八、生徒の鑑 6
「……」
まだ日が高い時ならぬ下校時間となったお昼前の家路を、花応は携帯電話に目を落としながら歩いていた。
花応は無言でモニタに目を落とす。そして自身の影も落ちる。
花応の身には家々の影も落ちていた。両脇に家が迫る細い道。そこから花応の上に影が落ちる。
その代わりに花応の周りに人影は見当たらない。花応は一人狭い街路の家路をいく。
雪野とは歩いて登校するようになった人通り多い大通りではなく、花応は入学以来利用していた人影寂しい小道を今は歩いていた。
「……」
花応は何度も携帯をいじっていたようだ。前もろくに見ずに携帯に目を落とし、迷う親指がモニタの上を行ったり来たり揺れる。
花応の視界が不意に開ける。そこは家が途切れて公園となっていた。大通りともこの小道とも接する公園。先にジョーと逃げ込んだ公園に花応が通りかかる。
花応は視界が開けても特に反応も見せずにそのまま通り過ぎようとする。公園の向こうには歓声を上げながら別の生徒達が同じく下校していた。
公園の向こうに見え隠れする生徒達は突然の休校やその理由に気分が高ぶっているようだ。声だかに話しながら、そしてふざけ合いながら時に突然走り出し、時に奇声めいた声を上げながら皆が楽しげに家路を急いでいた。
「……」
花応は一人静かに小道を行く。公園を通り過ぎる間も視線を携帯に落としたままだった。
うつむいて歩く花応の顔はその心の表れのままにか暗く陰っていた。
花応の携帯の光が不意に暗くなった。しばらく操作していなかったのだろう。省電力設定が働いた携帯がその光を弱める。
花応が慌てたように親指で軽く画面に触れる。
まどろみ中に不意に触れら目を開ける半野良の猫の瞳のように、そのモニタは素早く反応して瞬いた。
発信も着信もしばらくなかったのかそこに表示されたのはただの待ち受け画面だった。
そこには花応と雪野が頬を寄せて画面に収まっている。花応の携帯だが写真をとったのは雪野のようだ。雪野の右手が画面手前に伸びてきてそこで枠外に消えている。
何処までもにこやかに写真を撮ろうとしている雪野と、少々戸惑いにぶっきらぼうな顔をそれでもカメラに向けている花応の顔が大写しになっていた。
そんな花応と雪野の脇にかすかに空いていた隙間に、白い羽毛らしきものと黄色い嘴らしきものが見えている。ジョーが自分も写真に写り込もうとしてわずかにそのことに成功したようだ。
「……」
花応は自身の姿を吸い込まれたように見つめる。
考えていたのは自身の姿によく似た妹のことのようだ。
「彼恋……」
花応が呼びかけるようにぽつりと呟く。
花応に自転車が近づいて来る。流石に花応が顔を上げた。狭い小道をすれ違う為に花応が少し脇に寄る。
自転車は親子連れだった。前と後ろに歳の近い幼い子供を一人ずつ乗せている。姉妹のようだ。姉と思しき前の子供が上半身だけ後ろに振り返り、母と妹らしき子供に顔を向けていた。
よく似た顔の姉妹が無邪気に笑い合いながら花応の横を一瞬で通り過ぎる。
「……」
花応は立ち止まりその様子をしばらく見送った。
再び光の消えた携帯を花応がぐっと握り締める。
「私は……」
花応は何か口にしかけてぐっと唇を結んで言葉を呑み込んだ。
その時、着信のメロディとともに携帯に光が戻り震え出す。
花応は手の中での突然の着信にびくっと一つ身を震わせた。そしてすぐさま携帯を目の前に持っていく。
『雪野』と表示された電話の着信を告げる画面がそこには表示されていた。
花応はしばらく目を泳がせた後、細かく震える指をモニタに触れさせる。
電話がつながったようだ。『通信中』の文字が表示された画面を花応はそれでもしばらく確認するように見つめる。そしてゆっくりと耳元に持っていった。
「花応?」
少しじれたような雪野の声が花応の耳元で再生された。
「……うん、ゴメン……すぐ取れなくって……」
「分かってる……携帯苦手だもんね……」
雪野の声はすぐに優しいものに変わる。
「うん……」
「妹さんから……彼恋さんから、連絡は……」
「ない……こっちからの連絡は……できない……」
「分かったわ……私も今からとりあえず帰るから……花応の部屋に寄るから……何なら、代わりに電話かけてあげる……」
花応は雪野のその申し出にびくっと再び体を震わせ、
「違う……怖くて、電話なんてできない……」
くしゃくしゃに歪めた顔と震える指に声とで応えた。