とペリカンはゆっくりと、後ろに足を運ぶ。相手を刺激しないように、ゆっくりと後ろに進む。
だがよく確かめずに後ずさったせいか、そのすぐ後ろの何かにぶつかってしまう。
「あっ?」
「電柱ペリよ」
そう、すぐ後ろは電柱だった。そして横はブロック塀。
花応達は自ら、逃げ場のない角に追いつめられてしまった。
その時――
――コツン……
と何か固いものが、そのブロック塀にあたった。
それは花応のカバンの中の――何かだった。
2015.11.12 誤字脱字などを修正しました。