九、悪い友達 28
「な……」
強引に振りほどかれた手を雪野が目を剥いて見下ろす。
その手は細かく震えていた。意識的に震わせている訳ではなく、意思とは関係なくじんと痺れているのだろう。
「あはは!」
雪野の手を振りほどいた速水がその勢いのままに地面を蹴った。速水はそのまま後ろに飛ぶと、ひとっ飛びに距離をとり高笑いを上げながら着地する。
速水はその一蹴りで雪野の手の届かない位置まで飛んだ。着地と同時に芝生がちぎれ宙を舞った。
「く……」
雪野がその跳躍力にこちらも目を剥いて目を向ける。雪野は油断なく速水に視線を送りながら、目だけ動かしもう一度己の手に向けた。
力づくで押さえていたその指先は青くなっていた。雪野が本気で速水を押さえていた証拠だ。
「……」
雪野は無言で右手の魔法の杖にも目を向ける。先に振り下ろしたそれも速水に受け止められていた。雪野は左手と右手にゆっくりと目を向けた後、再度速水に目を向け直した。
その視線からはもう驚きの色は消え、現状を把握せんとか鋭く射抜くものに変わっていた。
魔力すら乗っているような眼光で雪野は速水を睨みつける。
「おやおや……怖いッスね……」
その視線を受け止めたのは何処までも人を小馬鹿にした細い目だ。細い目は相手の視線を意に介していない。そう言わんばかりに丸く半円を細い目は描いている。
「これがあなたの力?」
「……」
細い目が更に楽しげに曲線を描く。
「全体的な身体能力が上がってる……そんなところ?」
「……」
その細い目と逆の方向に曲線を描いて、今度は口元が嬉しげに半円を描いていく。両の頬の
「力は段階的に上がっていくものね。最初はスピード、今度はパワー。肉体系の力があなたの本質かしら」
「さあ? 答える義務はないッスね」
速水が右足を半歩後ろに引きぐっとそのつま先に力を入れた。足の先が芝生にめり込んでいく。
「ちょ……ちょっと……」
その様子に彼恋が速水に小走りに近づいて来た。彼恋は雪野を気にして何度もちらちらと振り向きながら速水の下へと近寄って来る。
その向こうでは円を描いて煙が積み上がっていく。ジョーが地面近くを羽ばたきながら円を描いて飛び、上へ上へと物理的な煙幕を積み上げていた。
雪野達の腰の当たりまで溜まり始めたその煙の更に向こうで、行楽客達が逃げ惑いながらこちらを指差していた。
「何ッスか? 彼恋っち?」
「『何っスか』じゃないわよ!」
とぼけた顔で振り返る速水に彼恋が両手の拳を握って声を荒げた。己の抗議の意思を表さんとか、彼恋は握った両手を胸の前に上げ二度、三度上下に振ってみせる。
「危ないから、下がっていた方がいいッスよ」
「『危ない』のは、あんたでしょ? 何始めてるのよ!」
「『何』って、光の魔法少女様に、勝負を挑んでるッスよ。見たら分かるッス」
理解できないのが理解できないと言わんばかりに速水が小首を傾げる。
「何で勝負挑むのよ!」
「魔法少女がクラスメートに居るッスよ! 戦うッスよ! やっつけるッスよ! 当たり前ッスよ!」
「あんたね!」
何処までも温度差のある会話に彼恋が苛立たしげに今度は何度も両の拳を上下に振る。
「話はもういい?」
そんな二人に雪野がゆらりと近寄って来た。
「おや? せっかちッスね。今、彼恋っちとガールズトーク中ッスよ。待てないッスか?」
「待てないわね。あなたは力をつけたみたいだし、できれば――」
雪野はそこまで口にするとちらりと視線だけ背後に向ける。そこには胸の高さまで積み上がった煙があった。多くの人はもう逃げ出しており、その向こうに人の姿は見えない。見えるとすれば向こうからこちらに向かってくる人間だけだろう。
「あの娘達が来る前に、終わらせたいわ」
その様子を確かめた雪野がゆっくりと構え直す。
「おやおや、戦えば勝つみたいな言い方ッスね」
「おかしい?」
「あはは! 『おかしい』ッスね! やってもいないッスよ!」
「ちょっと力を手に入れたぐらいで――」
雪野がすっと左に肩を落とし相手の斜めの位置に滑るように移動する。自然とつられて下がった右手の先で魔法の杖がゆらっと揺れた。
「いい気にならいで!」
雪野はその柔らかな動きを一転させて、居合い抜きのような角度と鋭さで魔法の杖を振り上げる。ブンと空気を震わせて雪野の杖が速水の肩口を襲った。
「はは! こういうのじゃないッスよ!」
その杖を速水が今度も左手一本で受け止める。魔法の杖がぐっとしなった。互いにあらん限りに突き出された力が、大きくたわむ杖という形で表れ拮抗する。
「きゃっ!」
彼恋が二人のぶつかる音に驚き後ろに悲鳴を上げて退く。
「何の話?」
雪野がじりっと前に前に詰めた。十分に歪んでいた杖がギリッと音を立てて更にきしむ。
「言ったッスよ。全部見せて欲しいッスって。こう力づくの力じゃなくって、もっと魔法魔法した力ッスよ。レアでアレな力ッス!」
速水も挑発するように前に上半身を詰める。
二人の腕に掴まれた杖のたわみが限界に達しそうななったその時、
「そんな義理はないわ!」
雪野は全てを拒絶するように右手を外に払い、溜まらず手を離した速水を後ろに押しのけた。