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一、科学の娘19

「あれで良かったぺりか?」

 ジョーが雪野の横顔を見上げた。

「……」

 雪野は答えない。

 校舎の入り口。そこで静かに振り返り、今や群衆の一人にとけ込んだ花応を遠く見る。

 教師も生徒も集まってきてしまっていた中庭。スモークが全てはけると、皆が惚けたような顔をしてお互いを見合っていた。

 ぽつぽつと生気をそれでも取り戻し、今度は困ったような顔で互いに口を開く。

 演劇部かよ――

 じゃあ、演出か――

 演技だったの――

 そうだよな、現実のわけないか――

 生徒も教師も口々に己を納得させるように口にする。雪野に聞いた内容を反復するかのように、今起こっていた不思議なことを理解しようとしているようだ。

 花応はまだ座り込んでいた。

「雪野様……」

「ジョー。とにかく今は身を隠して。あなたの姿を見ると、思い出させちゃうかもだから」

 雪野が口を開く。少し緊張しているようだ。声がやや上ずり、肩に力が入っている。

「でも……」

 ジョーが首を捻る。顔を向けた先は勿論花応。

 花応はじっと動かない。

 自らが作り出したガラスの破片に囲まれるように座り込んでいる。

「そう、ペリ! あんなところに座り込んだら、怪我するかもペリ! 心配するふりして雪野様が話しかければ――」

「ジョー……」

「いい考えペリ……」

「お願い……」

「ペリ……」

 ジョーが大人しく首を項垂れ、それでもペタペタと水かきの着いた足を踏み鳴らしながら校舎の反対側に向かう。

 ジョーは最後に未練がましく振り返ったが、雪野は中庭を見つめたままで後ろには振り返らなかった。

 中庭は多くの生徒が散り始めていた。教師にうながされ、何だったんだと呟きながら生徒が校舎に戻り始める。

 雪野の背中――遠く校舎の反対側の出入り口から、水鳥が羽ばたく音が一際大きく響いてきた。

「……」

 雪野が遠く見つめる中、花応がやっと立ち上がった。

「……」

 花応は無言で校舎に向かう。人波に紛れてその表情は雪野にはよく見えない。

 いや、よく見ると俯いているようだ。そして何故か右手を胸元に持ってきて固く握り締めている。

 雪野は素早く視線を上下させた。腿や膝、肘と手。肌が露出しているところにざっと目をやる。

 花応にひとまず怪我がない様子を確認できたからか、雪野の肩から幾分力が抜けた。

 花応はその間一度も雪野の方を見ない。

 一人立ち止まっている雪野。その両脇を野次馬だった生徒達が校舎に抜ける。

 花応もその野次馬の流れに乗っている。こちらに向かう間、一度も顔を上げようとしない。

「……」

 雪野はしばらくその様子を迎えるように見ていた。

 だが花応の表情が見えそうな位置までくると、己の顔を見られまいとしてかくるりと身を翻す。雪野は自身も生徒の一人ととけ込みながら、花応に背中を見せて校舎の奥へ進む。

 どの足音と息づかいが花応のものなのかが、今の雪野には分かるのだろう。

 雪野は背中にいる多くの生徒の中から、花応との距離だけを一定に保って校舎の奥――階段へと向かう。

 その背中に花応は声をかけない。雪野とのことを忘れてしまっているようだ。

「……」

 雪野がそのことを確認すると、複雑な吐息を漏らした。

 しばらく雪野は花応の前をいく。やはり花応は雪野に声をかけない。決定的なようだ。

 雪野が階段に足をかけた。

 一歩、二歩、三歩と、雪野が階段を上ると――

「――ッ!」

 不意に上着の裾を掴まれ、後ろから強引にめくり上げられた。



 雪野の背中が衆人環視の下で曝け出される。

 それ程背後から雪野を襲った人物は、思い切りよくその上着をめくり上げていた。

 階下の生徒からどよめきが起こった。

「ちょっ! ちょっと! 何? 誰!」

 雪野が慌てて振り返る。

 だが雪野の上着をめくり上げた人物は、掴んだ裾をそれでも離さない。

「――ッ!」

 上着を掴まれたまま雪野は驚きに目を見開く。

 つり目を更に吊り上げて、怒気をはらんだ視線を向けて――そこには花応が立っていた。

「か、かの――桐山さん? ど、どうしたの?」

 雪野が内心の動揺を悟られまいとしてか、己の胸にとっさに右手をやった。

 そして残った左手を後ろに回し、曝け出されてしまった背中を隠そうとする。

 やっと花応の手が離れる。花応が雪野の裾を握っていたのは右手だった。花応は制服から手を離しても、その右の拳は握り締められたままだった。

「……」

「桐山さんってば……」

 階段で立ち止まる二人。その二人を不思議そうに周りの生徒は追い越していく。

「桐山さん? あの……」

「何なの……」

 花応がポツンと口を開く。

「えっ? ああ、演劇の練習ね? ごめんなさい。驚かせたわね。ちゃんと、謝らないとね」

「……何なのよ……」

 花応がぐっと右手を前に突き出した。

「何? 桐山さん」

「……これはいったい何なのよ……」

 花応がゆっくりと握られていた拳を開く。その右手の手の平には、斜めにざっくりと切り傷ができていた。

 そしてその原因となったのであろうガラス片も転がり出てくる。

