八、生徒の鑑 12
「花応!」
雪野が花応に振り返る。それと同時にイスから腰を浮かせた。慌てたらしい。床材とイスの木材同士が硬くかち合う音を大きく立てる。
突き放すような態度をとっていた雪野がイスに足をとられよろめき立ち上がった。
「ペリ!」
ジョーが両の翼を跳ね上げた。ジョーは鳥が羽ばたき飛ぶには狭いダイニングをそれでも羽をめいいっぱい羽ばたかせながら花応に駆け寄る。
「ペリペリ! ペリ!」
「ああ、もううっといわね、あんたは」
ダイニングに入ったところでジョーにまとわりつかれた花応。花応は煩わしげにジョーの顔を右手で押しのける。まだ軽く包帯の巻かれた花応の右手が、特に配慮もなくジョーの顔を押しのけた。
「ペリ! 酷いペリ!」
「うっさい。ノド渇いてんの」
抗議の声を上げるジョーを引き連れ花応は冷蔵庫に向かう。
「……」
己の脇を抜け横顔を見せて冷蔵庫に近づく花応を、雪野がじっと追うように見つめた。
「……」
その視線を受けているのは分かっているはずの花応が、それ故にか雪野に振り返らずに真っ直ぐ冷蔵庫まで近づいていく。
花応は冷蔵庫のドアを開けそこから缶ジュースを取り出した。冷蔵庫に向かいドアを開けた花応は雪野に背中を見せる。プルタブもその場で開け雪野に背中を向けたままその中身を半ばまで一息で飲み干した。
「ペリ……」
ジョーがそんな花応の背中から長い首を伸ばして顔をのぞこうとする。
そんなジョーを追い払おうとしたのか花応が音を立てて勢いよく冷蔵庫のドアを閉める。
「あのバカにつながってんの?」
花応が不意に口を開く。
「えっ? あ、うん。河中よ。話す?」
雪野が持っていた携帯を花応の背中に差し出した。
「……」
花応がようやく振り返る。
やはりその目は赤く目の下には隈ができている。
花応は特徴的な吊り目を腫らして雪野から携帯を受け取った。花応はしばらくその携帯をじっと見下ろした。
どうやら出るか出まいかを迷ったのではないらしい。花応は掌の中で携帯を左右に振りその見る角度を何度か変えた。それでようやく耳と口をあてる側の目処がついたのか、花応はゆっくりと耳元に携帯を持っていく。
「河中?」
相手の確認と、確かに間違いなく通話できているのを確かめたかったのか、花応はわずかに頬を引きつらせながら口を開く。
「おう、元気出たのか?」
「るっさい……生徒会長……どうだった?」
携帯を耳にあてる際に見せた表情を引っ込め花応は抑揚を押さえた声で尋ねる。
「真っ黒だ。悪びれる様子もない。悪いが妹さん――〝ささやか〟れてるな」
「そう……あの娘が〝ささやか〟れてるとなると、かなり厄介よ……」
花応が宗次郎に応えながら雪野にちらりと視線を送る。
「……」
雪野が花応の不意の視線に耐えられなかったらしい。アゴを無意識にか引いて視線を床に逃してしまう。だがすぐにぐっと顔を上げるとまだ花応は雪野の方を見ていた。
雪野は花応と目が合うと無理して微笑んでみせる。
「はぁ? あんたが何の役に立つのよ?」
花応はそんな雪野にこちらは緊張が唐突に崩れたように自然な笑みで返す。そして電話の向こうの宗次郎には悪態をついてみせた。
「ペンは剣よりも強し――ですって? はぁ? 魔法や科学より強くなってから言いなさいよ。それに何? 生徒会長は不思議な力を使いますって書いて、あんたその記事信用されるの? それより雪野が魔法少女だなんて書いたら、私が許さないからね」
何やらに言い返したらしい宗次郎に花応がまくしたてるように反論する。
そして話している内にいつもの調子を取り戻していくようだ。花応は声だかに話を続けた。
「そんな非科学な話、皆信じる訳ないでしょ? あんたバカなの? はい? 一番科学科学ってうるさい私が信じてる? ええ、私は雪野を信じてるわ――」
花応が雪野にもう一度視線を送る。
今度は雪野は視線をそらさなかった。
そのことを確かめた花応が何処とを見るとはなしにか天井辺りを見上げる。
「それに私は私を信じてるの。どんな不思議や理不尽にも。魔法だろうが、何だろうが。私の立ち位置は変わらないわ。私は自分の身に起こった問題に、科学で立ち向かうだけよ。ええ、そうよ! 家族の問題だろうが何だろうが、私には科学の力があるもの――」
花応は自分に言い聞かせているようだ。赤くはれ隈まで作っていた花応の目が力強く光をよみがえらせていく。
「そうよ! 私は科学の娘よ! どんなことも、科学的に立ち向かえるわ!」
花応が今度も雪野の目を見る。完全に目の力を取り戻した花応は射るように雪野の目を見た。
「彼恋は……私の妹は――私が科学的に助けるわ! 姉である私がね!」
「……」
そんな花応に雪野が優しく微笑む。
花応は雪野のその笑顔に照れたのか、
「じゃっ! 作戦会議するから、今からあんたも来なさい!」
宗次郎に一方的に告げると携帯を雪野に突き出すように返した。