八、生徒の鑑 18
「あっ……彼恋……彼恋か……」
花応はごくりと音の聞こえる程大きく息を呑んで携帯の向こうに呼びかけた。
花応の部屋のダイニング。雪野と宗次郎、そしてジョーの視線を一身に受けて花応は携帯に耳を傾ける。
そして落ち着かないのかテーブルの席を立ち、視線を携帯の向こうを覗き込むように落とした。
肩は小さくすぼめられ、左手に持った携帯に右手を包むように添える。高一女子としても小柄な方の普段から小さな花応の体がより小さくなっていく。
「何よ……」
いかにも不機嫌そうな声が携帯の向こうから漏れ聞こえて来た。
「ああ、その……」
「だから、何よ?」
相手の声の調子が苛立たしげに一気に羽か上がった。
花応がその声にびくっと体を一つ震わせた。ぴくりと一つまぶたが痙攣しぐっと目を見開く。
「妹相手に、何であんなにびくついてんだ?」
「しっ。黙ってなさい、河中」
その様子に宗次郎がぼやくように呟くと、雪野がきっと睨みつけた。
「だってよ……」
「河中」
雪野の視線は何処までも宗次郎の目を射抜く。
「はいはい」
宗次郎が態度ぐらいはと思ったのか頭をぼやくようにかきながら花応にあらためて視線を戻した。
「『何よ』って……私は……」
すぐに答えられなかったのか、ようやく花応が震わせながら声を絞り出していた。
「『私は』何よ?」
「私は……その……お姉ちゃんだ……」
からからの雑巾でも絞るように花応がノドの奥から更に声を絞り出す。
「はぁ? 何よそれ。そんなこと言う為に、わざわざ電話して来た訳?」
「あ、いや……」
「はっきりしないわね。こっちは人を待たせてるんだけど?」
「あっ! 速水さんだって……雪野に聞いた……だけど、その娘は……その……」
花応がもどかしげに詰まりながらまくしたてようとする。
「ええ、そうよ。速水さんよ。肉親がせっかく尋ねて来たのに。ほったらかしの姉に代わって、親切に観光につき合ってくれてるわ」
だがその花応に皆まで言わせず電話の向こうの主はこちらは詰まることなくまくしたてる。
「う、そうか……お姉ちゃんからも、礼を言っておくから……」
「花応……」
話が逸れたと見たのか雪野が花応の名を呼ぶ。
「あ、いや! 違う……そんな話じゃなくって……」
呼びかけられた花応は今度もびくっと身を震わせた。
「脅してやるなよ」
宗次郎が肩眉をひょいっと上げて雪野を見る。
「速水さんは危険なの。暢気に構えてる場合じゃないでしょ?」
そのとぼけた非難の向け方に雪野が真面目に睨み返す。
「まあ、そうだけよ」
「ここは花応の踏ん張りどころなの。黙って見てなさい」
「はいはい」
「彼恋……お前の話だ……その速水さんも含めて……」
雪野の言葉通り踏ん張っているのか花応がぐっと肩に力を入れる。
「私の話? 何、あんたが私の心配してくれるの?」
「そりゃ、お姉ちゃんだから……」
「うるさい! 『お姉ちゃん』『お姉ちゃん』って、さっきから何よ! あんたが姉らしいことなんか、したことあるの? こんな時だけ、しかもこんなに遅く電話してきて!」
「か、彼恋……」
「いい? あんたが姉だなんて顔したいなら、私を納得させてみなさいよ! あんたが私に何か姉らしいことしてくれた? さあ、答えてみなさいよ!」
「私は、ちゃんと努力した……」
「何を? 何の努力よ?」
「いっぱい話ししようとしたし……ほら! お爺さまも、喜んでた! あんまり科学に興味がなかった彼恋が! 私が今のウチに来てから科学の話もするようになったって!」
「――ッ! バッカじゃないの! ホ・ン・ト! 何にも分かってないのね!」
花応の耳元から一際大きな音が漏れ聞こえる。
「か、彼恋……」
その声に花応が三たびびくんと体を震わせた。
「何が『お爺さま』よ! 昔みたいに『じいじじいじ』って、セミみたいに、〝泣〟いてなさいよ! 自分の世界に閉じこもって!」
「彼恋……」
「聞きたいことがあるでしょ? ええ、教えて上げるわ――」
「――ッ!」
彼恋の言葉に花応が大きく息を呑んで裂けんばかりに目を見開く。
「……」
その様子に雪野が無言で立ち上がった。
「私は力を手に入れたわ――とっても科学的な力をね!」
「彼恋!」
「〝ささやか〟れたって言うの? 何でもいいわ!」
「彼恋! その力は! それは――」
「これは私の力よ! あんたにとやかく言われる覚えはないわ! じゃあ! 用はそれだけね! 切るわよ!」
「待って、彼恋! まだ話が!」
「しばらく観光したら帰るわ! その後は――その時ね! じゃあ! さ・よ・う・な・ら! お姉ちゃん!」
皮肉に言葉を区切っての別れの挨拶がすると花応の携帯は唐突に途切れた。
「彼恋! 彼恋ってば!」
花応が必死に呼びかけるがそこから聞こえてくるのは、不通告げる電子音だけだ。
「彼恋……」
花応がその携帯を持った手を力なく耳から下ろすと、
「……」
いつの間にか後ろに立っていた雪野がそっとその両肩に手を置いた。