八、生徒の鑑 15
「遅いわよ、河中! ジョーなら、呼ばれたら、あっという間に飛んで来るわよ!」
友人の部屋に入るや否や宗次郎は理不尽な要求を突きつけられた。
家族用の分譲マンションとしか思えない広さを誇るクラスメートの一人暮らし用の住まい。その中でもトップクラスの価格帯と思われる外観や設備が施され、人的サービスまで提供されている至れり尽くせりなサービスまで提供されているどう見ても高級分譲マンション。
その重厚で厭味のない程度には豪華な入り口のドアをくぐり、薄汚れたスニーカを脱ぎながら、宗次郎はこの部屋にふさわしい生地質をした服をまとう主に上から声をかけられた。
「ペリペリ! そうペリ!」
ペットまで何処か自慢げな口調だった。
「あのな、桐山。俺はお前のペットでもなければ、鳥類でもねえんだよ。呼ばれてすぐ、飛んでくる訳ないだろ」
部屋の主とそのペットに胸を張って迎えられ、宗次郎は靴を脱ぐ為に屈みながらげんなりと見上げる。
実際に花応とジョーは胸を張っていた。
花応はことさら下に見ようとしている分からせる為にか大きく胸をそらし、それでいて笑いをこらえるように頬を丸く膨らませていた。その腕は両脇に拳があてられいかにもなふんぞり返りっぷりを見せつけている。
「元気出たのかよ?」
宗次郎が脱いだ靴を足で脇に寄せながら一段高くなっていた廊下に上がる。
「誰か、元気なかった?」
ふふんと鼻を鳴らして花応がくるりと向きを変える。
「今まさに、無理してはしゃごうとしているようにも見えるがな」
宗次郎が足を早めて花応を横から覗き込み、そのまだ少々隈の残った目元を見る。
「ふん! 残念。あんたの観察眼に定評がないのは、さっき雪野と確認し合ったところよ」
花応が鼻を鳴らしながらその視線から逃れるように首を振った。
「あん? 何の話だよ?」
「それは、後、後。さあ、入りなさいよ」
「お茶ぐらい、出るんだろうな。お客さんに」
「さあ? あんた、『お客さん』なの?」
「あのな。自分で呼んだくせに」
「ぺり!」
二人と一体は廊下をぞろぞろと歩きダイニングへと向かった。
「あら、部屋の方で二人っきりでも、こっちは構わなかったのに」
ダイニングに一人残りテーブルに着いていた雪野がわざとらしい笑みを浮かべて振り返る。
「二人っきりで、何を話すってのよ」
「話すことないなら、黙って見つめ合ってくれてても良かったけど」
自分に目もくれずテーブルの向こうに回る花応を、雪野がその笑みと視線で追いかける。
「あんた何処まで、人をくっつけたがるのよ」
何処までついてくる視線を無視し、花応は最後は目までつむってイスに着いた。
「そんな、冗談いってる場合かよ」
花応とは反対側のテーブルの席に向かい宗次郎はこちらも作ったような苦笑いを浮かべて座る。
「ペリ」
花応と一緒に宗次郎を迎えに出て一緒になって非難までしていたジョーは、そこが当然とばかりに今度は雪野の脇に控える。
「で、作戦会議って何だよ?」
「はぁ、あんたバカなの? あんな訳分かんない相手に、作戦もなしに立ち向かうの? 非科学ね」
「作戦らしい考えなんかあるんかよ?」
「ないわよ」
「ねえのかよ! それ科学的なのかよ!」
「まあ、いいじゃない。花応だって、非科学な日もあるわよ。単に河中を家に呼びたい口実だったのよ」
「あのね、雪野。私に非科学な日なんてないわよ」
花応が軽く頬を膨らませて不意に立ち上がる。そして冷蔵庫に向かうやドアを開けた。花応は中からペットボトルのジュースを取り出した。
「お茶よ」
花応は宗次郎に近寄るとぶっきらぼうにそのペットボトルを差し出した。
「ジュースだろ。しかもすっかり忘れてただろ?」
「要らいんなら、引っ込めるわよ。科学的に考えて、無駄だし」
「要るっての……」
ひょいっと目の前から持ち上げらたジュースを宗次郎が手で追ってつかまえた。
「で、作戦会議だな。まずは順当に情報交換か?」
ようやく出されたお客さんらしい扱いのもてなしを受け取り、宗次郎はその蓋を空けながら自らの口も開く。
「そうね。とりあえず、情報交換ね」
雪野も残っていたジュースに口をつける。
「じゃあ、俺から。生徒会長は瞬間移動する」
「皆、知ってるわよ」
花応がイスに戻り唇をわざとらしく尖らせて宗次郎に渋い顔を向ける。先に空けていた缶ジュースを自身も手に取った。アルミ缶のそれはぬるくなり始めているのかその表面についている水滴が少なくなっていた。
「るっさいな……俺は、身をもって確認したんだよ。その報告だよ」
「速水さんも、すごい速さで動くわよ。私でも目で追えない程よ」
雪野がその光景を思い出そうとしたのか天井を見上げて応える。
「あれとはまた違うんだよな。本物の瞬間移動ってな感じで……まさに一瞬で移ってた……それに速水の力も、何だかおかしいし……」
「『おかしい』? おかしいのは、今に始まったことじゃないわよ。この一週間で、私の科学的な日常がおかしいことだらけよ」
「いや、桐山。そういう意味じゃなくってな……」
「何よ。非科学なのは違いないでしょ?」
「そうかよ。じゃあ、桐山。お前のその……妹はどうなんだ? 〝ささやか〟れてんだろ? どんな力を〝ささやか〟れたと思う?」
「……雪野にも言ったけど……勿論科学力よ……」
花応が己の手の中の缶ジュースに目を落とす。
「非科学な科学の力……あの娘の知識で、もしそんな力を手に入れていたら……」
「花応……」
「桐山……」
うつむいた花応に雪野と宗次郎がそれぞれに名を呼びかける。
「絶対に私が止めてみせるわ――」
花応はもう一度顔を上げた。
そして単に力が入ったのか、それともその決意の程の表れか、
「科学の娘の名にかけてね……」
その手の中で缶ジュースが軽く音を立ててへこんだ。