「桐山さん! その怪我! 大丈夫――」

「何なのよ……何で私はこんな傷をしてるの?」

「ごめんなさい! 私が巻き込ん――」

「いいえ! 違うわ! 私は何で〝自分で〟こんな傷をつけたの? とっさに? 何で!」

 急に声を張り上げる花応。

「えっ?」

 その様子に雪野がたじろぐように一歩下がる。

「何で、私はこんな――ううん、この怪我をしてるの? うん。そうよ。何でこの怪我を、気がついたらじっと見つめて座り込んでいたの? 何で――」

「桐山さん……」

「何で、私は――これと同じ、斜めに大きく赤くついた怪我のことを知ってるの!」

「――ッ!」

 雪野が更に後ろに下がり、階段の壁に己の背中を押しつけ隠そうとする。

 だが押しつけた途端に思わず顔をしかめてその背中を壁から離してしまう。

 じんわりと赤い血の筋が斜めにその制服ににじみ出てきた。

「そうよ! 私は覚えているわ! あなたが背中に大怪我をしてるのを! でも何で覚えているのか全く分からない! どうして制服の向こうに隠れているはずの! その怪我のことを知っているのか分からない! 何なの! 何で私は覚えているの! ううん、何で思い出せたの――」

「……」

「そうよ! 忘れないようにと! 思い出せるようにと! 自分の右手まで傷つけてまで――そうよ! 何でそこまでして私はそのことを記憶に焼きつけようとしたの? 自分を自分で傷つけるなんて、目的がなきゃ、そんな非科学なこと私なら絶対しないわ! そう! でも目的があったのなら、強く印象づける為に私なら科学的に考えてそうするはずよ! だから私がこの怪我をしていることには、絶対に科学的に意味がある!」

「桐山さん……あのね……」

「そして私は何故――あなたの背中の怪我を見て、これ程までいらついているの!」

 花応が己の心の内を覗き見るかのように、深く頭を垂れて俯いた。

「桐山さん……」

 雪野から花応の表情が見えなくなる。

「クラスで全く話したことのない優等生! そんな人の背中をいきなりまくり上げてまで! この他人にかかわりたくない私が! この他人になんて放っておいて欲しい私が! 一人が好きな私が! 私とは全く正反対の――クラスの皆に分け隔てなく接するあなたに! 明るくって元気でで優しくって――自分と対比するのが絶対嫌なあなたに! 本当の――ううん、今までの私なら絶対にかかわりたくないと思うようなあなたに! 何故こんなに勇気を振り絞って、暴挙と言えることまでして! あなたの背中の怪我を確認しようとしたの!」

「……」

「そうよ! だんだん思い出してきたわ! そうよ、忘れまいと思って! このままじゃ忘れさせられると思って! 絶対に忘れちゃダメだと思って! とっさに拾ったガラス片で、自分で傷つけたのよ! どっかのバカが――」

 花応が奥歯をギリリと噛み締める。それはもはや怒りの為ではない。

「どっかのバカがこの科学の娘たる私に――魔法なんてかけようとするから!」

 花応がキッと顔を上げた。その勢いに目の端から光るものが零れ落ちる。

「――ッ!」

 雪野が驚きに己の口元を押さえた。

「ああ、もう! 全部思い出したわ! 何が『物はどうにかなる』よ! 何が『物に対しては何もありませんでした』よ! 二度も言われれば分かるわよ! 〝人間は治せません〟ってね! それに何が『まだ誰も傷つける前』よ! しっかり自分だけ傷ついて! 人間は治せないから自分だけが傷つこうとして!」

「……」

「何? 今までもこうしてきたの? 一人で戦って、表面上は何にもありませんでしたって顔をして! 自分だけが背負い込めばいいと思って? 自分一人が傷つけばいいと思って? 今のあなたは力がないんでしょ! これからもこんな無茶する気?」

「桐山さん……」

「何が! 桐山さんよ! さっきみたいに呼びなさいよ! 一人だけ呼び逃げなんてずるいわよ!」

「――ッ!」

「何? 意外? そうよ、お恥ずかしながら、最後に名前を呼んでくれて――嬉しかったんだから! だから絶対に忘れてやるもんかと思って――私はこんな怪我までしたのよ! 住む世界が違うって分かっていながら! 私にはそんな非科学な世界合わないって分かっていながら! これからあんたにかかわると、これ以上の怪我をすると分かっていながら! 変? 悪い? 非科学? でもお生憎様! 私は科学の娘! 非科学も魔法も不思議も、私の科学が吹き飛ばすわ!」

「……」

「だって私は科学の娘だもの!」

 花応が最後に怒ったように右手をつきだした。

「はは……あなたは変でも、悪いわけでもないわ――花応……」

 ぶっきらぼうに突き出された花応の右手。

 それを雪野が両手で優しく包み込んで迎える。

「そうでしょ? 勿論非科学でもないわよ――」

 花応も更に左手を添えて、雪野手を上から包み込む。

 二人が手を取り合った。

 そしてとても恥ずかしそうに顔を赤らめながら、


 雪野――


 花応は高校生活で初めてできた友人の名を小さく呼んだ。


(『桐山花応きりやまかのんの科学的魔法』一、科学の娘 終わり)

2015.12.19 誤字脱字などを修正しました。

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