八、生徒の鑑 20
「授業は基本、特別教室を使うらしいッスよ」
段ボールが窓枠全面に貼られ、蛍光灯の灯りだけで照らされている教室。今の時間は朝の清々しいはずの陽光に照らされるはずのその教室。その教室は朝の空気にはそぐわない人工の光に満たされていた。
教室は陽の光を拒否するかのように段ボールで閉ざされていた。その教室を主に照らす人工的な光。わずかに空いた段ボールの隙間から刺す陽光は、細く長く鋭い。
その自然の光を閉ざし人工的なそれで照らされた教室で、わずかに射し込む陽光のように鋭く細い目を細めて速水は口を開く。
初めから花応達に声をかけるつもりだったようだ。速水は花応の窓際の机の上に足を組んで座っていた。
「速水さん……」
花応を背中にかばうように教室に入って来た雪野が苦々しげにその目を見つめ返す。
「どうしたッスか? 親切に教えてあげただけっスよ」
「『親切』ですって……」
雪野が教室の中へと花応を後ろに置いて進んでいく。その足取りは隠しきれない怒りか苛立に荒々しくも床を踏み鳴らしている。
「おお、怖いッスね」
「怖くって、結構。一応引け目でも感じてくれてるの?」
言葉だけ怖がりながらそれでいて嬉しげに目を細める速水に、雪野は真っ直ぐ向かっていった。
「何がッスか?」
眼前に顔を突きつけるように立ち止まった雪野。その雪野に動じた様子も見せずに速水は聞き返す。速水は組んだ足を崩しもせず、またお尻を乗せた机からも降りようとしなかった。
「別に、一応訊いてみただけよ。元より期待していないわ」
「そうッスか」
「そうよ。で――」
あくまでリラックスした姿勢で他人の机の上に座り雪野に、他人の机に座る無遠慮なクラスメートに怒りもあらわに詰め寄る雪野。
その雪野が憤りを表していた足取りの続きを眉間にシワを寄せることで更に明らかにすると、
「彼恋は?」
その雪野の背中を押しのけるように花応が割って入って来た。
こちらも内心の感情が隠しきれないようだ。憤りにぐっとその少々吊り目な目尻を更に吊り上げて眉間のシワと瞳を中央に寄せて、それでいて不安にかノドの奥をごくりと鳴らして速水を見る。
「可愛かったッスよ。あのふて腐れ具合が。ちょっと前までの、桐山さんみたいだったッス。流石腐っても姉妹ッスね」
「そ、そう……」
「いやあ、色々と案内したら、いっぱいおごってもらったッスよ。気前がいいッスね。妹ちゃん」
「そんな話じゃなくって……」
「どんな話ッスか?」
「それは……」
花応が悔しげに拳を握る。そして速水の顔を見れないのかうつむいた。
「花応……」
「ん……」
黙り込みうつむいた花応を雪野が心配げに、速水がにやけた笑みで見つめる。
登校して来るや否や速水を中心集まり何やら深刻な雰囲気になり出した花応達三人。他の生徒達がその三人が醸し出すただならぬ雰囲気に一様に振り向きながら教室に入って来る。
「彼恋は……その元気だった……」
「あはは! 桐山さんも会ったッスよね? 何を他人に訊いてるッスか?」
「それは……」
「自分が見た限りは、元気してたッスよ」
「そ、そうか」
花応が速水の言葉に思わずか顔を上げる。
「少なくともお姉ちゃんから、電話がかかって来るまでは――ッスけどね」
「なっ……」
「速水さん!」
「おっと、見たままの通りッスよ。嘘とかついてないッス。それでも本人が直接かけて来たら、また別だったかもしれないッスけど。千早さんから電話だっててんで、かなりご機嫌斜めになってたッスよ」
絶句する花応に速水がにやにやと笑みを向ける。
「それは……」
「電話が苦手だからッスか? 妹をあんな目に巻き込んで、そのすぐ後――いや、だいぶタイミング外した後で電話して来てッスよ? 自分ならブチ切れるッス! 実際巻き添え喰らったッスよ! せっかくの冷たくも甘いソフトクリームが、ぱあになったッス!」
「彼恋……」
「く……速水さん……色々とお話したいんだけど? 時間ある?」
少し青ざめ始めた花応の様子に焦ったのか、雪野がまくしたてるように提案した。
「ないッス。さっきも言ったッスよ。今日は特別教室で授業ッス。早く移動しないと、皆遅刻ッスよ。自分、カバンとってくるッス」
速水が不意に体を踊らせた。手を背中の後ろで机に着くと、勢いよく突いて体を跳ね上げさせる。その勢いで机から降りた速水はすたすたと自分の席に向かって歩き出した。そしてカバンを取りにいかないといけない理由を示す為にか、何も持っていない両手をぶらぶらと宙で振ってみせた。
「ちょっと、速水さん! まだ話は終わってないわ」
遠ざかっていく速水の背中に雪野が慌てて振り返る。
「姉妹の話だけに、お終いじゃないッスか?」
「ふざけないで!」
雪野が一瞬で速水の前に現れた。
「ひゅう……こんな教室で力を使うなんて、らしくないッスね」
己を通せんぼする雪野に速水が乾いた口笛を鳴らしてみせる。
「別に見られていないわ」
雪野が軽く首を巡らせた。その言葉通りなのか、こちらを見ていたのは窓際に残された花応だけだった。
「そうッスか。大した自信ッス。でも――」
速水の姿がぶれた。電波の乱れた映像のように速水の姿と背後の景色が一瞬混じり合ったように見えた。
だが乱れた後の速水の姿には先ほどまでと決定的に違うところがあった。
「――ッ! 速水さん!」
速水は通せんぼする雪野からくるり身を翻して横を向くと、
「これぐらい素早くやれば、動いたことにも気づかれないッスよ」
先ほどまでは持っていなかったカバンを見せつけるように振りながらドアに向かっていった。