八、生徒の鑑 3
「お前一年の千早だな! 何だこの騒ぎは?」
近づいて来る千早雪野に教師の一人が血の気の失せた顔で自分からも詰め寄った。
校門と校舎の正面玄関を結ぶ短い通路。動線としては教師や来客用のもののようだ。生徒は靴を履き替える為に直接この通路を直進せずに少し離れた下駄箱並ぶ脱靴場へと向かう。だが多くの生徒がその動線をまったく無視した状態で野次馬と化していた。
雪野がそんな野次馬の中の一人の教師に向かっていく。
「異常気象です」
雪野がきっぱりと断言する。言葉が断つようならその視線は射抜くかのようだ。雪野は真っ直ぐと教師の目を見返して揺るぎない視線を向ける。
「なっ……」
「異常気象です。局地的な竜巻みたいなのが、教室に入ってきました。私たちは風にまかれて教室から落ちました。奇跡的に皆無傷です」
雪野は己の返事にあっけにとられる教師に畳み掛ける。
周りの生徒達がざわついた。
「千早……お前な……そんなこと、ありえないだろ……」
「ありました。事実です。人は自然の前では無力です」
雪野は言葉を短く区切りながら相手に有無も言わせず続ける。
「野鳥までいるじゃないか……」
教師はたじろぎながらもジョーに視線を落として応える。
「ペリ……」
ジョーが警戒にか長い首を引っ込める。
「野鳥すら、巻き込んだ竜巻でした。難を逃れましたから、もうどっかに飛んでいくでしょう」
そんなジョーのことすら雪野は竜巻のせいだと断言する。
「ぺ、ペリ……」
ジョーが軽く羽ばたくと未練がましく首だけ雪野に向けながら飛び上がる。
野次馬も教師もそんなジョーの姿を空に追った。雪野だけがジョーに振り返らない。教師を視線で釘付けにしたまま動かさない。教師も生徒もそんな雪野の視線から逃れる言い訳のように呆然とジョーの姿を追った。
ジョーが校舎の屋上の向こうに消える。
「他に見た者は……」
飛び去っていくジョーを見送った教師が辺りを見回す。
その教師の視線を受け皆が互いに顔を見合わた。野次馬の生徒達は雪野の言葉に戸惑いの表情で互いの顔を見る。
「見たのは私です。実際落ちたのも私達です。私も、桐山さんも無事です。小金沢先輩も少し脱力してるだけです」
雪野は目が妖しいまでの光を湛える。
「あのな……」
「では、他に説明できる人は?」
雪野は集まった野次馬全てに己の存在を見せつけるように身を翻した。
「誰か、私の話に異を唱える人は? 先生の疑問に答え、皆の期待に応え、私達の奇跡に報えてくれる人は? 堪える必要はありません。ありままに声を猛らせるだけです。おかしい――と!」
雪野がゆっくりとその身を振り向かせる。
ただでさえ端正な顔立ちをした雪野が妖しい光を溢れさせた瞳で皆の目を射抜いていった。
「答えられない? 応えられない? 報えられない? それともそんなこと……堪えられない?」
雪野が見透かすように皆を見回す。
野次馬は皆が萎縮したようにその視線に無意識にか身を退いた。
雪野の身の翻し方はまるで神に捧げる巫女の舞のようだ。誰の視線も誰の時間も誰の感情も一心に奪っていることなど気にもせず、雪野はただ神のみ相手にするかのようにその身をゆっくりと舞わせる。
原始シャーマンの自然な祈りのように。中世権力の庇護の下で解く説法のように。今の世に残り洗練された尽くした伝統的な奉納のように。
雪野は時に力強く、時に力ずくで、時に力みのまったくない舞を皆に見せつける。
「……」
野次馬の生徒達と教師は息を呑んでその舞を見つめる。
雪野はその視線をその舞う身で巻き取るように一身に受ける。
カイコの繭から糸をほぐしとり絹糸を集めるように。雪野が舞う度に野次馬の意識が全て巻き取られていく。そして巻き取られた絹糸はその場で巫女の衣装に縫い上げられる。
他の誰とも違わないはずの校則通りと思しき制服が、舞う度にしつらえたばかりの絹の衣装のようにそれは朝日を受けて輝く。
生徒達は自分たちの眼差しが作り出した衣装に更に瞳を吸い込まれていく。
もはや誰もが無言だ。無言で雪野の舞いに心を奪われている。
「竜巻か……」
自らも竜巻のように舞う雪野にぽかんと口を開けながら野次馬の中の誰かが呟いた。実際それは誰が呟いたのかは分からない。そしてやはり実際のところ誰の呟きでもよかったようだ。
「何だ……竜巻か……」
もはや誰もがそのことを納得するように呟いている。
この晴れた日中に一つの教室だけを襲った竜巻などの不思議に頭を悩ますよりも、今目の前で繰り広げられる舞に見とれていたい。野次馬はその光が鈍る目と、ぼうっと開けた口で皆がそう物語っていた。
雪野が一心不乱に身を舞わす。輪を描く野次馬をこちらも雪野が輪を描いて一周した。
その神々しいまでの舞を窓から見下ろし、
「ふん……まぶしい上に、うさん臭いッスね……正義の魔法少女様は……」
速水颯子が細い目を更に細めて呟いた。