九、悪い友達 17
「か、彼恋! 年間チケットもあるぞ! そっちにするか?」
花応はチケットの販売窓口までくると興奮気味に後ろを振り返る。振り返った勢いで売り場の天井近くに設置されていた料金表を指差した。
そこには通常料金とともに、その倍額での年間チケットの料金の表示もあった。
花応と宗次郎が先頭で、その後ろに雪野と彼恋が並び最後に速水が続いていた。五人が並ぶ後ろにも人々の波は続いており、他のチケット売り場の人の長い列ができている。
混雑する売り場で花応は購入の手を止めて後ろを振り返った。左手に財布を持ち上げたまま花応は料金表を指差す。
料金表を指差すその花応の手はかすかに震えており、彼恋の様子をうかがうその目も緊張にぴくりと一つ痙攣した。
「はぁ? 何でよ?」
そんな花応に彼恋があからさまに不機嫌に唇と目もとを歪めて応える。
「いや……二回以上来たらお得みたいだし。利用しない手はないかなって」
震えながら一度は勢いよく上げられた花応の手が力なく下がっていく。
「こっちに住んでる訳でもない私が、何で年間チケットなんて買わないといけないのよ? バカなの?」
「く、来るかもしれないじゃないか……私だって住んでるんだし……」
「私から逃げ出しておいて、何を言ってるの? あんたは?」
彼恋が苛立たしげに目を細めた。
「う……」
花応の指が完全に腰元まで降りてしまう。
「ほら、花応……仕方ないわ……普通のチケット買いましょう……」
「お、おう。年パスなんて、使うかもしれないものに贅沢できねえよ。俺はビンボだからな」
そんな花応の様子に雪野が後ろから肩をつついて話しかけ、宗次郎がおどけたように口を挟んだ。
「そ、そうだな……」
花応は前に向き直り左手の財布に手を伸ばした。しゅんと落ち込んだのか、それとも単に財布の中身を確認する為か。花応は力なく背中を丸める。
「ふん……」
その様子に彼恋が鼻を鳴らした。
「ふふん……」
一連の様子を速水は小馬鹿にしたような笑みを浮かべて見ていた。
「彼恋さん……昔は知らないけど……花応は今は一緒に……」
雪野が彼恋に顔を近づける。
「知らないわよ……」
「『知らない』のは、今の花応でしょ……」
「あなただって、知らないでしょ……昔のあの娘は……」
声をひそめて話す雪野と彼恋の目の前で花応と宗次郎がチケットを買い終わった。ちらりとだけ後ろの彼恋の様子を確かめると花応がその場を離れる。
雪野と彼恋の前が空いた。二人は揃って前に出る。
「少しは知ってるわ」
「何をよ?」
話を聞かれたくない相手が列を離れていくと二人の話し声は普通に戻った。
「そうね……花応は変わったってことよ」
「『変わった』? そうよ、あれは昔から〝変わった〟娘よ」
「ちゃかさないで」
二人は話しながら淡々とチケット代を同時に財布から取り出した。
「ふん。あなたこそ、何をふざけたこと言ってるの? 何年も一緒に居た私と、この春出会ったあなたと。どっちがあの娘のこと知ってるって言うのよ?」
「花応は確かに、無愛想な娘だったわ……人を避けていたみたい……」
「他人も、家族も、嫌いなんでしょ」
彼恋のチケットの方が先に出て来た。手渡されたチケットを乱雑に受け取り彼恋は雪野を後に残して先に離れていく。
「……」
雪野が追いかける訳にもいかず自分のチケットを待っていると、
「お節介ッスね。魔法少女様は」
空いた売り場に速水がすっと並んで来た。
「お節介を焼いて、何か悪い?」
「いや、別にッス」
「……」
雪野のチケットが出て来た。雪野は速水を横目にその場を離れようと身を翻す。
「彼恋っちを精神的に追いつめて、力をつけてもらう計画ッスからね。魔法少女様の苦労は分かるッスよ」
その雪野の背中を速水が軽い口調が追いかけた。
「な……」
雪野がその言葉に思わずにか立ち止まり目を剥いて振り返る。
「冗談ッスよ。彼恋っちは友達ッスよ」
「あなたね……」
雪野の目が一瞬で血走っていた。肩を怒らし今にも速水に詰め寄らんばかりに細かく震わせている。
「怖いッスね」
「……」
「てか、そんなところにいつまでも立ってたら、後ろの人に迷惑ッスよ」
「……」
雪野はしばらく速水を睨みつけるとようやく列を離れた。
雪野は大股で列の後方へと去っていく。雪野が向かう先で待っていたのは三人並んだ花応と宗次郎、彼恋の姿だった。
「なるほど! 人工海水を使ってるんだな! 科学的だな!」
手元に持ったパンフレットから顔を上げて彼恋に振り返る花応。意図的にか宗次郎を挟んで彼恋は立っていた。花応は宗次郎を壁に覗くように彼恋の顔を伺う。
「……」
彼恋が自分に話しかけられた訳じゃないと言わんばかりにそっぽを向いた。
その様子を見た雪野は後ろを振り返り、
「好きにはさせないわよ……」
チケットを受け取っている速水に鋭い眼光を投げつけた。