九、悪い友達 18
「なるほど。こんな内陸の市に水族館だなんて、どうやってるのかと思ったら人工海水なんだな」
水族館の入館ゲートに並ぶ入館者の列に並びながら花応が大きな独り言を口にする。花応はそのまま後ろをちらっと振り向いた。そこには雪野と並んで彼恋が続いている。花応は独り言は勿論後ろまで届く程大きかった。
「……」
独り言を聞かされた相手の彼恋はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「う……」
花応がその様子に言葉に詰まった。物欲しそうに彼恋の他所を向く目を目で追い、口元はノドまで出かけた言葉があったのか中途半端に開いていた。
「『人工海水』って?」
その様子に見かねたのか雪野が興味あると言わんばかりに少し前に身を詰めた。それで花応と彼恋の視界の間に立ち、二人の間の気まずい雰囲気をひとまず遮った。
「そ、そうなんだ雪野! 塩化ナトリウム――まあ、ただの食塩だけど。それを主成分にして、他の物質も配合した粉末なんかを水で溶かして海水を作る技術だな。塩素とナトリウムに、硫酸やマグネシウム、カルシウムにカリウムが他の成分だな。一般家庭の水槽ならまだしも、こんな水族館レベルで実現するなんて。科学の勝利だな」
雪野に答えながらも花応はちらちらと彼恋に視線を送る。
だが彼恋はやはり応えない。
「う……」
「ほら、桐山。もうすぐ入り口だぞ」
「う、うん……」
横に並んでいた宗次郎に声をかけられ、花応がしゅんと肩を落として前に向き直った。
日曜日の水族館は入館の受付も混雑していた。花応はゆっくり前に進む列の途中でやや肩を落として並ぶ。
「彼恋さん。あのね……」
「内陸部に水族館が作られるのは……高度なアクリル利用や、人工海水などの科学的な要素の他に、もっと考えないといけないことがあるわよ……」
雪野が彼恋に声をかけると、その彼恋はぶつぶつとこちらは自分にしか聞こえない独り言を呟いていた。
「何? 彼恋さん?」
「別に……科学バカには、ここに内陸の水族館の意味が分かってないって言っただけよ。あれで桐山グループの、将来を背負って立つ気? 研究開発して終わりって訳には、会社経営はいかないのよ」
眉間にシワを寄せてじっと花応の背中を見つめる彼恋。なじるというよりは淡々と事実を告げて問題解決を促すような落ち着きの中にも力のこもった口調で彼恋は更に続ける。
「ん?」
「この水族館、民間が管理運営をしてるのよ。第三セクターや、一般財団法人じゃなくってね。内陸に水族館を作っても、民間が利益を見込めると考えたってことよ。コストと立地の良さを秤にかけてね。本来教養施設である水族館で経営が成り立つ……興味深いわね。まあ、我が国の水族館は、元より娯楽施設の面が強いけど」
「え、えっと……」
「内陸にあるから、周辺住民に珍しがられるのは当たり前ね。家族参加型の施設であることも、周囲に大型の公園があることも相まって評価高いわね。いえ、水族館なら、年齢層も幅が広いか……何より立地。国際観光都市の玄関口――国内有数のターミナル駅から、徒歩でも来れるものね。水族館の施設そのものはそれほど大規模じゃないわ……それでもアクリルの加工の柔軟性で変わった展示ができるし、何よりやっぱり人工海水を使っても内陸に水族館があること自体は価値があるか……それも似たような施設が周りにあると価値がなくなるわね……なるほど……周辺環境と、先手を打てる時期の良さ……その総合力で、水族館の価値を判断したのね……」
尚も熱心に続ける彼恋。彼恋は自分に言い聞かせるように最後はぶつぶつと呟く。
「あのね、彼恋さん……」
その様子に雪野が困惑げにその表情を覗き込もうとすると、
「難しい話は後ッスよ! ほら、チケットチケット!」
二人の肩を後ろから突然抱えて抱きついた速水が前をアゴで指し示す。
「ひゃっ!」
雪野が驚きに小さな悲鳴を上げる。
しかし予想がついていたのか、それとも内心それ以上の感情が渦巻いていたのか、
「ふん……」
彼恋は鼻を一つ鳴らすと冷静に速水の手を積み上げて肩から下ろした。
彼恋の前は話し込んだせいか花応と宗次郎の背中と距離が空いてしまっていた。彼恋はそのまますたすたと歩を早めて、チケットを受付に渡していた宗次郎の背中に並ぶ。
「おやおや……彼恋っち……何か、怒ってるッスね……いやはや――」
その彼恋の背中ににやにやした笑みを向けて速水が細い目を更に細めた。そして雪野の肩に手を回したままその耳元で聞こえるように呟く。
「速水さん……」
「何か内心思うことがあるッスね……ぶちまけたい負の感情がッスね……」
花応や彼恋のそれと違い明確に己の耳元に聞こえるように呟く速水に、
「……」
雪野はただただその細い目の奥の光を覗くように睨むことしかできなかった。
作中の人工海水および、内陸型の水族館に関しては、以下のサイトを主に参照させていただきました。
http://www.jp.horiba.com/hakaruba/archives/157
http://www.nikkei4946.com/zenzukai/detail.aspx?zenzukai=eRKIYw5O%2flN8JpIoH0K8UQ%3d%3d