九、悪い友達 19
「おおっ!」
入館ゲートをくぐるや否や花応は喚声を上げた。入ってすぐの右手に見えた水槽。人ごみの向こうに見え隠れするそこには珍しい生き物が展示されていた。
「オオサンショウウオだ!」
花応が喚声を上げる。それと同時に待ちきれないとばかりにかかとを浮かせた。
そこに展示されていたのは両生類のオオサンショウウオだった。壁際に設置された水槽の上にそのことが掲示されている。
押し合いへし合いする入館者はもれなくその水槽へと吸い寄せられるように向かっていく。
花応も人波をかき分けるように一番最初に見えた水槽に向かおうとした。
「彼恋! ほら、早く! オオサンショウウオだぞ! すごないな!」
しかし実際はそれほど前に進めず花応はすぐに後ろを振り返る。かかとはやはり浮いていた。自分とは違い普通に後を着いてくる彼恋に花応は興奮気味に振り返る。
「まだ、見えないでしょ? 何が凄いのよ?」
返って来た返答も冷静なものだった。
「いや、だって……珍しいし……オオサンショウウオだぞ……」
「珍しいくないわよ」
「えっ……珍しくないか……」
「そうよ、珍しくないわ。入場してすぐのことろに、〝珍しい〟展示物を置いておくなんて、この手の施設では〝珍しくない〟わ。如何にも、目と気を引く展示を入り口すぐに配置する。入館料に値する施設なのかどうか、少しばかり疑いがちの初見の入館者のその疑念を払拭し、再来館者にも安定の安心感を約束する――」
「う、うん……」
「更にこの後も期待できると興味を持続させるとともに、第一印象がよろけばその後の印象も好印象に誘導しやすいわね。こういうところは非日常性が大事だもの。入ってすぐに珍しくもない金魚でも展示してみていなさいよ。家でも見れるもの展示されても、何しに来たんだろうって思われるだけよ」
「そ、そうか……」
彼恋が滔々(とうとう)と目の前の水槽もかくやと流れる水流のようにまくしたて、花応が困惑げにうなづいた。
「そうよ。特別天然記念物だからね。まずもってインパクトがあるわ。世界最大級の両生類ということと、見た目の奇妙さも相まって評価高いわね。まあ最初の展示物としては、合格点って言ったところかしらね」
「あ、うん……そうか……そうだな……もっと、驚くと思ったんだがな……」
花応が今度もしゅんとうつむき静かに列の最後に並ぶ。
「……」
その様子を横から宗次郎が覗き込む。口を小さくすぼめて顔ごとではなく目だけ下に向けて宗次郎は花応を見た。
何かを考えているようだ。宗次郎は一人うなづき彼恋に振り返った。宗次郎が自慢げな笑みを浮かべて彼恋に振り返る。
「何よ?」
明らかにこちらを見ている宗次郎の視線に彼恋が困惑げに応えた。
「つまり、桐山はこう言いたい訳だ――」
「はい?」
「オオッ! サンショウ! ウオッ! てな」
オオサンショウウオの水槽をバックにどうだと言わんばかりに宗次郎が満面な笑みを浮かべる。
「……」
だがしばしの沈黙の後、返って来たのは、
「はぁ? 死ねば?」
心底軽蔑の視線をその吊り目に浮かべた彼恋の侮蔑の言葉と、
「うあ、寒……」
信じられないと驚愕に見開いた雪野の目と、
「うひゃひゃひゃ! サイコーにつまんねー! このバカ、サイコーにつまねーッス!」
内容よりは言い切ったことに腹を抱えているらしい速水の笑い声だった。
周囲からはくすくすと笑い声が聞こえてくる。連れ合いの服の裾を引っぱって周りの入館者がちらちらと宗次郎の顔を覗き見ていた。明らかにその場の目を宗次郎が一身に集めていた。宗次郎を中心にばかばかしい雰囲気の笑みが広がる。
「あ、あんたね……」
その様子に真横に居た花応は目元まで真っ赤にしてうつむいた。
「あれ? いけると思ったんだが」
宗次郎が頭を軽く抱えながら周囲を見た。
ノリ良くこちらに視線での合図や手を振ってくる来館者にこちらも手を振って応え、宗次郎が軽く愛想を振りました。
「何、調子ノってんのよ?」
そんな宗次郎の耳を花応が引っぱった。
「だって、ウケる人にはウケたみたいだし」
耳を引かれるがままに宗次郎が花応に向き直る。
「一緒に居るこっちの身になりなさいよ」
「そうか?」
「そうよ。ホント、バカね」
「そうだな――バカだから、教えてくれ。オオサンショウウオってのは、そんなに珍しいのか? その科学的に?」
騒いでいるうちに花応と宗次郎の前が空き、オオサンショウウオを展示した水槽が目の前に現れた。清流を再現したと思しき水槽に岩が埋め込まれそこに岩と似たような肌をした両生類が数匹横たわっていた。
「珍しいに決まってるでしょ? 何より特別天然記念物だし、世界最大級の両生類で、生きた化石なのよ。生態系も謎が多いし、最近は交雑種も増えてしまった希少種だから、種の保全の為に、科学的な研究が必要なのよ」
「ふーん。不細工な割に、偉いんだな。オオサンショウウオめ」
宗次郎がオオサンショウウオを水槽越しに覗き込む。その茶色の肌は岩に張りつきその色と同化したようすぐには見分けがつかなかったようだ。宗次郎は色々と半信半疑なのか目を細めて水槽の底を覗き込む。
「不細工言うな。可愛いじゃない」
「何処が?」
尚も疑いの目を向けながら身を前に傾ける宗次郎。
「『何処が』って……」
「それはね――」
その上から不意にぬっと顔を出し雪野が花応に変わって答える。
「寸胴で鈍重な胴体に、そこから生えてる寸足らずな手足。如何にも不器用な生き方しかできなそうなのに、目だけは小さく自分の中の何かを信じてるように輝いているところかな」
雪野は宗次郎に答えながら後ろを振り向いた。
「誰かさんに、似てるわよね?」
雪野に話と視線を一緒に向けられて、
「ふん……」
今度も彼恋は鼻を鳴らしてすぐに目をそらした。