八、生徒の鑑 10
「……」
雪野は花応の部屋のダイニングで一人テーブルについていた。その片手には半分までジュースで満たされたガラスのコップが握られている。
勝手に冷蔵庫を開けて注いだらしきジュース。その吸い込んでコップの周りには水滴がまとわりついていた。
その水滴の内、数滴が集まり滴り落ちた。途中で雪野の手にかかるが雪野は特に反応しない。何か考え事に没頭しており水滴が着いたことに気が向かないようだ。
「……」
雪野はじっとジュースの水面に目を落としながら目を伏せていた。雪野の白い肌に滴り落ちてきた水滴がその肌の産毛に揺られてふるふると揺れた。
「……」
そんな雪野の後ろででこちらも無言でジョーが首を伸ばした。
ジョーが首を伸ばした先は花応の部屋とつながる廊下だ。ジョーは体だけはダイニングに残しながら、気になるのか長い首を生かして廊下だけ顔をのぞかせる。
「……」
ジョーがその水かきの着いた足をそおっと上げた。
「ジョー。放っておきなさい」
「ペリッ!」
短くも鋭く特に張り上げた訳ではない声で制せられジョーがびくっと身をすくませた。
「自分から出て来るわよ」
雪野はジョーに振り返らずに続ける。
「でも、雪野様……」
「何?」
ジョーに振り返らないということは勿論花応の方も見ていないことになる。雪野は素っ気ないまでに花応の方に背中を向けながら答える。
「ずっとあんな感じペリよ……いいペリか……」
「『ずっとあんな感じ』でいい訳ないでしょ」
「じゃあ、元気づけにいくペリ……」
ジョーが長く廊下の奥へと首だけ伸ばす。
「ダメよ。ここに居なさい」
「ペリ……だってペリ……」
ジョーは廊下の向こうとダイニングのこちらにふらふらと揺れる首を何度も往復させた。
「自分から出てこないとね……」
己は動かないという意思を表す為にか雪野がようやくジュースに口をつける。
「ペリ……」
「冷たいようだけど、自分から動き出さないと……」
雪野はぬるくなり始めたジュースを飲み干した。ガラスのコップに着いた水滴が揺れる。
「ペリ……」
「……」
懇願するようにこちらに目を向けるジョー。それに応えず雪野は空にしたコップをテーブルに置き、そこから大量の水滴を滴り落ちるがままにした。
「て、てめえ……」
宗次郎の額から玉のように汗が吹き出た。それは今日の天気のいい陽光に汗をかいている訳ではないようだ。宗次郎の額からは次から次へと浮き出ては額から滴り落ちていく。
「ふふ……どうしたんだい? すごい汗だよ」
そんな宗次郎の顔を相手の肩越しに見て生徒会長が静かに口を開く。
こちらは宗次郎と違い汗一つかいていないかのような涼しげな顔だった。
「瞬間移動ってかよ!」
宗次郎が慌てて振り返る。
「ふふ……」
だがその次の瞬間には更に宗次郎の背中に生徒会長の姿は移っていた。
振り返った宗次郎の背中からその宗次郎の背中に笑みを送る生徒会長。それは振り返る前とまったく同じ光景だった。
「こ、この……」
陽の当たる方向が変わって陰の濃淡こそ変わっても、宗次郎が背後の生徒会長に冷や汗を浮かべる光景は変わらない。
「ところで。何か話があるんじゃなかったかい?」
「ま、もっとも……僕もこれぐらいしかできないんだけどね」
宗次郎の背中で生徒会長が床を蹴った。生徒会長はそのまま宗次郎の後ろで距離をとる。
「くそ……」
宗次郎が毒づきながら振り返った。
生徒会長は今度は動かなかった。
ようやく生徒会長と対峙できた宗次郎はじりっと半歩前に足を出して身構える。
「力づくって感じだね。で、何をする気だい?」
「何って……」
「今にも突撃でもしてきそうな形相じゃないか? 力づくで殴り倒すかい? それとも僕に突撃取材でもして、新聞部ととして糾弾するかい? 『生徒会長〝ささやき〟の謎』とか見出しでもつけて」
「な、何を……」
「それが君の本来の仕事だろ? まあ、誰も信じないだろうけどね」
「そうっすね……その意味では、俺は無力っすね……」
宗次郎が両の拳を力の限り握る。
「己の無力を実感したのなら、大人しく傍観者でいて欲しいね。これは僕と千早くんと、それと実際に戦いの場に出て来る桐山くんとの戦いだ」
「俺は、俺の力で、あいつらの力になるつもりですよ」
「そうかい」
生徒会長はそう応えるともう一度姿を消す。
「――ッ!」
その唐突の動きを目の前で見せられ宗次郎は目を剥いた。
「楽しみにしてるよ」
いつの間にか校内へと戻る階段前にその姿を移動していた。
「く……」
宗次郎が慌てて振り返るが、
「ふふ。じゃあ、桐山くん達によろしく」
生徒会長は振り返ることもせずに階段の向こうに消えていった。