一、科学の娘16
「何の真似よ! この私が――」
「こんなものにビビる訳ないないわ――って、言いたいの?」
吹き上がった水が、飛沫となって中庭に降り注ぐ。
そんな状況の中、花応が冷静に相手の言葉を遮りジョーの嘴に手を突っ込んだ。
「そうよ! いったい何がしたいのよ!」
「『何が』って――そうね。科学したいわ。魔法や不思議なんてもうこりごり」
花応が中の液体を次々と地面に捨てては、取り出したガラスのビンを人工池に放り投げた。
「く……この……」
人工池に消えていくアルカリ金属入りのビン。それが少しの間を置いて爆発的噴水を引き起こす。
その様子に何故か天草は苛立ちとともに首を廻らせた。
「あら? やっぱりビビってるじゃない?」
「うるさい!」
休みなく放り投げられるガラスビン。それを天草のスライム状の腕が、空中でたたき落とした。
「そんなにのんびり投げてちゃダメみたいよ」
「ふん……体力仕事はお門違いよ――お願いね」
花応はごっそりと取り出したガラスのビンを、中の灯油を捨てながら雪野に手渡す。
「オッケー!」
「なっ!」
天草の驚きの声を向こうに、雪野が受け取ったガラスのビンを次々と四方の人工池に投げ入れた。
花応が投げたときより、鋭く人工池にビンが飛んでいく。
「この……」
天草はその雪野の動きについていけない。
天草のムチのような攻撃。しならせる動作が必要なそれは、雪野の鋭い投擲についていけなかった。
花応のときを倍する勢いで、アルカリ金属が人工池に消えていく。
「私は科学的に考えるわ。そうね――まず何故あなたはそんなに軟体質なのか? そもそも科学的にそんな軟体質なものは何と呼ばれるのか? そう、それはゲル。もっと言えばおそらくPVA――ポリビニールアルコールの様な『ポリ』で表される高分子由来の化学ゲルなのではないのか? てね」
「何よ……ポリが何だって、言うのよ……」
天草が狼狽の様子を表すかのように、身を細かくふるわせながら周囲を見回した。
四方で立て続けに起こる爆発的噴水。それは花応と雪野とジョー、そして天草の上に雨となって降り注いでくる。
「ポリはね。ポリマーのポリよ。高分子って意味。そうね――あなたが着ていたジャージにだってポリエステルっていうポリマーが使われてるわ。現代の生活には欠かせないものよ。この高分子には高吸水性のものがあって――」
「ひっ!」
天草は花応の説明を聞いていられなくなっているようだ。
四方から立て続けに降り注ぐ人工池の水。
それを何故か天草は慌てて避けようとしていた。だが雨霰と四方から降る人工池の水。避ける天草も、避けない花応達も平等にびしょぬれにしていく。
「そうよ。スライムを作るときのPVAはこの高吸水性のポリマーでね――」
「いや!」
天草が逃げ場を失ったかのようにその場で膝をついてしまう。
それでも花応は休まずジョーの嘴からガラスビンを取り出し、それを受け取った雪野は受け取る端から矢継ぎ早に人工池に放り投げる。
「高分子構造の中に『水』を取り込むことになって、その独特の軟体質なぷりぷりの質感を作り出すわ。まるで液体と固体の中間のような――」
「嫌よ! 私の……せっかく手に入れた私の……私の力……」
「スライム状の物体の質感ね。だけどね、しゃんとした形を維持するには、内包する水に〝適量〟というものが必要よ」
「ああ……止めて! この力があれば、皆に仕返しができるのに! 私はまだ……誰にも仕返ししてないのに!」
「仕返しなんて非科学よ。私は科学的に考えるわ。そうね――例えば何故あなたは今朝一度退いたのか? ってね」
「何でよ! 何でこんな力を手に入れた私が! 私がこんなことで!」
天草が己の両手を見た。その手は人の形を維持できていなかった。融けるように崩れだしている。
それは人工池の水を被る度にひどくなっていく。
「あなたは驚いたのよ! 私の思いつきの反撃が――正確にあなたの弱点である水を過剰摂取させるという行為に結びついてしまったから!」
「いやああああ! たかが水なんかに! 私が!」
「水は只の水じゃないわ! 身近にありすぎるから感じないかもだけど、水素と酸素でできた立派な化合物よ! 沸点の異常な高さや、表面張力の大きさとか、特異な性質を持つ身近で不思議で魔法のような物質よ!」
「ひー……」
天草がその人としての形を形作れずに胸から地面に崩れ落ちた。
「そうよ! そしてその水できちんと形を作れないあなたは只の高吸水性高分子! ゲル状物質! なら私なら科学的に対処できるわ! だって私は――」
「いやああああ!」
慈悲を請うよな天草の悲鳴。
その無力な叫びとは対照的に、
「だって私は科学の娘だもの!」
花応は堂と胸を張った。