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九、悪い友達 23

 流線型の体が宙を舞った。

 カーブを描くプールのアクリルの外壁をイルカの黒い体が横切ったかと思うと、身を翻して壁の向こう水の奥へと姿を消す。だがその次の瞬間には壁から離れた場所で飛び上がってその姿を現した。

 しぶきを上げて水面から飛び出したイルカ。勢いのままにイルカは空中で体を上下に捻る。イルカの肌から更にしぶきが弾けた。

「おおっ!」

 そのイルカを後押しするかのように観客からの歓声が上がった。イルカと一緒に飛び上がるかのように観客は少し腰を浮かしてその様子に見入る。

「おおっ! 凄い凄い!」

 花応も他の観客と同じく腰を浮かしかけながら歓声を上げる。

 雪野、花応、宗次郎と前列に並び、その後ろに彼恋、速水が並んだ。

 その周りも観客が席を埋めている。満員だ。

 午後の陽光を受けて始まったイルカショー。その満員の観客の中で波打ちきらめく水槽の水面がその陽気と熱気を表しているかのようだった。

 イルカが頭から水面に突き刺すように戻る。その瞬間にも歓声が上がった。互いに見ず知らずの観客が一斉にため息めいた声を上げる。

「見た、今の!」

 花応が宗次郎の服の裾を引っぱった。引っぱられる服の先にはカメラを構えた手があった。宗次郎はカメラのレンズ越しにイルカショーを見ていた。

「見たに決まってんだろ。あんだけ派手に飛び上が――」

「ほら! もう一回来た! 二匹も!」

 自分から話しかけながら花応は宗次郎に皆まで言わせずに更なる歓声を上げる。

 花応が宗次郎の服の裾を引っぱりながら空いている手でプールを指差した。今度は二体のイルカがタイミングを合わせて同時に水面から飛び上がる。

 プールの反対側には人工の岸がありトレーナーらしきスタッフが三人並んでいた。その内の一人の前でイルカが岸に上がる。先にジャンプを見せたイルカだろう。ご褒美にその調教師らしきスタッフから魚をもらっていた。

 飛び上がった方の二体のイルカは水面に戻るとすぐに次のジャンプを披露した。今度も息が合ったジャンプで二体はタイミング良く同時に飛び上がる。

「撮った? 今の撮った?」

「見ろだの、撮れだの。忙しいな、お前。撮ったに決まってんだろ」

 更に裾を引かれ目の前に構えたカメラが揺れる宗次郎。それでもなんとかシャッターを押しながら宗次郎は答える。

「むむ! 文句言わずに撮りなさいよ! それしか取り柄がないんだから!」

「お前がひっぱらなきゃな。もっと沢山撮れてるよ」

「文句が多い!」

「お前は、注文が多い!」

 次の影がプールのアクリル壁の向こうを滑るように動いた。次なるジャンプの為の加速だ。体全体を上下に揺らし、足が進化したヒレでイルカは水を押し出すように前に進む。

 イルカの姿がアクリルの向こうに消える。

 そして次の瞬間には水面高くその姿を表した。自らの推進力だけで体の何倍もの高さまでイルカは水面みなもの上を跳ねた。

「おお! 今度は三体同時に!」

 その様子に花応が更に興奮をあらわにする。その興奮は指先に特に表れていた。花応は勢い良く宗次郎の服を引っぱる。

「だから、引っぱんなって! 撮れないだろ!」

「ええっ? だって凄いじゃない!」

 花応は応えながらも更に何度も宗次郎の服の裾を引っぱった。

 周りの観客も興奮に大きな歓声を上げる。

 だがそんな興奮のるつぼめいた観客席の中で何人かはそうでない者がいた。

「……」

 はしゃぐ花応を後ろで彼恋がその背中に冷たい視線を送る。

「……」

 その視線を実際に感じていたのは雪野のようだ。雪野はイルカが目の前で飛び跳ねる中、そちらをちらりと見るだけで背後の方を振り返る。

「おや、速水さん。イルカ、可愛いッスよ。見ないんッスか?」

 そんな雪野に速水がその背後から細い目を向ける。

「別に。見てるわよ」

 雪野は体を更に捻って向き直るようにして速水を見た。

「その割には、ちらちらと後ろばかり見てるッスよ」

 座席位置の関係上速水はその細い目で見下ろすように雪野を見る。

「皆、楽しんでるかなって思ってね」

 こちらは下から突き刺すように雪野は速水を見上げた。

「流石、優等生ッスね。こんな時まで、他人様優先ッスか?」

「別に私は優等生じゃ――」

「なかったッスね」

「……」

「……」

 雪野と速水の視線がぶつかる。

「うるさいわね……イルカ、楽しめないでしょ……」

 そんな二人に彼恋がぽつり呟いた。

「おや、イルカ楽しんでたッスか?」

「当たり前でしょ?」

「それは失礼したッスね」

「ふん……」

 大して誠意の感じられない速水の謝罪に彼恋が鼻を鳴らす。

「……」

 その様子に雪野もひとまず前を向き直った。

 三人の雰囲気を我関せずと周囲の観客から再度大きな歓声が上がった。イルカが水面から仰向けに顔を出した。イルカはそのまま背中を反らせて上半身だけ水面から突き出して後ろに向かって泳いでいく。

「知ってるッスか、彼恋っち」

 イルカの芸をアゴで指し示しながら速水が口を開く。

「何よ?」

「イルカは魚じゃないらしいッスよ」

「知ってるわよ、それぐらい。アリストテレスの昔から言われてることだわ。同時代の彼以外は、魚だと言い張ってたみたいだけど。紀元前四世紀の話じゃ仕方がないわね。アリストテレスは科学的に物事を見る目があったってことね。海に生きる場を移したほ乳類が、その環境に合わせて魚のような体に進化するのはある意味当然よ」

「そうッスか? まあ、あれッスね……」

「何よ?」

「誰かの真似して進化して、人工のプールに囚われて……やってることは他人を喜ばせるだけ……」

「な……」

 速水の言葉に彼恋の目は花応の背中に釘付けになる。

 速水は彼恋の耳元に顔を寄せた。その硬直した頬に速水はくっつかんばかりに己の頬を近づける。

「……」

 彼恋の大きく目を見開いて花応の背中を見つめ、

「飼い主に芸を見せて、エサをねだる――いやはや、偽物は自己表現が健気ッスね」

 速水はその彼恋の耳元に静かにささやいた。

「――ッ!」

 目尻も引き裂けんばかりに彼恋の目が見開かれる。

 そして――

 プールの水面が激しく波打ち、そこからイルカが苦しげに飛び上がった。

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