八、生徒の鑑 23
「……」
出ていった宗次郎の背中を生徒会長が黙って見送った。
生徒会長はいつもの柔和な笑みを浮かべたまま一人残されその背中の消えた廊下を見つめる。
「さて……」
生徒会長が制服のポケットから携帯電話を取り出した。
会長はそのまま携帯を通話モードにし慣れた手つきで番号を押し始めた。電話帳や着信、発信の履歴ではなく生徒会長は一から番号を何も見ずに入力していく。
「はいはい! 見たこともない着信番号に、ためらいもなく出ちゃうちょっと隙の多い今時の女子高生――颯子ちゃんッスよ!」
そしてすぐに相手は電話に出た。電話の相手は電話に出るや否や一気にまくしたてる。電話口でも分かる軽い口調はその電話の向こうに楽しげに細められた細い目すら容易に思い浮かばせた。
電話の向こうから漏れて来る声は速水颯子のものだった。速水は実際けらけらとした笑い声も同時に再生させながら電話に出ていた。
「やあ、こんにちは。まだ校内かい? 速水さん。出てくれてありがとう。でも見知らぬ着信番号に出て、名前まで名乗るのはどうかと思うよ」
「むむ? この声はいけ好かない生徒会長様ッスね! 自分で勝手にかけてきておいて、何言ってるッスか! そもそも電話番号を教えた覚えはないッスよ! 一年女子の携帯に、気安く突然電話してくるなんて! 生徒の鑑どころか、生徒会の風上にも置けないッスね! 少なくっても、颯子ちゃんの風上に立つのは止めて欲しいッス! 真面目臭い匂いが、鼻をつくッスから!」
「それは失礼。気をつけるとするよ。何、そういうのは得意なんだ」
「そりゃ、どうもッス。こっちも素早く移動するのは、得意中の得意ッスよ。常に自分の風下辺りに居てくれると、ありがたいッス」
「随分と、嫌われたもんだ」
生徒会長が口元を歪めて笑う。
「生徒会長の特権を利用したか何かしたか知らないッスけど。乙女の携帯番号を密かに入手してりゃ、嫌われて当然ッスよ」
「気にしているようには、聞こえないけどね」
「あはは! 自分、そんな小さなこと気にする乙女じゃないッス! それより自分の番号。携帯の中に入ってていいッスか? 下手なつながりがあると知れるのは、生徒会長の評判にかかわるッスよ!」
「携帯の中には入ってないよ。頭の中に入ってる。電話が終わったら、発信履歴は消去するよ。速水さんも着信履歴を消しておいてくれると嬉しいかな」
「知らないッス! 残しておいた方が、何かと便利かもしれないッスからね。あえて残しておくッス世。直接〝ささやい〟てこないのは、さては長話ッスね? 何用ッスか?」
「ああ、速水さんとじっくりと話がしたくってね――」
話がようやく本題に入った安心感からか生徒会長は席を立ち上がる。
「小金沢くんは、もう二度と立ち上がってくれそうになくってね。速水さんは随分前に〝ささやい〟たのに、未だにまともに動いてくれない。桐山彼恋さんは何処に居るのか分からないし」
生徒会長は生徒会室の窓辺に立ちその外の景色をのぞいた。
「それこそ知らないッスよ! 会長さんの都合なんて! まあ、彼恋っちなら。今から最後の観光に付き合うところッスけどね! 今待ち合わせのヒマ潰しで、会長さんの電話に出てあげてるッスよ」
「ほう……放課後で回れるところというと……」
生徒会長が窓の向こうに目をやる。高校の敷地からしばらく街が続き、山並みに阻まれるまで続いている。山の緩やかな稜線を生徒会長は目で追うと、その山の麓に寄り添うように立つ寺社仏閣群が遠目に見えた。
「教えないッスよ。女子二人旅ッス。近所ッスけど」
「そうかい……」
生徒会長が更に窓に近づくと自身で作り出した影に己の姿が映る。
「そうッスよ……で、たまには自分で動いたらどうッスか?」
「君のように、色々とちょっかいを出さないと、能力が成長しないからかい?」
生徒会長はガラスに映った自身の目を覗き込みながら訊く。
「そうッスよ。それにあれッスよ! 彼恋っちは力を〝ささやか〟れたばかりッス! ここはじっくり育ってもらって――」
速水が急に声の調子を落とした。誰か周りの人間に聞かれるのを恐れたのではなく、自然と低くノドを震わせる口調になったようだ。
「科学の娘と姉妹対決しててもらわないとッス……」
速水は声の調子のまま暗いことを告げて来る。
生徒会長は速水の言葉に両の頬を緩める。同時にガラスに映った生徒会長がガラス映った姿故の暗い表情で笑う。
「そんな風に考えてると見たッス! 生徒の鑑様は!」
速水の声がすぐにもとの軽薄な口調に戻った。
その声に耳を傾けながら両の頬の口角をゆっくりと上げ、
「そうだね……」
生徒会長は今度は自身が暗い笑みを浮かべてガラスの向こうの自分と一緒に笑った。
『桐山花応の科学的魔法』八、生徒の鑑 終わり