九、悪い友達 26
「おやおや。凄い剣幕ッスね」
両の目の端を吊り上げ肩を怒らせて近づいて来る雪野。それをちらりと振り返って確かめると速水は今度も嬉しそうに目を細めた。
「待ちなさいって! 言ってるでしょ!」
今も日曜の緑地公園を楽しむ家族連れなどを掻き分け雪野はぐんぐんと速水に近づいていく。やはりその迫力に公園の人々は思わずにか道を譲っていた。
「ちょっと何なのよ! 降ろしなさいよ!」
速水の胸に抱えられた彼恋が顔を真っ赤にして抗議に声を荒げる。速水に強引に抱っこされた彼恋はそれでも揺れる腕の中で落ちまいと相手の首に手を回していた。
「どうせなら、ど真ん中でやるッスよ!」
「何が『どうせなら』なのよ? 何なのよ!」
速水がその細い目で前を見ながら歩をすすめ、彼恋がその吊り目の目で慌てたように方々に目をやる。
「ふふ……」
速水は彼恋に不敵に笑ってみせると口の片端だけを吊り上げた。
そして急に速水はその足を止めて振り返り、
「きゃっ!」
彼恋はその勢いに髪を振り乱しながら短い悲鳴を上げた。
「……」
振り返った速水の目の前には既に雪野が無言で追いついていた。雪野は振り返った速水の前に通せんぼをするかのように真っ正面から立っている。
相手をその場に押しとどめようとしているのはその目もだった。雪野は射抜くように速水を見つめて、その眼光鋭い眼差しで相手をその場に釘付けにするかのように乱れもなく見つめる。
そして息も一つも乱れていない。
いや、怒りのあまりにか大きく息を吐く寸前だったようだ。雪野のお腹が上下し肺腑のそこから抜き出すように息を大きく吐いた。
「おや? 美人が台無しッスよ」
その怒りに上がった血の気の熱を、排熱するかのような呼吸に速水がちゃかしたように笑う。
「……」
「怖いッスね? 一応褒めたんッスよ。褒められたら、褒め返して欲しいッスね。それが女子の仲良しこよしの会話ッスよ」
「彼恋さんをどうするつもり?」
雪野がぶれない視線のまま口を開く。
「こっちの話無視ッスか? まあ、いつまでもこうしてるつもりはないッスよ」
へらへらと笑いながら速水は彼恋をようやく地面に降ろす。
一連の様子に何事かと周囲の行楽客の視線が集まり始めていた。皆が遠巻きに見つめ、子供は遠慮なく指差し親にその仕草を慌てて止められていた。
「何なのよ……恥ずかしいわね……」
芝生の上に降りた彼恋がバツの悪そうに呟いた。彼恋がまだ赤い顔を周りに向ける。そんな彼恋を迎えたのはやはり関わり合いをさけようと遠巻きに視線を送ってくる他の市民だった。
「……」
彼恋はそのままその向こうも見つめる。速水と雪野の脚力であっという間に緑地の真ん中までやって来た。彼恋が先ほどまでいた水族館が小さく見える。
彼恋はそこに誰かを探すように目を浮かせながら泳がせた。だが彼恋の目では目当ての人物は見えなかったようだ。彼恋は更に目を細めて遠くの水族館を凝視した。
「ん? あの人……」
そんな彼恋が目の端に誰かを見つけたようだ。遠くを見ていた彼恋が不意に横に視線をずらした。だがすぐに見失ってしまったらしい。彼恋は人ごみの向こうにじっとしばらく目を凝らした。
「彼恋さんをどうするつもり――って訊いてるのよ」
そんな彼恋の意識と視線を雪野の声が呼び戻す。
「別にッス。友達だから、着いて来てもらっただけッスよ」
「誰が友達よ……」
彼恋は隣の速水に視線を戻すとそのまま軽く睨みつけた。
「あははっ! 相変わらず冷たいッスね、彼恋っちは!」
「私と戦いたいなら、彼恋さんは離れていてもらって」
軽薄な笑みを浮かべる速水を雪野が睨みつけた。そしてわずかに半歩右足を後ろに退き、自身の体の中心をずらして身構える。
「おや、素手で自分と戦うつもりッスか?」
対して速水は構えない。まるでリラックスした様子で小馬鹿にした笑みのまま口を開く。
「あら、心配してくれるの?」
雪野は速水に答えるとそのまま右手を空に向かって突き上げた。
同時にその手に向かって野鳥の羽らしきものが舞い降りてくる。
「ペリッ!」
雪野が手は奇怪な鳴き声とともに水鳥の嘴に覆われた。
ジョーだ。ジョーは青空を背に両の翼を大きく広げて羽ばたき降りて来ていた。
「……」
雪野はそんなジョーの嘴に無言で右手を突っ込む。
「おやおや、変な鳥見ないと思ったら、控えさせてたッスか?」
「悪い?」
雪野がゆっくりとジョーの嘴から右手を抜き出す。そこに握られていたのは雪野の魔法の杖だ。
「別にッス。ただ――」
雪野がジョーの嘴から抜き出した魔法の杖に、速水が細い目の奥で目を光らせる。それと同時に右足を足下の柔らかい芝生にねじ込んだ。右足に体重を乗せると速水はいつでも飛び出せる体勢に身を屈めていく。
「『ただ』?」
眼前に魔法の杖を構え聞き返してくる雪野に、
「戦う気――満々だったってことッスよね!」
速水は右足を蹴り上げ削り取った芝生と土を宙に舞い上げさせて襲いかかった。